1.下山の日
ただひたすらにザックを背負って歩き続けた。私は変わるんだっていう想いで北アルプスにいるんだ。他の誰でもない私が。
帰りの電車の中、聞きたくもない声が私の心を締め付ける。
「あの女うざかったよな。女ひとり旅なんてね、俺たちに親しげにしてきやがってさ、嫌われてるのに気づかないのかな」
「でも、結構山行してるみたいだよ。今年は奥穂高岳にも行ってるみたいだし、今回は立山を縦走してるから、ファッション登山家ではなくてやってることをみると登山家だな。まぁ、中身がアレだから」
たぶん私のことだ。私って何か嫌われることをしたのだろうか、登山界の新参者の私は何かルールを守れてなかったのだろうか。
声のする方向へ近づいてみる。
一ノ越山荘で会った中年男性二人組だった。
「あのー。昨日はお疲れ様様でした。予定通り、浄土山まで行ったのですよね?」
「ふふ、お前よりは山行してるよ。どうせ五色ヶ原から折り返しできただけなんだろ」
答えずに私を揶揄してくる。酔ってるのだろうか、登山者の飲酒率は高い。どこでも酔っ払っている登山者をよく見かけるものだ。だけど、ここは受け流せ、私。
「そうですけど、ついでに鳶山にも行きましたよ。流石に越中沢岳にはいけませんでしたが…」
「昨日も室堂で聞いたぞ、お前のこと。九州からわざわざ立山まできてる煩わしい奴がいるってな。一ノ越で会ったときにああコイツかって思ったのさ」
このおっさん、私に直接言ってくるなんて。本当に一体何が気に食わなかったのだろうか。
「私のなにが不快だったのですか?教えてください」
「そんなの言うわけないだろ」
私は思わず感傷的になって言ってしまった。私のなにが悪いのだろう。私が嫌われる要素ってなんだろう。
登山をする人に悪い人はほとんどいない。こんな辛い想いをして山に挑むには心が広くて優しくて自分に厳しい人しか無理なのだ。それが北アルプスの名峰に挑む人たちならばなおさらだろう。
だが目の前の2人は真正面から私の悪口を言ってくる。
このまま1時間半、富山駅に着くまで同じ電車だ。
私はどうすればいいのだろうか。
「お前みたいな登山者がのさばる世の中になるようでは俺は登らんぞ」
急に話しかけてきた。一体なにを言いたいのだろうか?私は…何…?
「私は北アルプスにはなかなか来れないですよ。なぜ私が嫌なのか教えてもらってもいいですか?北アルプスのルールを守れてなかったのであれば教えてください。勉強になります」
「お前は最近の若い子だけあって山のルールはちゃんと守ってる。登山経験も豊富でそういう意味では嫌なやつじゃない。ただ問題なのはお前の存在自体なんだよな」
あまりの言葉に私は思考をストップしてしまった。一体なにを言ってるのだろか?あまりの悪口に私の処理能力の限界を超えてしまったらしい。
もう自己防衛だと心に決め、背を向けてもともと座っていた席へと戻っていった私。後ろから声をかけられているようだが私には関係ない。
私ってなんのために北アルプスに来てるんだっけ?なんのために…。
気づいたら瞼の奥が熱くなっていた。
私は変わるんだって、今までの私からさらに強くなって帰ってくるんだって思ってたっけ?そんなのは幻想だった。ただつらかった。言葉に傷つけられた。
早く富山駅に着かないかな。そう思いながら窓をみる。
「おい、無視するな」
顔を向けるとさっきの二人組が立っていた。
「そう言うところも嫌な奴だなお前は。二度と山に来るなよ」
そう言いながら笑っていた。
もうすでに怖いと言う感情は通り越していた。私の心が耐えられるかという瀬戸際で戦っているのだろう。だから心の制御装置みたいなもので私はギリギリ守られている状態のようだ。
「お前さ、今年また山行するの?」
また本州の山岳地帯まで遠征するのかということなのだろう。
「乗鞍に行こうかと思ってましたけど、もうやめようかなと」
「乗鞍www。乗鞍岳なんて登山未経験でも登れる山だろ。お前にお似合いだ。むしろ乗鞍岳に行ってほしいまであるな。あの山がお前にはふさわしいのかもな」
ゲラゲラと笑いながらまたもや私を揶揄してくる。
「初心者だらけの山にお前みたいな北アルプスの登山家が行けばさぞかし偉かろう。ただな、お前の山行実績にはなにも関係ないだろうけどな」
何かずっと言ってくる。ただ通路に立たれると逃げ場がない。
「おい、お前らうるさいから黙っとれや」
近くの席にいた中年の女性が言ってきた。
「コイツの山での態度が気に入らなくてね。注意してたんです」
「若手の教育は良いことだけど、富山についてからやれよ。アタイも加勢してやる」
ああ、、絶望だ。
富山駅に着いた私は近くにある登山用品店のレンタルルームに連れて行かれた。
「2度と日本アルプスに来れなくなるぐらいのトラウマを与えればそれで良いだろ」
「それじゃなまぬるい……」
聞き取れなかったがもっと恐ろしいことを言っていたように思う。
私はもうすでに富山にも日本アルプスにも行きたくはなくなっていた。
こんなに酷い場所だったなんて。
誰か助けてほしい。
登山用品店の人は私たちが登山前のミーティングをしていると思ってるのだろう。こんな私を陥れようとする彼らの用途として使わせてるなんて思ってもいないのだろう。
「7月にも山行して、今月9月も山行、11月もこっちに来るのか、行きすぎだし目障りなんだよな」
「そうだぞ、俺たちは年に一回しか山行してないんだよ。お前とは違う。その一回をお前に台無しにされちまったんだぜ」
もう関わってはいけないと思い、とりあえず潔く謝って出ようと思った。
「もう北アルプスには来ませんし、迷惑をかけないようにあなた方には今後会うことはないでしょう。お手洗いに行きますのでちょっと離席しますね」
そう言って私は出ていった。預けていたザックを回収して店を出ようとしたところで電車内で会った中年の女性に止められた。
「アンタさ、失礼だよ。もうちょっとあの人たちの話を聞きなさい」
「もう良いんです、私は」
そう言って拘束の手を振り切った。
そして走った。富山駅のコンコースを通過して北口へ出た。ホテルに直行。
もう今日の富山の観光も全て中止だ。ホテルのチェックイン時間まで合間があったため荷物だけ預けてエントランスの隅に座って待つことにした。
登山の世界は厳しい。今年登った穂高連峰、奥穂高岳でもたくさんの遭難者が出ている。私と同じ日に山頂へ登った人の中にすら救助された人がいる。
7月末、涸沢小屋でヘルメットを被って奥穂高岳へ向けてザイテングラートを登ったときのこと。私は死の山に今から挑むんだって思ったよ。真っ白な雪渓が出迎えてくれた。だけど、もし滑落することになればこの雪渓を血の色で染めることになる。それがとても怖かった。
それでも私は嵐の中、どうにか無事に下山できた。震えながらザイテングラートを通過し、涸沢小屋に着いたとき私は生還できたことを心の底から安堵したものだ。
その日の午後に上高地バスターミナルで、ザイテングラートでの救助について知り、救助されたのが昨日一緒に山頂に立った男性だったということがわかった。
やっぱり山は厳しい。
だけどそれを受け入れている私がいた。
あの男性は前日に穂高岳山荘から奥穂高岳へ登る途中でもう体力が尽きていた。無理矢理、穂高岳山荘へ下山したのだった。
そして、穂高岳山荘から上高地まではコースタイム7時間半。そんな長丁場を歩けるとは到底思えなかった。どこかで力尽きるはずだ。もしくは涸沢まで降りたあとに少しずつ上高地を目指すのだろう。そう思っていた。
それがザイテングラートまでしかもたなかった。それだけなのだ。ザイテングラート途中で頭を打ち、リタイアを宣言して警察を呼んだ。ザイテングラートは死の岩稜だ。この状態で進んでも助からないと思ったのだろう。
潔い判断だそれでも良い。ただ人に迷惑をかけていることだけは忘れないでほしい。だけど、ただ生きて下山できたそれだけでよかった。
私は1人、そう思ったのだった。
それから山の厳しさというものを知り始めた。九州に住む私にとって北アルプスの遭難事故なんて知るものではなかった。たとえ登る山だとしてもだ。だけど、その時からどこの山で遭難事故が起きているのかなどを調べるようになった。
それと同時に、今回の立山では人も厳しかった。悪質な登山者もいるものだ。私に対して酷いことを平然と言える人もいるのだから。
山は良い人ばかりだ。山小屋では鍵がかかった場所すらない、ザックを置きっぱなしにしても取られない。そんな下界ではあり得ないことが常識の場所らしい。
はっきり言って、私の住む九州はあまり治安がいいとはいえない。特定危険暴力団が存在するし、ターミナル駅では2年連続で刺殺事件が起きる。知っている人ですら捕まった人もいる。明らかに危ない街だ。だけど通りすがりの人にここまで言われることはない。
ふと思うと、あの人たちはもしかしたら私に何か原因があって怒っていたのかもしれない。
いや…。それは思い込みか。そう考えるようにしよう。
ぼんやりと考えながら時間を潰した私は、ホテルのチェックインを済ませてシャワーを浴びて寝てしまった。
頭にふと浮かんだストーリーを書いてみました。
楽しんでいただけていると幸いです。
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