始まりの夢
『次のニュースです。お盆を故郷で過ごす人たちの帰省ラッシュが本格化し、鉄道や空港、高速道路は激しい混雑に見舞われています』
車のスピーカーから聞こえてくるラジオの音を、僕はうつらうつらとした意識の中で聞き流していた。
「ねえ、まだなのお父さん」
「う〜ん。この渋滞だからな、あと何時間かかるか」
「だからお爺ちゃん家に行くなら、飛行機の方がいいって言ったの」
「すまん……お父さん高所恐怖症で高いとこが苦手なんだよ」
「ええ、高い方が普段と違う景色を見れて楽しいのに。む~、もうお兄ちゃん暇だよ〜」
隣に座る妹の雪が暇を持て余し船を漕いでいた僕の肩をユサユサと揺すり助けを求めてきた。
「ん……ファァァ〜」
お盆を父方の実家で過ごすことになった僕たち家族は、父のオンボロ車で東京から京都へ向かっている途中だった。
父の高所恐怖症が原因で飛行機には乗れず、母は新幹線の混雑は苦手。バスも雪の騒がしい性格が災いし、周りの乗客に迷惑をかけるという理由から、毎年恒例の帰省は車で移動することになっていた。
まあそれは建前で、父さんの安月給では、一家4人が車で移動する方が安上りなことは黙っておこう。
「なんだよ。せっかく気持ちよく寝ようとしていたっていうのに……」
「ヒマなの、雪と遊んでよ〜」
車で片道6時間も掛かる長い旅、昨夜は深夜番組を遅くまで見ていた僕は寝入りそうになり、退屈で暇な雪は構ってほしいと僕の安眠を邪魔してくる。肩を容赦なく揺すってくる雪の手を、僕は億劫に払い除ける。
「あっ、お兄ちゃんひどい、お母さんお兄ちゃんがいけずだよ〜」
「ふたりとも騒がないの。車の中なんだから大人しくしてね」
「いや、母さん騒いでいるのは雪だけだよ」
「お兄ちゃんが、かまってくれないからだもん」
僕たちをたしなめる母さんの言葉に、雪は僕を指さし、言い訳を始めた。
「はあ〜、あなた達……」
「はっはっはっ! 賑やかな方がいいじゃないか。家族旅行ってはこうしてワイワイしながらあれこれ会話するのが醍醐味だよ。でも、流れる風景ばかりで見ていて雪も飽きてきてるし、次の草津パーキングエリアで少し休憩しよう」
呆れる母さんを見て、父さんが場を和まし雪のご機嫌をうかがう。
「なら私、暑いしカキ氷がいい! なに味を頼もっかなか〜、イチゴ味も良いけどメロンも捨てがたいし……そうだ、お兄ちゃん別々の味を選んで半分こにしよ」
雪は、にぱぁと笑顔で要求してきた。
「いや、僕はブルーハワイが食べたいし」
「え〜、絶対イチゴかメロンの方が美味しいよ!」
雪が両の手を握り、上目でお願いしてきた。
このままでは、いつもと同様に妹の要求を受け入れる羽目になりそうだ。
ここは好きなブルーハワイを食べるため、兄の威厳を見せつける時がきた。
「いや、カキ氷のシロップなんて、みんな同じ味で変わらないんだぞ」
「そんなことない!別々のシロップは全然違う味がするのに……」
「あれは同じ原材料のシロップに、香料と着色料を混ぜただけのものなんだよ。イチゴの匂いに赤い色、嗅覚と視覚の情報から、脳がただ甘いシロップをイチゴ味だと錯覚させているんだ」
「そうなの? お兄ちゃんって相変わらず物知りだよね」
僕の言葉に雪が感心し、少しは兄としての威厳を保てたようだ。これで僕は自分の好きなブルーハワイを食べれ――
「じゃあ、お兄ちゃんはメロン味ね。私はイチゴ味にするから」
――そうにない。仕方がない。
「……わかったよ」
「わ〜い、だからお兄ちゃん大好き」
両手を上げて喜ぶゴーイングマイウェイな妹に、僕はいつも通り折れるしかなかった。
『次のニュースです。昨日、国会に提出された妖力炉エネルギー推進法に反対する人々によるデモが発生し、警察や機動隊が介入する騒ぎになりました』
「デモが最近多いわね」
「そうだな。この前も東北にある企業の工場で、大規模なシステムトラブルが発生したからね。妖力炉の増発なんかして、暴走したらどうするんだって、みんな不安なんだよ」
「怖いわ。昔、一度だけ妖力炉が暴走して、日本が大変ことになったのに……」
「大変なことって?」
雪の何気ない疑問に、一瞬の間を置いて父さんは当時の様子を語りだす。
「お父さんたちが雪たちくらいの時に起こった大事件だったな。妖力炉が暴走を起こし制御不能になったんだ」
「その妖力炉が大爆発を起こして、妖気が日本中を汚染したの。……大勢の人たちが亡くなったわ」
昔を思い出したのか、二人の声のトーンが低くなる。
「日本史で習ったけど、そのあと妖が大量に発生したんでしょ?」
「ああ、本当に大変だったのは大爆発を起こしたあとだったんだよ。濃い妖気は妖を生むんだ。その結果、野良の妖が大量発生してね」
「そう。みんなで妖から身を守るため、避難所に逃げたのよ」
「妖って、この車のエンジンにいる火車みたいなの?」
車内に流れる重い空気に、雪の明るい声が加わる。
「そうだよ。車のエンジンを動かすための妖である火車も妖だけど、どちらかというと車のパーツで意思はないから、厳密には妖ではないかな。本当に怖いのは自分の意思を持った妖さ……」
「お義父さんの住んでいる京都は、妖気が濃いから自然発生する妖が多いみたいだけど大丈夫かしら?」
「京都はADOのお膝元で、他の場所に比べて治安はいいからね。たとえ暴走した妖が出現しても、すぐに退治されるから大丈夫だって父さんが電話で言っていたな」
「お兄ちゃん、ADOってなに?」
まだ小学生の雪は、あまり聞きなれない言葉に助け舟を求めてきた。
「ああ、Apparition Defense Organization、妖から人を守る人たちことだよ。妖専門の警察みたいなものかな」
「妖専門の警察……カッコイイかも! 雪もなれるかな⁈」
「特別な才能を持つ人じゃないとADOになれないんだよ。雪は才能がなさそうだからな。しいてあげるなら食べるのが好きだから、もしかしたら……無理だろうね。むしろその特技のせいで将来、妖怪『食っちゃ寝』になってしまわないか、兄としては心配だよ」
目をキラキラさせながら答えを期待する雪に、僕はバッサリと切り伏せる。
「お兄ちゃんのいけずぅぅぅ」
プクーっと頬を膨らまそっぽを向く雪……その姿はひまわりの種を口いっぱいにほおばったリスのように可愛く、思わず指で突っついていた。
「もう、やめてよお兄ちゃん!」
「二人ともやめなさい。まったく……」
「はっははははは」
僕の指を払いのけ雪が騒ぎ出す雪の声に、重苦しかった車内の空気はいつのまにか、明るくなっていた。
「ほら、もうパーキングにつくぞ」
「本当お父さん? わーい かっき氷♪ かっき氷♪ お兄ちゃんはメロン味とレモン味だからね」
「妹よ……味が増えていないか?」
「雪に意地悪した罰だよ。レモン味はお兄ちゃんのおこづかいで買って」
「太るぞ」
「雪は3分の1ずつでいいよ」
「ちょっと待って、それだと残りのかき氷は?」
「お兄ちゃん、罪は償うものなんだよ」
つまり、いまの罰として残った2個分を食えってことか⁈
「はあ~、わかったよ」
「やった〜♪」
僕は渋々頷くと、雪は嬉しそうにはしゃぎだしたその時だった。家族全員のスマホから警報音が鳴り響き、同じメッセージが流れ出す。
『妖気警報! 周辺の妖気が一定値を超えました。直ちにその場から避難してくだい。妖気警報!』
「あなた。これって」
「妖気警報⁈ こんなの子供のころに聞いたっきりだぞ⁈」
「お兄ちゃん……」
妖気が異常な高まりを起こした際、付近一帯に警報が発せられる。その音が鳴り響いたあとには、必ず妖気の渦が発生する。妖気は人間にとっては毒……その渦に巻き込まれたが最後、命を落とすことになる。
学校で習ったことを思い出した雪は不安に駆られ僕の手を握ってくる。
『緊急速報です。現在名神高速道路草津インターチェンジ付近で大規模な妖気警報が観測されました。付近の住民の皆さんは慌てずに避難してください。繰り返します』
続けざまにラジオから緊迫したアナウンサーの声が流れてくる。
「だ、大丈夫だよ」
「うん……」
恐怖から逃れるように僕にしがみつき震えだす雪の肩に、僕はそっと手を置く。できるだけ自分の手が震えていないことをさとらせないように。すると―
「あなたアレって……」
「なにか掴まれ!」
母さんが前方を指さしながら震えた声を出すと同時に、父さんがハンドルを切り急ブレーキを掛ける。
「きゃー」
悲鳴を上げ抱きつく雪……そんな切迫した車内から、僕は見ていた。
黒い大きなシミ……車の前方に現れたそれはみるみるうちに膨れ上がり車を飲み込んだ瞬間、ボンネットが爆発したかのように吹き飛び、フロントガラスに突き刺さる。
急な爆発にバランスを崩した車は、真っすぐに走れなくなり蛇行を始める。僕は雪を守るため、無意識に覆いかぶさっていた。
急ブレーキによりコントロールを失った車は高速道路の壁に側面激突し横転する。上下逆さまになった世界で、すさまじい衝撃が車内を襲い掛かる。
「やだやだやだやだ」
「雪!」
僕の体は座席から投げ出されそうになるが、体に食い込むシートベルトが座席から投げ出されることを防いでくれる。
やがて車内を襲っていた衝撃が止み、車はその動きを停めた。
「いつ、雪、大丈夫か?」
「う、うん……いたい」
僕らは車内で上下逆さに中吊りになっていた。体に食い込むシートベルトの痛みに雪が顔をゆがませていた。
「待ってろ。シートベルトを外すからな、僕に抱きついていろ」
雪が僕に抱き着くのを確認するとシートベルトの解除ボタンを押し、幼い体を拘束から解放すると、僕に抱き着いていた雪は上下逆さの世界から脱出する。
体をさすり痛みから逃れようとする雪を見て安堵する僕、だがそれは長くは続かなかった。化学薬品の匂いと錆びた鉄を混ぜたような匂い。
「ガソリンが漏れてる⁈ 父さん。母さん」
だが前の座席に座っている二人からの返事はない。前を向いた僕の目に血染めのエアバックの姿が映る。
目線を下に向けると車体の天井だった場所におびただしい血が流れ血だまりができていた。
「うあああ……」
物言わぬ二人……目に見えた状況がなにが起こったかを物語っていた。僕は無様に悲鳴を上げようとしたとき、辺りに漂っていた化学薬品の匂いと雪を見て声を飲み込んだ。
返事のない二人の様子に雪が前に顔を上げるが―
「見るな」
―僕は雪の目を手で覆い顔の向きを自分に向けさせる。
早くここから逃げ出さないと……無我夢中だった。片手でシートベルトを外し雪に覆いかぶさるようにドタッと座席から落ちる。
雪を巻き込む形で不格好に逆さの世界から僕は脱出に成功する。
「いたた、もうお兄ちゃん!」
「雪、ガソリンに引火するかもしれない。先に外に出るんだ!」
「え、爆発、お父さんとお母さんは」
「あとから来る、いいから早くするんだ!」
「う、うん」
聞いたことがないことがない怒声に、雪はビクッと驚き戸惑いながらも割れた窓から車外に這い出た。
続けて外に出ようとする僕は、ほんの一瞬だけ二人の座っていた座席を見るて歯を食いしばると雪の後を追った。
「雪、離れるんだ」
車に戻ろうとする雪の手を握り強引に走り出すと―
「やだ、やだ! お父さんとお母さんは⁈」
手を振りほどき戻ろうとする雪、だが僕の手は驚くほど強い力で雪の手を引き、むりやり車から離れていく。そして……流れ出るガソリンに火花が散り爆発が起こった。
爆風に煽られ倒れ込む僕らに、夏の暑さとは違う熱気が襲いかかる。
「熱!」
爆発の熱から雪を守ろうとして覆いかぶさると、背中に熱い痛みが走った。だが痛みに悶えている暇などない。立ち上がり雪の手を取ろうとしたとき、それは現れた。
「Fuuuuulu」
業火を身にまとい車輪の足を持つ異形なるもの、人が持ちえない力を振るい人を喰らう化け物……妖の姿がそこにあった。
獲物を探すかのようにギョロギョロと視線を動かすそれは、すぐ近くにいた僕と視線が合わさと、ニタリとやらしい笑みを浮かべ動き出す。その瞬間――
「うあああああああああああ」
「うるせえぞ、新入り! さっさと起きろ!」
――悲鳴を上げながら、僕は夢の中から叩き起こされた。
寝ぼけ眼で回りを見回す僕を、数人の男たちは呆れた表情を浮かべていた。
「ここは……」
「いくらÐ級の妖退治といっても、新人のクセに初任務の移動中に寝るとか、ずいぶんと神経が図太いやつだな」
「はっ、アカデミー出たてのヒヨッコの分際で