僕の能力
磔にされた陽彩を見て激昂していたのは僕だった。
(殺す......!)
(落ち着け! あいつは死んでない)
(だから何だ! それでも陽彩の感じている痛みは変わらない!)
(早く助けないと!)
(だったらなおのこと落ち着くべきだ。普通に戦っても奴には勝てん)
(そうだけど、なんとかしないと)
(お前は異能の可能性を探れ。多分そこにしか勝ち目はない)
(時間は俺が稼ぐ。やることはさっきまでと一緒だ。)
そう言って俺は、教授の挑発を真正面から受けた。
「よくも、やってくれたなぁ!」
「人の彼女を二回も磔にしやがって、許されると思うなよ?」
俺は教授の懐に入り込み、拳を振るう。
教授の近くであれば、あの鎖は使えまい。
そのうえ、敵が近すぎると剣の間合いではなくなる。
教授に近づくというリスクを冒しながら、少しでも自分が有利になるように展開を組み立てる。
教授は後方へ下がりながら剣を振るい、牽制してくる。
それでも間合いを詰めていく。
離れきって鎖の猛攻を受け始めたらじり貧で負けだ。
そうして、意図せず”僕”がチューリップと土を食っていた場所にきた。
咲き乱れる赤いチューリップは不思議と俺を応援してくれているような気がした。
「そろそろ真面目に迎え撃ちましょうかね」
「なに?」
教授は今までの長剣を投げ捨て、ナイフを取り出した。
「この間合いならこちらの方が良いでしょう?」
「これは神をも殺す短剣でしてね」
「人間なんて掠るだけで死ぬことでしょう」
ナイフを注視すると、なにやら液体が滴っているのが見える。
おそらく、毒とみていいだろう。
(神殺しとかいよいよ妄言が極まってきたな......)
(つーかまだかよ...... いつまでもつかわかんねぇぞ)
(もう少しなんだ。何か引っかかっているんだけど)
(ごめん、まだ耐えてくれ)
(了解、任せろ)
教授の一挙手一投足を観察する。
教授が一歩足を前に踏み込む。
赤いチューリップが宙を舞う。
教授はナイフを持っている右手を引き、左手を前に突き出す。
すでに僕らは、お互いの間合いの中にいる。
しかし、俺は拳でしかない。
一方、教授は毒が塗られたナイフ。
かかるプレッシャーが違う。
俺は1つ間違えたらそこで試合終了。
教授が致命傷を負う可能性は限りなく低い。
教授は肉を切らせて骨を断つでもいいから俺に一撃入れればいいだけだ。
先に動いた方が負けると本能が告げている。
しかし、この緊張感の中で待ち続けても先に消耗するのは俺だ。
そうして俺は、思考の渦に飲み込まれかけていた。
その隙を教授は見逃してくれない。
「しまっ!!」
辛うじて、突き出された左手の一撃をかわす。
しかし、咄嗟のことで大きく動きすぎてしまった俺はまたしても隙だらけになっていた。
次こそ躱せない。
(左手......?)
教授は狡猾だった。
この状況でも俺が躱すことを見越し、本命の右手に持ったナイフの一撃を残していた。
走馬灯のように景色がゆっくり流れていく。
(ああ、宙に舞う赤いチューリップが綺麗だ......)
(代われ!)
僕は俺と切り替わる。
ナイフは僕の体を貫いた。
いや、教授の腕まで僕の体を”透過”していた。
「おや?」
「いってぇ!!」
なんとか成功したこととか、教授の驚きとかどうでもいい。
そんなことより体中が死ぬほど痛い。
これは貫かれた痛みではない。
"俺"が動いてた時の痛みが反動として襲ってくる。
(まずい...... 痛みで意識が飛ぶ)
俺は無理やり”僕”の意識を乗っ取った。
(大丈夫か? それより今のなんだったんだ?)
(あっぶねぇ! 死ぬところだった。無茶しすぎだろ! 体痛すぎだわ!)
(いいからさっきの説明! 時間ねぇんだから! 勝てるもんも勝てなくなるだろうが!)
(いや、多分だけど”僕”の力は透過だよ。ものとか色々すり抜けられるんだと思う)
(あの時、僕は講義室からすんなり出られただろう? それなのにあのうるさい赤メッシュの女が追ってこなかった)
(いや、正しくは追ってこられなかった)
(なぜなら、あの講義室は教授によって封鎖されていたから)
(だったらたぶん、僕の能力はそれを貫通する何かだと思ったんだ)
(え? それだけで?)
(うん?)
(確信もなしにそれだけの理由でやったのか?)
(そうだけど? どうせ死にかけてたんだし、いいじゃん)
(時々、急に強気になるのはなんなんだまじで)
(まぁ、いいやとりあえず透過が使えるってことだけ覚えとけばいいんだな?)
(いや、そのためには僕が表に出なきゃいけない。でも、そうすると僕は痛みで動けなくなるから実質なにも変わってないね)
(つまり、さっきみたいに本当の緊急回避で間に合えば使えるぐらいの認識が一番いいと思う)
(ふざっけんな! 無理だろ! それで勝てるか!)
(だから、陽彩が起きるまでの時間稼ぎだよ)
(起きてもあの鎖から抜けられなきゃ意味ないだろ!?)
(いや、陽彩もここに来られてるってことは一回あの講義室で鎖から抜け出してるはずだ)
(まぁ、希望的観測だけど陽彩の意識が戻ればまだ勝ち目はある...... と思いたい。)
(ああ、もうわかったよ! どうせ生きるか死ぬかの極限だ。いくらでも足掻いてやろうじゃねぇか!)
教授は先ほどの異能を見て警戒しているのか攻撃してこない。
ずっと様子見、いや観察されている感じだ。
それでいい。そのまま時間が過ぎるのであればそれが一番だ。
あとは彼女がどのぐらいで目覚めるか。
そこにすべてがかかっている。
「ふぅ...... 来ないのか?」
「いやぁ、存外粘るのでね。どうしてくれようかと思案しているんですよ」
「どうせ私の勝ちは揺るぎません。ゆっくり楽しみましょう」
「あんまり舐めてると痛い目見るぞ?」
「弱い犬ほどよく吠えるというじゃないですか。実はあの能力、あまり多用できないのでは?」
「そんなことないさ......」
(なんかバレバレじゃない? 会話しない方が良かったと思うんだけど......)
(いや、なんか会話した方が時間稼げるかと思って)
教授が間合いを詰め攻めてくる。
拳をメインで振るいながら、的確に狙えそうなタイミングで短剣の一刺しを見舞ってくる。
俺はそれを紙一重でかわし続けていた。
「防戦一方ではないですか? よけるばかりでは私を倒せませんよ?」
「うるっせぇ! 一発でも当ててから言いやがれ!」
しばらくそんな攻防を続けていたが、ついに決着の時が訪れてしまった。
先ほどから俺の意識が飛びかけている。
多分、どこかであの短剣にかすったのだろう。
そして、ついに地面に膝をついてしまう。
「はぁ、やっとですか」
「最初にかすらせていたのに随分待たされましたよ」
「な、に?」
「いやぁ、確実に当てようとするとあなたはあのすり抜けを使って避けるかもしれない」
「だから、あえてギリギリを演じ続けたんですよ」
「すべて私の掌の上というわけです」
「はは、時間稼ぎされてたのは俺の方ってことか」
「そのままチューリップに埋まって朽ち果てなさい。彼岸花じゃないのが少々残念なところです」
(いよいよか...... 結局死ぬんだな...... 悪い、”僕”)
(いや、よくやったよ......)
(陽彩の勝ちだ!)
その瞬間、教授がうずくまり鳩尾を抑えて苦しみ始める。
「ああぁぁぁっ! なんだこれは!?」
そして隣には陽彩がいた。
「ごめん、お待たせ」
「いやぁ、一撃入れた後油断しちゃった」
「ああ、めっちゃ待ったわ」
「あ、今はいつもじゃない方?」
俺と僕の違いを感じ取ったのか彼女はそんなことを聞いてきた。
その凛とした声やテンションの違いから、彼女もいつもの方に戻ったのだと予測できる。
「そうそう、”僕”じゃない方」
「と、その前にとりあえず外傷だけは治してあげる」
「え?」
彼女が俺の体に触れた途端、各部位が急激に熱を帯びた感覚がする。
彼女の手からは新緑を思わせる力強い光が出ており、俺の体に流し込んでいるようだった。
痛みはなく、むしろ温かみから安心感すら感じる。
5秒ほどそうしていただろうか。
その結果、わずかな体の痛みは消えていた。
「どう? もう痛くないでしょ?」
「ああ、ありがとう」
「じゃあ、一旦いつもの方に代わってくれない?」
「了解だ」
僕は俺の意識と切り替わった。
戦闘中のような激痛も覚悟していたが、痛みはほとんどない。
なんだか患部が熱を帯びていてむず痒い程度だ。
つまり、さして問題はない。
問題なのは、第一声がうまく見つからないことだった。
陽彩を傷つけてしまった事実。
知ってしまった僕や陽彩の生まれた経緯。
複雑化してしまった関係性のなかで紡ぐ言葉が見つからない。
「あのさ、私別に怒ったりしてないからね?」
思考の渦に飲まれかけているところに浴びせられる言葉は、目を覚まさせるのに十分だった。
いつも聞いていた透き通るような声。
いつも見ていた金色に艶めく髪を耳にかけるしぐさ。
作られた人格であろうと傷つけていようと陽彩は陽彩だ。
僕は陽彩が好きでこれからもそばにいたいと思っている。
であれば、紡ぐ言葉はこれしかない。
今はこれだけで十分だ。
「それでもごめん。そしてありがとう。後でいっぱい話をしよう」
「うん! そうだね! じゃあ、その前に教授を何とかしないとね」
陽彩はお日様のように明るく答えてくれた。
そして、僕らは教授のほうへ視線を向けた。
うずくまったままの教授は今にも力尽きそうな様子だった。
陽彩の一撃を喰らったであろう腹部を抑え、何かぶつぶつと言っているように見える。
「最後の言葉、聞いてあげよ」
陽彩は突如、悲痛な面持ちでそう言った。
夜の空気に溶けるように、その声は深く重たかった。
それに続いて命そのものを絞り出すように教授は声を上げた。
「はは、ありがとうございます。こんな人間の言葉を聞こうとしてくれて」
「神崎さんでしたね。それと景くん。あなたたちは結局、死を背負ってしまうのでしょう」
「きっと私を殺したことを重く受け止め、幾重にも考えを巡らせることでしょう」
「でも、そんなもの忘れてしまいなさい。私は道を誤った。だからそれを正す人が必要だった。それだけのことです。」
「人はそんなに強くない。だからできる限り、重荷は取り除かなければ潰れてしまう」
「死を背負って潰れるぐらいなら、忘れてしまいなさい。あなたたちは1つの悪を裁き、多くを救ったのですから」
それが教授の最後の言葉だった。