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僕の正体

 あのうるさい女の呼び止める声もなにもかも無視した。

 そして、出られなかったはずの講義室からはすんなりと外に出ることができた。

 僕はどこに向かっているのかもわからず、無我夢中で走り続けた。

 全力で走っている時だけは何もかも忘れていた気がする。

 それでも、じきに体力は尽き、足がもつれて転んだ。

 手をついて体を起こそうとすると、砂の感触が伝わってきた。

 少しだけ落ち着き、あたりを見回すとそこはいつもの公園だった。


「よりによって、ここに来るのか」


 特にここを目的として走っていたわけではない。

 ただ、一人になりたくて逃げただけだ。

 それでもここに来てしまった。


「僕はあきれるぐらい陽彩が好きだったんだな」


 僕はもう少しだけ歩くことにした。

 公園の外周に設置された赤いチューリップ。その中でも特に密集している箇所がある。

 なんとなくそこに目が留まって、歩みを進める。

 目の前まで来ると本当に壮観だ。

 そして、そのまま赤い海に倒れこんだ。

 

「痛ぇ」


 僕の体重によって折られたチューリップはもっと痛かったんだろうなとそんなことを思う。

 ああ、もういっそここで死んでしまおうか。

 この赤に染まって死ぬならばきっと僕の血もわからない。

 僕が折ってしまった分の償いだ。失った分、僕の赤で染めてやろう。

 

「あ、でも死ぬための刃物がないな」


 なにかないだろうか。

 人間は自分の首を絞めて死んだり、息を止めて死んだりすることは不可能と言われている。

 意識を失った時点で本能的に力が緩み、生命活動を再開するのだそうだ。

 故に、僕はなにか一発で死ねる方法を探さなければならない。

 思いつくのは、このまま時間が過ぎるのを待ち続け餓死するぐらいだ。

 でも、それも公園に人が来たら助けられてしまうかもしれない。

 ああ、何も思いつかない。





 しばらく途方に暮れていると、天啓が降りてきた。

 ああ、このチューリップと土を喰らえばいい。

 土壌には多くの菌が存在する。

 その中には食中毒を引き起こし、放置すれば人を死に至らしめるものも存在する。

 チューリップを口にするのは、陽彩との思い出を少しでも僕の中に残せる気がしたからだ。

 喰らう、喰らう、喰らう。

 ひたすらにチューリップと土を喰らう。

 土はなんだか埃っぽくて生臭い味がする。最近もちゃんと水やりをしているのか、ボソボソ感はあまりなかった。

 なんにしてもひどい味だ。

 チューリップもひどかった。茎の部分は繊維質でかたく、まさに植物という感じの味だった。

 花弁は思いのほか甘く、最初はおいしかったが、ねとねとした触感に甘味がまとわりついてきて気持ち悪い。


 じゃり、じゃり、じゃり、じゃり


 最初は僕が土を食べている音かと思ったが、違うらしい。

 後ろから誰かが歩いてくる音がする。

 まずい、これではチューリップと土を食っている不審者だ。

 いや、もうこれから死ぬのだ。誰が来ようと関係あるまい。

 このまま無視してやり過ごそう。

 声をかけられたら逃げればいい。


「ねぇ、何やってるの?」


 僕の体は完全に硬直した。聞き覚えのある声だ。

 毎日毎日聞いていた声。

 これからもずっと聞いていたいと思っていた声。

 聞くだけで幸せになれていた声。

 わずかな希望を抱き、後ろを振り向こうとした瞬間、僕の意識は刈り取られた。


「わんえいいえいる!?」


 俺はなんで生きていると聞くつもりだった。

 口の中に何か詰まっていてうまく声が出せなかった。

 チューリップと土だった。

 意識した瞬間、土と草の風味で嗚咽が止まらなくなる。

 ひとしきり吐き出した後、もう一度問う。


「なんで、なんで生きている!?」


「なんだ、やっぱりいたんだ」


「なんの話だ? それよりも説明しろ! なんで心臓を貫かれたお前が生きているんだ!?」


「うるさいなぁ、いつもの方に戻してくれた方が説明しやすそうなんだけど」

 

「なに......? いつもの方ってなんのことだ?」


「心当たりあるでしょ? もう一人のあなたよ」


「っ!! なんで、知っている?」


「私もそうだから」


「なに? そんな様子、一切なかっただろ」


「それを言うのはこっちのセリフ。ここまで出てこないタイプは初めてよ」


「確かにほとんど俺は表に出なかったが、普通じゃないのか?」


「異常に決まってるでしょ。そもそも二重人格者の普通ってなんだって感じだけど。」


 ”僕”の彼女は何をしにやってきたんだろうか。

 最初は復讐だと思ったが、それなら声をかけずに後ろから殺せばいい。

 それをしなかったということは別の目的があるのか。


「それで結局何しに来たんだ? 俺を殺すために来たんじゃないのか?」


「うーん、状況次第じゃその予定だったんだけど、その心配はなくなったわ」


「じゃあ何が目的だ?」


「長くなるけどいい?」


「かまわない。どうせ死に損なった命だ」


「あはは、それもそうね。じゃあ、説明してあげる」


「まず、あなたは二重人格についてどのぐらい知ってる?」


「あん? それは普通に1つの体に2つの人格が宿ってるってやつじゃないのか? あと、急にそれが入れ替わるとか」


「そう、なんにも知らずにそうなったのね」


「あなた、生まれたときから二重人格だったかしら?」


「いや、ちょっとした事件のあとからだ。」


「そう、大体の人が何らかのショックで二重人格を発症する。解離性同一性障害なんて医学界では言われてるわね」


「そして、そのときどういう人格が形成されるのかはランダムだと言われてきたわ」 


「でもね、そうじゃないことが最近わかってきたの」


「人間は、何らかの耐え難い事象があったとき、それに耐えうる人格を創造する。」


「もしくは、2つの人格でその事象に対応しようとするの。」


「心あたりはないかしら?」


「多分あると思う」



 

 俺が二重人格になる引き金の事件は高校3年生の冬に起きた。

 その日、俺はいつものように学校から家に帰宅していた。

 居残りをして帰ったから家に着いたときは夜8時ぐらいだった。

 それなのに家の電気がついてなくて変だと思ったけど、その時は特に気にせずに家の中に入る。

 電気をつけると知らない男がいた。

 そして、おびえた表情の妹と母さん、父さんが壁に追い詰められていた。


「あれぇ? まだ誰かいたんだ......」


「あ、あの、うちの家族に何か用ですか......?」


 かろうじて声を絞り出した。


「何か用? 何か用ねぇ...... 強いて言うなら教育だよ」


「きょ、教育ですか?」


 何を言っているのか理解できなかった僕はとりあえず相手の言葉を復唱した。


「そうそう、教育。 君らは何にもわかってないんだからさ」


「ああ、いいこと思いついた」


「君にも教育してあげよう」


「お、おにぃちゃん...... 逃げて!」


 そう言って男は手にナイフを持ち、家族の方に突きつけた。


「妹か両親、どっちか選ぶといい」


「え......?」


「だーかーらぁ、妹か親だよ。どっちに生きててほしい?」


「いいの? 選ばないなら両方やっちゃうよ? もともとはその予定だったんだし」


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


「待ってくれぇ? それが人にものを頼む態度ですかぁ?」


「ま、待ってください......」


「そうそう、目上の人は敬わないと」


 この時、俺はどちらかを選ぶことなんて考えてなかった。

 どっちも助ける。それだけを考えて最善の行動を模索していた。

 昔から誰かを助けるヒーローにあこがれた。

 こんな限界の状況だったけど、みんな救えば英雄だと浮かれていた。

 いや、ぎりぎりの状況下で気が触れていたのかもしれない。


「まだ決まらないの~? 早くしないとやっちゃうよ? じゅうぅー、きゅうー、はぁち......」


 そこで俺は勢いよく男に体当たりした。

 男は吹き飛び、ナイフも手放している。

 俺は勝利を確信して興奮したまま、家族に叫んだ。


「逃げて! 早く!」

 

 自分の叫び声が反響している。

 ほかの音が存在しないかのように。

 なんで、みんな動かないんだ。


「あーあ、いたいなぁ。君には失望したよ」


「2択を選ばずにどっちも殺した最低野郎が」


「え......?」


 殺したといったのか。

 いや、そんなはずはない。

 こいつはナイフを手放しているし、触れてすらいないじゃないか。


「ああ、大体考えていることはわかるよ? なんでその状況で殺せるんだってことでしょ?」


「それはねぇ、教えてあげない。」


「じゃぁねぇ、せいぜい自分の選択を後悔して余生をすごしな」


「いつか、また会ったら楽しませてあげるさ」


 そう言って奴は去っていった。

 俺はまだ信じられなくて母さん、父さん、妹の鼓動を一人づつ確かめていった。

 手首を青あざができるぐらいに締め付けた。

 それでも、脈が感じられなかったから胸に耳を直接押し当てた。

 聞こえない。鼓動を感じない。

 自分の感覚器官がおかしくなっているのだと思った。

 そして、自分の胸に手を当てた。


 ドクン、ドクン、ドクン


 今まで感じたことがないくらい早く、力強く鼓動していた。

 そこですべて悟ってしまった。

 もう誰も生きていない。

 多分、これが俺と僕の始まりだ。

 

 あの2択を選べなかった。

 どちらか選べば少なくとも一方は助かったかもしれないのに。

 選択できなかった原因は俺の驕りと英雄願望だ。

 故に、俺は極端に自信がない人格を創造したのだと思う。

 それが”僕”ということだろう。


 


「で? もう一人の人格がランダムじゃないことが何か問題なのか?」

 

「そこまでは大した問題じゃないわ」


「けどね、そのとき同時に”大義”と”異能”を宿すのよ」


「大義と異能?」


「そう、大義にもいろいろあるけれど、大体自分が多重人格になった原因を排除するように生み出されるわ」


「例えば、身近な人を守れなかった。それは自分が弱いからだ。」


「そうして”弱き者は悪だ”という大義をその身に宿すの」


「それは、なんというか、とても歪んでないか」


「そう、そう感じたあなたは正しいわ。どこかおかしいけれど、彼らが耐え難い現実に対抗するための思想。それが大義よ」


「でもね、そういった歪んだ人たちはどこかで”堕ちる”ことがあるわ」


「堕ちる?」


「2つ目の大義を持つ人格に元の人格が吞み込まれることよ。そして堕ちた人達をそのまま”墜ち人”と呼んでいるわ」


「なるほど、なんとなくわかった気がする。元の人格が消えてない俺はまだ堕ちてないってことだよな?」


「そういうことよ。次、異能の説明してもいいかしら?」


「ああ、頼む」


「といっても異能は異能なんだけどね」


「どういうことだ? 俺の想像する異能は火を噴いたり、念力で何かを動かしたりするやつだぞ」


「それであっているわ」


「あってんのか!?」


「そう、そういうものよ。私が生きているのも異能のおかげ。わかった?」


「あ、ああいや、確かにそうでもないと死んでるのか...... 死んでいる......?」


 俺はなにをやっている。

 まず最初にやらなければならないことがあったはずなのに。

 それを忘れて、のうのうと会話するなど許されることではない。

 俺は、この女を殺したんだ。

 今眼前にいるかもしれないが、殺した。

 そして、謝罪の機会が与えられているのだ。

 真っ先に詫びるべきではないか。


「すまなかった、俺は君を殺してしまったんだ」


「今更何を言ってるのかと思うかもしれないけど、本当に、本当にすまなかった」


 彼女はきょとんとした顔でこちらを見ていた。

 何やら悩む様子を見せてほほ笑む。


「いいわ、別に。ただその代わり、2つお願いを聞いてくれるかしら?」

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