俺の決断
「僕に殺させてくれないか?」
これが通らなきゃそもそも終わりだ。変なことするよりこの教授相手ならストレートに言った方がいいと思った。
「それは却下します。」
「なぜだ? なぜ僕がやったらいけないんだ?」
「うーん、なんとなくでしょうか」
なんとなくが一番困る。崩す論理がないからどうしようもない。こうなったら強引に説得するほかあるまい。
「僕は!! 自分の罪は自分で背負いたい!!」
「ほう?」
「もし陽彩をお前に殺させてしまったら僕は逃げることができる。理不尽だった、どうしようもなかったと!!」
「そうやって自分の罪の大きさを見誤る。本質的に殺人も見殺しも同じはずなのに!!」
「だから、僕は自分の手で殺さなきゃいけないんだ......」
「頼む......せめて僕に罪を背負うことだけは許してくれないか」
「一生陽彩の死から逃げ続けたくないんだ。死ぬほど苦しくても陽彩の死は僕だけのものだ。」
僕は精一杯答える。ただ必死に感情的に口を動かす。僕の願いが教授に伝わるように。
人は時として論理よりも感情に動かされる生き物だ。だから、教授が僕の熱意で動いてくれることを祈るほかない。
「死や罪なんて背負ってもろくなことがないですよ」
「私自身が経験したからよくわかります」
「やめておきなさい、そんなこときっと死者も望んでないのですから」
教授の声は落ち着いていた。いつもの授業をしている教授のようにも見えた。
「最後にこれだけ残しておきます。あなたは普通に生きなさい。普通で平凡でいいのです。
それを幸せと感じる訓練をし続ける方が、特別になることよりも余程重要なことです。」
「どういうことだ?」
「ああ、気にしないでください。まあいいでしょう。さっさと始めましょうか」
「ま、まってくれ! 本当に俺がやっちゃだめなのか......?」
最後にダメ元で聞いてみる。
「あ、ああそういう話でしたね」
「いいでしょう」
「先ほどまで何故否定していたんでしょうかね......」
「え......?」
「じゃあ、始めましょうか」
「これを貸してあげましょう。」
そう言って教授は手に持っていた長剣を僕に向けてほうった。
僕は足元に落ちた長剣を拾い上げる。
その剣は思いのほか重量があり、これを片手でやすやすと扱い生徒を屠った教授の異質さを感じた。
僕は、陽彩のところへ歩みを進める。一歩一歩が鉛のように重たかった。
「ああ、なんにもないと抵抗できてしまいますから拘束しておきましょうか」
陽彩の足元から鎖が現れ、両足首、両手首に巻き付き、磔のような形で固定された。
「さて、これで準備は整いましたね。いつでもやって構いませんよ。ああ、でもあんまり遅いと私も我慢できなくなるかもしれません。」
僕は非常に困っていた。磔状態にされてしまったら、陽彩が倒れることはできない。
死の偽装計画がそもそも破綻することになる。
幸い、教授は陽彩の背後に立っており、僕ら3人は一直線に並んでいる。
刺すところと流血さえ、偽装できればうまくいくかもしれない。このまま”俺”に体を預けて実行するべきだろうか。
それともこの磔をどうにかするよう教授を説得するか。
「黙っちゃってどうしたの?」
「え......?」
「私はいいよ。私が死ぬことでみんなが助かるならそれでいい。
偽善者っぽいセリフだけど最後ぐらいかっこつけてもいいよね。
それに私は幸せだよ。
最後は明人に看取られて死ねる。
いっぱいいっぱい幸せをくれた明人に殺されるならそれはそれで満足だよ。
だから、早く...... みんなを救うんでしょ......?」
「わかった......」
そう口にした瞬間、僕の意識は刈り取られた。
(悪いな...... 俺の決意が鈍る前にやらせてもらう)
”俺”は右半身を少し後ろに倒して、刺突できるように構えた。
呼吸を整え、狙いを定める。イメージしろ。穿つは心臓一点のみ。
少しでも彼女が苦しまないように、完璧な致命傷を与える。
「はっ!!」
剣が肉を貫き、肋骨を砕く感触。そして、人を殺めたという罪悪感。
生命としての同族殺しの嫌悪感。人殺しによるあらゆる反動が一斉に襲ってくる。
酷く頭が痛い。吐きそうだ。身も心も生理的に拒否している。
でも、吐くことも倒れることも許されない。
あいつはこれからもっと辛い目にあうのだから。そして、死者は苦しむことすら許されないのだから。
彼女の心臓から剣を引き抜く。
(耐えろよ......”僕”......)
悲鳴と泣き声がうっすらと聞こえ、僕の意識は覚醒した。
音は遠いし、視界もぼんやりとしている。まるで、嫌な夢みたいだ。
それになんだろう。ひどく気持ち悪い。胃液が喉元までせりあがってきたような感覚。
手に重たさを感じて、そこに目をやる。
「え......?」
手には血塗られた長剣が握られていた。
血を直視した瞬間に強烈な鉄の匂いがする。
一度、胃に戻ったはずの胃液がまたせりあがってくる。気合で飲み込み、吐くことだけは避けることができた。
ああ、そうだった。確か、陽彩の死を偽装するために僕の掌を刺したんだ。
でもなぜだろう。左手は痛くない。確認のために目を向けると普段通り、無傷の手があった。
強烈に嫌な予感がする。
(じゃあ、右手の剣についているこの血は誰のだ......?)
逸る心臓を落ち着けて、意識をしっかり保ち周囲を見渡した。
「ぁ......?」
声にならない声が漏れる。脳がこの事実を受け入れることを拒んでいる。
なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。
なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。
なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。
なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。
なぜ、陽彩の心臓に穴が開いている。
そして、磔にされたまま動かない。
陽彩の周囲一帯の床は赤黒く染まっている。
「それじゃあまるで、死んでるみたいじゃないか!!」
事実を認識した途端、あらゆるものが溢れだした。
周りの生徒たちの視線が突き刺さっているような気がしたが、知ったことか。
「僕がやったのか!?」
右手は力いっぱい動かした後特有のジンジンとした虚脱感が残っている。
そして、手には血が付いた得物。
この状況を自分自身が一番理解しているはずだ。
「いや違う!! ”俺”がやったんだ!!」
傍から見れば、何を言っているのか理解できないことだろう。
ただ、それでも僕は自分の罪を認めたくなかった。
「僕じゃない! 僕はやってない! 僕は陽彩を救おうとしたんだ! 信じてくれ!」
誰に言っているのかもわからない。
いや、きっと自分自身に言い聞かせているんだろう。
僕はやってない。僕はやってない。僕はやってない。
僕は、僕は人を殺すような奴じゃない。
僕はやってない。じゃあ”俺”はなんで陽彩を殺したんだろうか。
「なぜ!? どうして!? おい!! 出て来いよ!!」
普段は脳内で行う会話も激情のあまり口から溢れていく。
”俺”への怒りだけが、今の僕を動かしている。
「ふざけるな! こんな結末あんまりじゃないか!!」
「おい! なんとか言えよ!!」
僕はその後もしばらく叫び続けたが、反応はなかった。
そして、どうしようもなく虚しくなる。
あいつをどれだけ責めたって、陽彩は帰ってこない。
帰ってこないんだ。
「あぁぁぁっ!!」
僕はいつの間にか落としていた長剣を拾い上げ、両手で首元まで持ってくる。
少しずつ、首に刃をめり込ませていく。
数mm入ったところで僅かな痛みを感じる。そして、首筋を伝う生暖かい液体の感覚。
(ああ、このまま死んで陽彩のところに行ければいいなぁ......)
少しずつ、少しずつ剣を首に埋めていく。
進めば進むほど流血は増え、痛みもひどくなる。
もう少ししたら、致命傷だろう。
(やっと死ねる...... きっと僕が行くのは地獄で君は天国だろうけど......)
あれ、剣が動かない。なんでだろう。
まるで反対側から力が働いているような。
そう、誰かが抑えているような感覚。
「死なせない!!」
誰だこいつは?
僕の死を、陽彩に捧げる償いの儀式を邪魔しないでほしい。
「なんだ? お前?」
「はぁ!? さっき話したでしょ! あんたが善意の道がどうのこうのって言ったんじゃない!」
「あぁ、あんときのやつか...... なんの用だ?」
「善行してんのよ! 無駄死になんて私が許さないわ」
「無駄じゃない...... 無駄じゃない!!」
「僕には死んで償うことしかできない......」
「死んだって償いなんてできないわ! 一生背負って生きていくのよ!」
「あなたは死んで楽になりたいだけでしょう?」
「何が、何が楽なもんか!」
「お前に僕の何がわかる!? 陽彩は僕のすべてだったんだ!」
「すべて失ったんだ! だから僕そのものさえも消えるしかない......」
「ああ! もううっさいわねぇ! いいから黙って生きるのよ!」
「どれだけつらくても生きるの! 死んだ人は苦しむことすらできないのよ!」
そういって僕から剣を取り上げて、投げ捨てる。
これで僕は死ねなくなってしまった。
「頼む...... 誰か僕を、俺を殺してくれ。陽彩のために復讐してくれ」
「誰もそんなことしないし、させないわ」
「誰か僕の罪を裁いてくれ」
「いい加減にして! あんたは何も悪くないでしょう!? 全部あいつが悪いの! あの教授がすべての元凶」
「とにかく、あんたは被害者面してたらいいの!」
僕が被害者。なんて甘言だろう。
その言葉に溺れてしまいたい。
でも、僕にはそれができない。許されない。
もうこれ以上何も聞きたくない。
「うるさい、うるさい、うるさい! 黙ってくれ! 一人にしてくれ......」
(いや、自分から一人になればいい。ここから抜け出して逃げてしまおう。)
僕は無言で走り出した。