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狂気の哲学

 次の日の4限。今日最後の授業は哲学だ。陽彩と一緒に講義室へ移動していく。

 これから授業を受ける講義室はとても広く、席はざっと10行と20列程度ある。

 陽彩と隣でとりあえず真ん中ぐらいの空いている席に着き、そのタイミングで始まりのチャイムが鳴った。どうやらギリギリだったらしい。

 教授は出席を取った後、授業を淡々と進めていく。


「今日のテーマはニーチェ哲学です。

 ニーチェは永劫回帰や神は死んだなど様々な思想や金言を残しましたが、今回は末人について話しましょう。

 ニーチェは1800年代後半の哲学者であり、将来末人が現れると予言しました。

 それではまず、末人とは何でしょうか?」


 当然のごとく誰も答えない。わからないというのもあるだろう。

 しかし、そもそも大学教授の問いかけなど、学生にとっては聞き流しの対象でしかない。

 ほとんどの生徒が教授と目を合わせないように手元のスマホに熱中している。

 スマホでやっていることはゲームか漫画を読むか、誰かに返信する。そんなところだろう。


「簡単に言ってしまえば、夢もなく希望もなく毎日を惰性で消化するだけの人間。

 安易に快楽を求め続けるだけの人間のことです。」


 そして、誰も答えないから教授は淡々と授業を進めていく。なんの生産性もないいつもの光景。


「言ってもわからないようですから、もっと具体的に言いましょうか。

 今、この授業を受けながらスマホで動画を見て、早く授業終わらないかなと考えながらただただ時間を浪費しているあなたのことですよ。」


 そして、その一言でいつもの光景は唐突に終わりを告げる。

 教授の声は怒気をはらんでいるように感じられた。

 みんなこの瞬間だけは教授の声に耳を傾ける。

 それでもあと5分すれば手元の四角い画面に夢中になることだろう。

 しかし、その予想は裏切られそうだった。


「さて、そんなあなたたち、末人をニーチェは真っ向から否定します。

 もっとも軽蔑すべき人間であると!! 絶対に末人にだけはなってはならないと!!

 では、今まさに末人と化している君たちはいったい何になればいいのでしょうか。

 景くん、答えてもらえますか」


 急に演説かと思う勢いで語りだす教授。一体なにがあったのだろうか。

 その語りは狂気すらも感じさせる。生徒たちも気になるようで教授の豹変っぷりについてこそこそと話している。


(俺、真面目に受けてたのになぁ......)


「超人......ですよね......?」


「さっすが明人! 物知りだね~」


 陽彩にからかわれるがめんどくさいので一旦無視して授業を聞く。


「正解です。よく知っていますね。ニーチェは超人を目指すべきだと言いました。

 超人に到達するステップはいくつかありますが、最終的に行き着く先は子供です。

 では、なぜ子供なのでしょうか?そこの君」


 俺の右後ろぐらいに座っていたやつが指名される。


「ええと、なぜ超人とは子供かですか。うーん、ニーチェは末人を否定するような思想家だ。

 だったら超人はきっと夢や希望に満ちあふれていないといけない。

 その象徴として無邪気である子供という表現をしたのではないでしょうか。」


「いい答えです。ほとんど正解と言っていいでしょう。

 ただ、どうやらあなたは末人に肯定的なようですね......

 なぜでしょう!? 理由を聞かせてもらっていいでしょうか」


 別に肯定はしていなかったと思う。そう心の中で突っ込みながら僕は教授にターゲットされた不憫な生徒の回答を待っていた。


「別に末人に肯定的なわけではないですけど、そういった人達を真正面から否定するのもなんか違う気がして......。

 うーん、誰だってなんのやる気も起きない時期だってあるだろうし、そういう人もいつかまた頑張るようになるかもしれない。

 まぁ、うまくまとめられないけどそんな感じです。」


「まぁ、いいでしょう。皆さんは今の考えはどう思いますか。

 何か意見のある人は言ってくれると助かります」


 僕も基本的に同じ意見だ。それに、違う意見だったとしてもこの静まり返った教室では言い出しづらい。

 体感10秒ほど経過したがやはり誰も答えず、沈黙が続くだけだった。


「はぁ...そうですか......誰も意見はないですか......本当に残念です。

 さっきの君、ちょっとこちらまで資料を取りに来て配ってもらえますか」


「あ、はい......」


 そうやって先ほど質問に答えた生徒が呼び出される。

 生徒はなんで後ろの方に座っていた自分が呼ばれるんだと思っているんだろう。

 しぶしぶといった様子で教授の前まで歩いていく。


「先生、その配布資料はどこに?」


「ああ、そんなものはないんですよ」


 何故か生徒の首を見据え、教授は答える。


「はぁ......?どういうことですか?」


「私は君が前に来てくれればそれでよかった。そういうことです」


「だからそれってどういう......っ!!」






 青年の首から噴水みたいに飛び散る鮮血。

 教授の手には赤く染まったこの場に似つかわしくない煌びやかな長剣。

 どうなっている。わからない。わからない。何が起きているかなど誰がどう見ても明らかだ。

 でも僕には理解できなかった。いや、きっと誰もが何が起こったのか理解するまでに数秒要しただろう。

 多分みんな理解したくなかったのだ。わかってしまったら恐怖に押しつぶされそうになるから。


ゴトンッ!!


 先ほどまで青年だった体が崩れ落ちる。そしてようやくみんなは気づく。


「「「きゃああああぁぁぁ!!!!」」」


「な、なんだよこれ......!! な、なんで先生が」


「と、とにかく逃げなきゃ!!」


「あと救急車だ!!」


「無駄だ!! あれで助かるわけねぇだろ!! それより警察呼べ!!」


 阿鼻叫喚、誰もが我先に逃げようとする、気遣いもなにもない。地獄絵図の出来上がりだった。


「皆さんちょっと黙っていただけますか......あと、逃げようとしないように」


「まぁ、どうせ無駄な努力ですけど」


 教授の声はスピーカーを通しているからかこの状況でもよく聞こえた。

 ただ、みんなその言葉を理解できるほど冷静じゃなかったのだと思う。


「な、なんで扉があかねぇんだ!!」


「どけ!!お前が下手なんだよ、俺が開ける!!」


「無駄ですよ」


「ここは封鎖してますし、電波もつながらないようにしています」


「いい加減逃げられないことを理解していただけませんか」


 それでも皆は必死に足掻き続ける。なぜなら死にたくないから。

 あれだけスマホをいじって無気力だったやつも今は活力にあふれている。


「静まりなさい!! まだ授業中ですよ......」


 教授の怒声で教室は静寂に包まれた。


「もう一度言います。今は授業中です。皆さん席についてください。」


「くっ......」


 皆、恐怖で体を震わせながら席についていく。

 教授に近づきたくない一心で後ろの方から席が埋まっていく。

 そして僕たちはというと、前から2番目の席にいた。とはいえ最前列はいないから実質ぼくらが一番前だ。

 一応、こうなったのは陽彩のせい、いや、おかげだ。






 あの生徒が殺された時、僕は


「に、にげなきゃ!!」


「どうせどこにいても危険は変わらないわ」


「な、なに言ってんだよ!!」


「落ち着いて......あそこを見て」


「逃げようと必死になった結果、下敷きになってもみくちゃにされてる」


「ああはなりたくないでしょ?」


「で、でもそれならどうすれば」


「どうせ逃げられないって教授もいってたでしょ?」


「それなら素直に待って隙を伺った方がいいわ」


「限りなく低い可能性だけど普通に開放してくれる可能性もあるんだし」


 僕の頭を優しく包み込んで彼女は言った。


「安心して......私が絶対守ってあげるから。」




 陽彩のおかげで多少は心が落ち着き、そして今に至る。

 ただそれでも今からのことを思うと不安で押しつぶされそうだった。

 僕はまだ死にたくない。実際に人が死ぬところを見せられてその思いがより強くなった。


「さて、授業を再開しましょうか」


「まず皆さんに問いましょう。これはなんの授業でしたか?」


「......」


「無言が5秒続いたらそのたびに一人殺していくことにしましょうか。授業態度が悪い生徒は罰しなければなりませんからね」


「「て、哲学!!」」


みんな震える声でがむしゃらに叫ぶ。死の恐怖を前にすれば、どんなやつでも従順にならざるを得ない。


「はい、よく答えられました。それでは始めましょうか。究極の哲学を!」

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