幕間1、敗れた者の末路
時を少し送らせて、それから四日後。
藍影国、国都、雛安の趙家大院にて。
早馬をつかって国都にまで舞い戻った老鬼は、その足で此度の依頼人である趙家の邸を訪れていた。
無論、髑髏の半面をとり、身なりも袍(筒袖の長衣)に変えた公人姿である。
頑強な岩から削りだしたような精悍な面をさらし、左目の眼帯で半分閉じた視界より、世を淡々と見つめていた。
ただいまは客間まで通され、人払いをされた上で、家主の趙へと膝をついている。
豪奢な調度品の数々に、でっぷり肥えた太鼓腹をこれまた豪奢な衣装で包む依頼人。
国有数の大家だけあり、名実ともに肥やした私腹が目の前に広がっていたが、顔色一つ変えずに老鬼は低い声で言い放った。
「――以上が此度の顛末となります。茶家の一族郎党、みな殲滅は完了。傷痕はみな獣の痕跡に似せ、蟲人どもの仕業と見せかける手筈は整っております」
「ふむ、宜しい。さすがは百鬼衆だ」
「恐れ入ります」
首を深くうなだれさせて辞儀をくれる老鬼にたいし、自慢の口髭をひめる手をとめて、「それにしても」と趙は続けてきた。
「茶家の至宝と黙される“陰陽の勾玉”は見つからなんだか?」
「は。処理を完了した頃には、すでにその手で砕かれた跡があり。死なば諸共との覚悟であったと思われます」
「ふぅむ……確かにあれは意志の力だけは人一倍あったからな。でなければ、蟲人どもの庇護を目論むなどあるはずがない。……蟲人は恐ろしい生き物だ。首輪をつけて飼い慣らしておかねば、おちおち昼寝もしておられん」
再び今度は顎髭をしごきだす。と、その手が止まり、ふと扉のほうを見た。即座に老鬼も居住まいをただし立ち上がる。ほどなく扉が叩かれ、趙が応じれば、家人が滑らかながらも慌ただしい足取りでもって入室し、趙の耳元で囁いた。
趙の細目が見開かれて、ふと面白そうに含み笑うや老鬼を見た。
「“我らが龍”がお呼びだそうだぞ、鄭大人」
「……なるほど。然らば、今日のところはこれにて失礼いたします。後ほど改めて使いを送りますゆえ」
隠しようもなく溜息――を抑えて小さく鼻息をもらす老鬼に、今度こそ太鼓腹を揺らし、趙は笑った。
「よい。“我らが龍”に宜しく伝えてくれ」
そんな鷹揚な言葉を最後に、老鬼――鄭義敢はその場を後にしたのだった。
※※※
再び馬をつかい、王城、蒼天宮へ向かう道すがらだ。義敢は鎮痛薬の効果が切れかけているのに気がついた。疼くように両腕の骨折箇所が痛み始めたのだ。
これから会う待ち人を思えば、万全の体調を整えておきたいと判ずるのは当然だった。
が、城に常駐する典医に薬をもらいに行く折だ。厄介な相手と出くわしたのであった。
城の回廊でその人物とは出会った。対面側から車輪のまわる音が聞こえた折には、一瞬引き返す選択肢すら頭をよぎったものの、結局義敢は受け入れて進んだ。
ゆっくりと車輪が石畳を噛む音が近づいてくる。と同時に、義敢の鍛えられた嗅覚が、血と膿と薬草の濃い匂いをかぎ取った。
そうして、まもなくそれは訪れた。
「ほう。これはこれは鄭大人。ここでお会いするとは……薬が入り用ですかな?」
頭の先からつま先まで、膿と膏薬まみれの包帯に包まれた異形――いや、道士。
彼はねっとりとした声と口調で問いかけてくる。
「瑗匣道士」
呼ばれて、包帯の隙間から覗く唇を笑わせた。下女に押させる車輪付きの椅子を止めて、身を乗りだすなり、不躾にも義敢の検分に入る。
「傷は両腕ですか。貴方ともあろうものが珍しい」
「不覚をとってな。これから鎮痛薬を貰いにゆくところだ。失礼」
「まあ、待ちなさい。先日、ちょうど新しい薬丹を練りましてな。お一ついかがです?」
下女が椅子の収納を漁り、陶器の入れ物を取り出した。蓋を取ると、柘榴の実とまがう艶めく赤い薬丹がみっしりと詰め込まれている。
一見して、王侯貴族が好む、華美にして美味なる菓子によく似ていたが――。
やはり顔色一つ変えずにきっぱりと首を振る義敢に、瑗匣は喉を鳴らし笑った。
「結構だ。またそれも被験者を募っている類のものだろう、道士」
「ひゃっひゃっひゃっ。さすがは大人、目も耳もお早いことで」
「もう行っていいか。……貴龍公に呼ばれているものでな」
「ああ」
言われてようやく気付いたというように瑗匣が声をあげ、下女が入れ物をしまう。
「これは失礼を。……そういえば、来る折に部屋の付近を通りましたが。宥める侍女らの哀願に破砕する壺なにがしか。えらくご立腹のようでしたよ」
盛大に舌打ちをしそうになり、義敢はごく軽く唇を結んだ。
その状態の待ち人を知りながら声をかけてくるとは。自分がどんな目に遭わされるかを知った上で、行く手を塞いだのだろう。
これだから、この御仁は性質が悪い。意地が悪いというべきか――。
「薬が入用のときにはいつでもお声がけあれ」
性根がねじ曲がっていた。
一挙に脱力感が生じるも会釈をして義敢は通りすぎる。その背中をじっと瑗匣は見送り、そしてそっとほくそ笑むのだった。
※※※
そして、ようやく待ち人のまつ部屋へと到着することができたのは、趙家を辞してから、ゆうに一刻(二時間)をまわった後のことであった。
薬の効きもそこそこに早足でむかうと、閉めきられた扉の前で、手に手をとって震える侍女たちという状況に出くわした。
義敢を見ると一様にほっとした顔で、涙を浮かべてすらいる者もいる。彼女らは口々に言い募ってきた。
「鄭大人……!」
「お帰りをお待ち申し上げておりました」
「貴龍公さまが……」
状況の逼迫さが彼女らから礼を奪っていた。が、致し方ない。長らくの恐怖にさらされ続けたのだから。
皆まで言うなと義敢は片手をもちあげた。深いふかい溜息をつきながら。
「分かっている。私がいいと言うまで誰も部屋に近づけるな」
そう言って、下がりゆく侍女らをしり目に扉へと向き合った。
“えらくご立腹らしい”部屋の主だったが、今は不気味なほどに静まり返っていた。
「貴竜、私だ。入るぞ」
断わりにも返事はない。
扉を開けるなり目に入った惨状に、義敢は片方しかない視界を塞ぎたくなった。
ぼろ布同然に破られた幔帐、毛足の長い絨毯に絡む破片は、一つで蒐集蟲人がまるまる二人は買えるほどの壺に違いない。仲よく入り混じる花瓶の破片も確認した。
花瓶の水が、打ち砕かれた書架より零れ落ちた本を濡らしていた。点々と零れるそれを辿って室内へと踏みこむと、壁に開いた幾つもの穴とも対面することができた。
これを修繕するのにまたどれぐらいの金が要るのだろうと頭が痛くなりながら、義敢は口をひらいた。
「戻ったぞ、貴竜。またえらく……やらかしたようだな」
そう言って首を巡らせると、目的の人物は牀で膝をかかえて丸くなっていた。
雪のように白く荒れ果てた髪をもつ青年だった。自分の膝に顔をうずめたまま動こうとしない。
溜息まじりにもう一度、その名を呼ぼうとしたその時だった。
「貴――」
『失敗したんだ』
ぴくりと肩を揺らす義敢に、かまわずに青年――貴竜は続ける。
『失敗した。哥哥を連れ帰れずに、おめおめと戻ってきたんだろ、義敢』
「……なぜ、それを」
『地気が教えてくれた。哥哥は起動してる。まったく別の契約者を連れてな』
義敢はおもわずと目を見開かせた。別の契約者、と聞いて、思い当たる人物がいたからである。生きていたのか、などと――言う暇は微塵もありはしなかった。
目の前で貴竜の首がぐらりと持ち上がったからだ。降りた前髪の隙間より、炯々(けいけい)と光る眼が義敢を貫いた。ひっそりと唇が弧をえがく。
『っっへええ~~、それに怪我して帰ってきたんだ? 成果も得られずに怪我して帰ってくるなんて』
「っ、これは――」
『言い訳は聞かない』
その足が一息に牀で折り畳まれ、前のめりに身が乗りだされた。
義敢はハッとし後足をひくも、貴竜の宣告のほうが早い。
『お仕置きが必要だな』
一息に飛びかかってきた。その跳躍はひと跳びで義敢に肉薄し、上から押し潰した。なんとか受け身はとったものの、反射的に顔をかばう腕を取られ、勢いよく頭上に縫いつけられる。強かに床をうつ両腕から衝撃が骨に染み入った。
「ぐ、ぁあ!」
『良い声で鳴くじゃん? でも、まだまだだね』
ぺろりと舌なめずりするなり、義敢の襟元に手がかけられる。
音をたてて釦がはじけ飛んであらわとなる喉元、引き攣れた皮膚もなまなましい傷痕へ、ぞろりと湿った冷たい舌が這わされた。
ぞくりと背筋を総毛だたせ、おもわず顔そむけて義敢が声を絞る。無駄だと分かっても言わずにはいられなかった。
「落ち着け。すぐにでも食事の準備にかかるゆえ。報告もその折――」
『だから言い訳は聞かないって。それにオレは今食いたいの』
はあっと冷たい息がかけられ、本能的な捕食への戦慄に奥歯をかみしめる。
最後の望みをかけ、義敢は声をはりあげた。
「よせ、貴竜!!」
『――……』
ぴたりとその動きがとまった。貴竜は口をひらいて噛みつく寸前で、義敢を上目に見上げている。
じっと見つめ合った後につめていた息を吐きだした。
風水僵尸は契約者にのみ従う責務をもつ――契約者のみが風水僵尸に命じる権利をもつ。その原則を突いたわけであった。
が。権利はあくまで権利に過ぎず、また主従の在り方も風水僵尸個々で異なってくる。
義敢と貴竜の場合は――現状、組み敷かれる側とそれを捕食せんとする側だ。どちらに力の比重が傾いているかは、火を見るより明らかだった。
黙って言うことを聞く玉かどうか、まずそれを考えるべきだったのだ。
油断した義敢を前に、ふいと貴竜は目元を笑わせてみせた。そうして、ゆっくりと見せつけるように牙を刺しこんだのであった。
安堵したところからの急転直下である。さすがの義敢も、堪らずに身をのけ反らせて、抑えきれぬ叫び声をあげた。
「ヅ、っぁあ!?」
『……ふふふ、良ーい反応。ソソるじゃん』
「ぅッ……ぐ……っ!」
ふるえる喉仏の横、太い命脈に喰らいつかれている。
しきりと目を瞬かせながらなんとか衝撃から脱し、堪えるべく拳を握りしめた。歯をくいしばって痛みをやり過ごそうとすると、察したかのように牙がぬけて――平たく尖った人の前歯で傷がこじ開けられる。
「っぐぅ、あ……ッ! ぅ、ふ……ぁ、う! っ、く、ふ――」
そうして、溢れ出る血を吸われる。この繰り返しがおこなわれた。
慣れぬようにか、臼歯を使ってすり潰された時など、涙が滲んできた。
まるで、捕らえた獲物を悪戯に痛めつける獣だ。執拗な責め苦であった。
指を反らせこじらせ腕を抜かんとするも、掴まれた腕はぬけない。どころか、そうした抵抗を楽しむがごとく、一度だけ拘束の手が緩んだ。当然、義敢は逃れようとするも、先にも増して、両腕を強く叩きつけられて悶絶する運びとなった。
おもわず舌をうつと、ひときわ深く牙が埋め込まれる。
涙でにじむ視界をとざし、ただひたすら責め苦が終わるのを、待つより他はなかった。
やがて、さんざん蹂躙された傷口に、濡れた舌の感触がはう。
びくりとまた力なく身を強ばらせるものの、反面やっとつぶっていた目をこじ開けた。
瞬き涙の粒を潰すと、滲む視界のなかで、顔中を血まみれにした貴竜が笑っているのが見えた。
『ひっでえ面。色男が台なしだ』
「っ……だれの、せいで」
『んー? そもそも、誰かさんがオレを怒らせんのが悪いんじゃないの?』
歯列を剥きだし微笑む貴竜に、先までの痛みを思い起こし身がすくんだ。蛇に睨まれた蛙よろしく固まる義敢に、肩をすくめて、貴竜は口元をぬぐい覆い隠した。
『まあ? といっても、理由の一つぐらいではあったんだけどね。なんだかんだ失敗したとはいえ、やっぱり哥哥が起動したみたいだから。コーフンしちゃったんだァ』
手の甲をひと舐め、悪びれた風もなく笑う彼に、遅れて義敢は肩の力を抜いた。そうだ。そうだった、こいつは、と安心と得心がいく心持ちであった。
《陽之起流型》風水僵尸、貴竜。取り逃がした《陰之断流型》とは対をなす機具であり、妙におのが対へと執着していた。此の度、義敢が出撃したのも半ばこの僵尸のおねだりが起因していた。
赦されたとみて油断する義敢に、ふと何気なく手が伸ばされる。ひょいと横抱きに抱えられて、おもわずぎょっとしては身をよじった。
「っ、おい」
「ん?」
途端にまた微笑みが返されたため、完全に抵抗する気を失くした。義敢は溜息をつくなり、したいように任せて牀に転がされる。
筒袖をまくりあげ、腕を片方ずつ検分して添え木を直すや、貴竜は右手に光る白もやを纏わせだした。指先から順に腕、肩、胴体と手をかざし触れて、もやを染み渡らせていく。
その感覚は暖かく、湯に浸かっているのにも似て、義敢の意識は急速に凪いでいった。ほうと息をもらすと、先とは違って穏やかな笑みをうかべた貴竜と目が合った。
『で? 進捗はどうなの。見つかりそう?』
「ああ。契約者側の身元はほぼ割れている。白墨党に属する冒冽花だ」
『白墨党ねえ。あれだろ? 蟲人たちの自由と権利を主張するだなんだ~ってやつ。そのくせ、手口は荒っぽくて盗みも破壊もする恐怖分子だって話だぜ』
「誰から聞いた」
『趙梅安から聞いた~』
先ほど会ってきたばかりの太鼓腹――否、貍親父であった。
深ぁい溜息をついて、額に片腕をのせて天井を見る。
「そういうことだから、数日過ごした後また出てくる。……あまり妙な輩から情報を吹きこまれぬようにしろ」
『はぁい』
堪えた風のない貴竜に顔を覆う。と、ふとその手を退けて、今度は義敢のほうから見返した。
「そうだ。お前の毒をまたよこしてもらおう」
『なに、使ったの?』
「冒冽花にな」
『げ。女の名前だろ? 冽花って。女相手にえっぐいことするなあ」
言葉のわりに興味津々に牀のふちに頬杖をつくため、義敢は頷き返した。
「猫の蟲人だったからな、動きを鈍らせるのに適していた。……それに、後のことを思えば、それすら足りぬ処置だったように思う。奴は途中から、俺の力と拮抗し相殺する力を使ってきたのだからな」
『なにそれ。まさか陰気?』
貴竜がぐっと身を乗りだしてくる。
『哥哥と契約して……ってわけじゃないよな? それなら辻褄が合わない』
「そうだ。俺は奴を確実に眠らせて、勾玉を手中に収めるまでいった。そこから目覚めた後に、突如として奴は力を用い始めたのだ」
『……わけが分かんねえな』
「本当に」
男二人で謎の猫娘への不思議に首をひねる。
『でも、蟲人だったら、前世の魂が~云々もあり得んじゃないの?』
「む……」
確かに、と唸らされる説得力が貴竜の言葉にはあった。「どこでその力を」と尋ねた折に、彼女自身も言っていたではないか。
“可愛い隣人が、女の顔と腹ァ狙う賎貨をぶちのめすために教えてくれたのさ!”と。
それに――ふと、左目の眼帯に触れる。義敢の瞳が遠くなる。
思い出すのは、灰色のもやがかる空間。腰までの長い髪を掬うようにし顔を覆って泣く、女の――。
黙り込んだ義敢に気付いたのだろう。しばらく黙していたものの、貴竜が話しかけてきた。
『義敢、義敢ってば』
「……ん。……ああ」
『ぼっとしてるぜ。疲れてんじゃねえの? このまま寝ちまえよ。傷のことは――今侍女呼ぶからさ』
ぼんやり瞬いていると、笑って額を撫でてくる。
この青年はこういうところがある。ひどく気まぐれで、乱暴を働いたかと思えば、こうして酷く甘やかしてくることもあるのであった。
そのこともまた、義敢にとある風景を思い出させる。
よろつく足取りを気遣って、手を繋いで先行する青年。ぱっと木立ちが開けた先に見た、満開の桜の樹木。二人で見上げて、笑い合った男女の姿を。
意識がじょじょに遠のきかける――これで眠りに落ちられたなら、どれだけ幸せだっただろう。が、寝入る寸前だ。ふと頭をよぎる言の葉があった。
『義敢ってば。ぼっとしてるぜ』――“ぼっとしてるんじゃないよ、老鬼!”
「……ぐい、ろん」
『ん?』
額から手が離れ、今しも牀わきから気配が遠のく。そんな時機であった。
義敢はあがいた。重たく体をくるむ真綿のような眠気から、ようやく片手だけでも持ち上げて――その手を冷たい手が捉えた。両手で挟みこんで、再び貴竜が傍らに膝をつく。
『どうしたの? 何かまだ言いたいことでもあるの?』
そっと近くに顔が寄せられたため、回らぬ舌を懸命に動かし義敢は続けた。
「きえ、たんだ」
『消えた?』
「あのとき……まお、りーほあ、は。ひかりのわに、まかれて」
消えた。跡形もなく。そしてその後、再び顕現した。
「いきていたのか、と……おまえの、さきの、ことばによって。かのうなのか? いんき、ようきの……ことわりのなか、ならば。ひとをけして、ふたたび――」
義敢には恐ろしくておぞましくて仕方なかった。
いまだに耳に残っているのだ、あの女の悲鳴が。消されゆく冒冽花の悲鳴が。
無駄だと分かってもあがき、最後におのれへ噛みついてみせた。その彼女に、伸ばした手が届かなかったことが、未だに胸にしこりのように残っている。
あの技術は左道のような気がしてならない。人を殺め、人を傷つける自分をして、嫌悪感が湧く。
ゆえに、この世界の理ともいえる陰陽に通じた貴竜へと、否定してほしかったのだ。
そんなことはあり得ない、と。あってはならない事柄なのだと。
否定されたところで存在はする。また“どこからあの技術が供されたか”という疑問が生じるのだが、それには目をつぶって。
貴竜は黙って受け止めていた。考えこんでいるようにも見え、あまりにも黙りこむので、いい加減、義敢の意識も途絶えかけた。だが、ふと口を開いた。
『可能だよ』
貴竜は応えたのである。義敢の思いとは裏腹に。
『理論上は、だけどね。死んだあと……魂は空と地気に溶けて流動し、固まって、また形を得て命に変わるだろう? 蟲人がいい例じゃないか。一部ではあるけど、自分を残したまま新しい形を得てる』
「……っ、ぅ」
『だから、理論上は、人を消して同じ人をまた生みだすってのは可能なんだよ』
おもわずうなって半ば瞼を見開く義敢に、「けどね」と貴竜は指を立ててみせた。
『それってすごく奇跡的な話だぜ? 蟲人や蟲獣を見てみろよ。あいつらは龍脈んなかでごた混ぜになった最たる例だからな。その人を、同じようにまた生み出すのなんざ、それこそ、神様でもない限りあり得ないことだから』
肩をすくめるなり義敢の肩を叩く。やんわりと安心させるよう親しみをこめて。
『だから、それが叶ってるっつーんなら、なんかカラクリがあるはずだ。オレたちでも理解できる理屈がな。なんせ、すべての事象は陰陽に通じてる。陰陽で説明できないことなんて、何一つないんだからな』
そう言って笑う貴竜に、予想を裏切られた義敢は白い目を向けざるを得なかった。
結局、その答えは『理論上は可能だが実際には難しい。できてるんなら、相応の陰陽が働いてるんだろう』という雑把極まりないものだったのだから。
「お前、は……」
『んん?』
「左道ですらも、陰陽だから、で済ませる気か」
少しばかり語気を強めて告ぐ義敢に、瞬いたのちに貴竜は微笑みを深めた。
『それもまた陰陽だからね、仕方がない』
そう言った彼の面には、どことなく達観とも諦めともつかぬ静けさがあった。けれど、義敢がなおも言い募ろうとした時だ。その顔が明確に曇ったのである。
『ただ……』
「ん?」
『そういったことができそうな人に、一人だけ心当たりがあってね』
「なんだと?」
眉をひそめる義敢に、言うべきか迷った風だったが、貴竜は口にしてきた。
『オレ達の開発者だよ』
「……っ」
今度こそ、今こそ義敢は、溜まりにたまった鬱憤をこめて、舌打ちをもらした。同時に頭痛をおぼえて額を押さえうめく。
「…………俺は寝るぞ、貴竜」
『うん』
「後のことは起きてから考えることにする」
『うん。晩安、義敢』
また額をはずむ冷たい掌があり、今度こそ貴竜は立ち上がって廊下へ出ていく。
その場に静寂が訪れる。義敢は深い溜息をついて額に腕をのせた。天井をみあげる。
「まったく。まったく……荷が勝ちすぎて堪らない」
忌々しい未知の技術が、よりにもよって『宿敵』の手によるものかもしれないなんぞ。
疲れた体で考えるには、あまりにも重い議題すぎた。
溜息まじりに目を閉じる。
いつしか義敢は眠りに落ちていた。気を使ったことも含めて、負傷、数日の強行軍は、さすがに彼に休息を要した。
目覚めた折にはまた戦いが始まるのだろう。彼が求め、彼が欲する結末を目指すために。その折までのしばしの安息だった。