2-1、石窟に眠る僵尸
気づけば、また気を失っていたようだ。目覚めは最悪だった。
「……あ、つ……っ」
硬い石床のうえで冽花は茹だるような息を吐きだす。燃えるように体が熱く、少し身じろいだだけで重石を手足に括りつけられたような怠さがあった。
口の中いっぱいに溜まった血を吐きだす。その血すら煮込まれたように生温い。
横転がりのまま、ぼんやり瞬いてはその場を見回した。
「ここ……どこ? あたし――……っ、そうだ! ……! いっ、ツぅぅぅ」
どう見ても人の手が加えられた石窟。規則正しく蝋燭がならび、壁に刻まれた文字まで仄かに光を放っている。
神妙不可思議なる空間を眺めている内に、ようやく先までの記憶が蘇ってきた。が、一挙に伏せて起きあがろうとしたため肩口を圧迫して、痛みに悶えるはめとなったのだった。
震えながら痛みの波が去るのを待ち、傷に被せた手を見下ろす。
「……ある」
五指を握り開きした上で、ぺたぺたと猫耳にふれて自身の足にも触れる。ついでに尾を手繰り寄せたところで、新たに溜まってきた血を吐きだした。
「……ん、やっぱり毒も、残ってるんだな。そう、都合よくはいかないか」
床にひろがる血溜まりをみて、ほろ苦く笑った。
先の不可思議なる一連、どうしてだか再構成された自分。
また、あの“真っ黒い力”だ。体に力が湧いて、なんでもできると思われた力に、可能性を見たのであった。妹妹もそんな効き目は告げていなかったし、あくまで冽花の希望的観測ではあったのだが。
「本当、いきなりだったからな。あいつなら毒消しも持ってたんだろーが……あーあ」
ぱたりと手を落とし、その場の冷たい床に懐いた。
この熱は傷によるものだろうか、あるいは毒に由来するものなのか、さて。
「ッ! ……待てよ、まさか、もう燃え尽きるとかじゃ……!?」
第三の可能性に思い至り、その場で飛び起き、振動を頭に響かせてうめいた。
胸の鼓動を速めながら、再び手を握りひらきし表返し裏返し。頭の猫耳に触れ、腰の尾をも検分したものの、どうやらどこにも焦げや欠けはないようだった。
ほっと息を吐きだす。すると安心したためだろうか。今度は焼けつくような切迫感に、喉をおさえて顔をしかめることとなった。
「水、なんてあるか? ここ」
は、と熱に倦んだ吐息でぼやく。後ろを振り向くもそこも壁で覆われており、どうやら奥へ進むほか道はなさそうであった。
冽花は壁を伝って立ち上がった。
「水……っ、水」
おのれを鼓舞するように、ともすればうわ言めいて『水』を繰り返しながら進み始めた。
熱と消耗から、思考は着実に鈍磨しつつあった。
額から溢れ(あふれ)る血が顎をつたい、その下で喘ぐ唇からも血の筋が垂れる。壁に寄せた肩もまた真っ赤に染まり、垂らす指先から血の雫が落ち、後を追いかけだした。
普通なら止血を優先する事態に違いない。たとえ、抗凝固作用のある毒に冒されていたとしてもだ。
だが、不思議と冽花のなかでは渇きが優先されていた。
(水……冷やすもの、欲しい。なんか、冷たいもの……)
その一心で奥へと進んで、やがてどんづまりの一室に差しかかった。
両開きの扉の向こうには、小ぶりな霊廟と言って差し支えぬ場が広がっていた。
さまざまな調度品が置かれる中、大別して三つ。
手前に巨大な香炉をおいて、香炉をはさむように二つ、奥に二つと東西南北を司る四大竜王の像を置く。その中心に置かれるのが祭神という、龍盤では典型的な様式であった。
他と異なる点が一つだけあったが。
それは中央に置かれているのが、大きな硝子棺であるという点だ。
中にはみっしりと赤い液体に管が詰め込まれ、隙間にうっすらと人影が見える。四方の竜王像から伸びる管がそれぞれ繋がれていた。
冽花はぼんやり眺めていた。室内のどこを見ても水盆の一つもありはしない。棺は触り心地がよさそうだが、それ以外に――中身の色を見たところで、彼女の渇きを癒してくれるとは到底思えなかった。
が、諦めきれずに香炉の前まで来て、室内をくまなく見渡そうとしたその時だった。
(あ……符が、貼られてる)
遠目にみた棺に、黄色い符が貼られているのに気付いた。ずいぶん色褪せていたが、綴られた朱墨の朱は健在で、その朱色が冽花の記憶を呼び起こした。
思い出すのは夢のなかで見た場面である。
荘厳な廊下で額ずく二人の人物がいて、一人の面にあの符が貼られていたのだった。
「賤竜」
口に出して、ふらりと歩みだす。指先より零れる赤が後を追いかけていく。
竜王像のまえを過ぎた時、石像の目に一瞬だけ赤い光が灯ったことには気付かなかった。
棺の前まで来ると、符に書かれた内容までよく見えた。掠れかかっていたが、そこにはこう書かれていた。
「勅命、随身……封。賤竜」
身体を折って、符の表面をなぞり唱えた。遅れて指の血が『竜』の字を潰す。
「あ、やべ」
途端に硬いものに罅がはいる異音が生じて、ぱっと冽花は顔をあげた。
見れば、周囲の竜王像に軒並み亀裂が生じていた。あっという間に這うように全体を覆い、自重で倒壊しだす。
ぎょっとして冽花は尻尾を膨らませて固まるよりなかった。恐々と周囲を見回しているうちに、綺麗さっぱり像らは崩れさってしまう。
「…………びっ、くりした……なんなんだ、一体」
びっくりどころの騒ぎではないが、瞬きながら零れた感想はそんな浅いものであった。熱に浮かされた頭は大事を大事とみなさない。
どころか、いましも硝子棺の表面に掌が押しつけられたのを前にしても、瞬く以外の反応が遅れた。
ぱん、とゆっくりと掌が打ちつけられた。続いてもう一度、二度。
ぱん、ぱん――ばん、ばん、ごん!
どんどんと勢いを強めていき、ほどなく拳に変わる。
冽花はさすがに目も覚める心地になり、後ずさりかけた。が、もう手遅れだった。目の前で棺の表面に、罅が入りだしたのだから。
恐いのに、魅入られたように見つめるほかなかった。そんな彼女の目の前で、何度目かの拳が打ちつけられる。その瞬間、棺は打ち割られた。