1、盗まれた勾玉
かたことかたこと、牛車が進む。犛牛(毛足の長い黒牛)に引かせてのんびりと黄色い地平を進みゆく。見渡すかぎりの広大な油菜花畑のなかをいく。
空は青く晴れ渡り、雲は掴めそうなほど近くを飛ぶ。
穏やかな高原の昼下がり。荷台で揺られる冽花もすっかり寛いでは、背を荷物に預けていた。上向くと、降りそそぐ陽光にむけて黒と白の勾玉を翳す。
しばらくその体勢でいたが、ちょいと唇をとがらせるなり唸った。
「うーん……うんともすんとも言わねえや。やっぱこのやり方じゃ駄目なのかなー」
おもむろに勾玉を下ろすと、ふいと思い立って二つを左方向へと移動させる。
「なあ。見てみろよ、ほら。あれが名高い“天杭”だぜ!」
勾玉が突きだされた先には、峨々(がが)たる山脈を引き連れた、巨大な柱が聳え立っていた。
中央より黒白二色に染め分けられたそれは、頂きは雲を衝いて見えず、下は中ほどから先細りし始めて、細った先端で大地を深々と穿っている。
ともすれば穿たれた折に、隆起した大地が、あの山脈群とも捉えることができるだろう。
天を衝いて大地を穿つ杭。略して、天杭。
「この世を支える大龍を刺し止めてるって話だけど……本当なんかねー」
言いつつ勾玉の様子を伺う彼女に、傍らから低い声がかけられた。
『此も深く眠りに落ちていたゆえ。その状態では恐らく聞こえぬぞ』
黙して見守っていた賤竜だ。冽花同様に目深に围巾を被り、昼の今はなるべく大人しくしている。そんな彼の言葉に、冽花は目をまるめて勾玉をさげた。
「真的嗎? これも駄目かー。……んー、やっぱり誰か陽気を使える人探さなきゃ駄目か。……老鬼以外で」
『うむ、老鬼以外でな』
「ぜったい余計なことしかしねえもん。今度こそ横取りされるかもだし」
大事に勾玉を皮袋にしまい、懐に仕舞い直す。ひょいと肩ごしに御者台を見るなり、冽花は声を投げた。
「大叔、あとどれくらいで着く?」
「あと半刻(一時間)ほどで油菜花畑を抜ける。そうすりゃすぐさ」
「そっか、謝謝。やーっと春海に着けるよ。かれこれもう二月とか……っ、んー!!」
腕を頭上にうんと伸ばし、凝り固まった身をほぐす。と、ここで、見上げた先の視界の上部がうす暗くなるのに気づき、冽花は目を瞬かせた。
さらに上へと首を上向かせると、巨大な入道雲がゆっくり頭上に差しかかりつつある。
大きな龍鬚糖(繭状の飴。胡麻やピーナッツ等を包む)みたいな姿に、おもわず和み、冽花は相棒の肩をつついた。
「見ろよ、賤竜。すげえでけえ雲だ」
『む。積層状の雲か……ならば一雨くるぞ。一過性の激しいものがな』
「っぇ……やっべえじゃん! 大叔、全力で逃げて!」
慌てて御者台を振り向く冽花だったが、犛牛を操る男性は気持ちよさげに笑うばかりである。自身の目の前の犛牛を顎でしゃくってみせる。
「はっはっは、無理だなあ」
がったごっとがったごっと。まさしく牛歩の歩みで進む牛車に、冽花は頭をかかえた。
「あ~~~~!!」
まもなく、天の底に穴があいたような雨が降りしきったのであった。
※※※
半刻後。濡れ鼠ならぬ濡れ猫と化した冽花一行は、無事に春海入りを果たした。
春海はおおよそ五百年以上前――かつての五麟時代において、高原防衛の要地とされた都市である。そのため、堅固な城壁にかこまれた城塞都市と言うことができる。
古の歴史をきざむ石畳に、冽花の裾から滴り落ちる滴が染みを作る。
古都の趣に目を傾けるよりも前に、今は着替えと温かい食べ物が欲しい冽花であった。
「あ~~、えっらい目に遭った。ぅぅ~、さぶっ。……っ……へっくし!」
『着替えをどこぞで見繕う必要があるだろう』
「ぅん。……お前はいいよな、気に戻してから作り直せば終わりだ」
『それとて時と場を選ばねばできまい。とにかく衣類を見繕い、当面の宿を探そう。情報収集はそれからでもよかろう』
「おー」
もそもそとその場を移動していく。街の其処ここには綺麗に手入れされた花が咲き誇り、大量の油菜花を積んだ荷台を至る所に見ることができる。
かつては防衛の前線であった都市も、今はすっかり花と緑に囲まれた避暑地と化しつつある。
いい匂いがしたので見渡せば、羊腸面(羊肉ソーセージの中華そば)の立ち食い処や、深鍋からたっぷりの羊杂碎汤(羊肉のホルモンスープ)を碗に注ぐ店。烤肉(串焼き肉)を焼く店に、炒面片(一口麺の炒め物)を炒めている店など。
高原料理の数々をだす屋台が軒をつらね、空きっ腹をかかえた冽花の胃を刺激した。
「あ、あの湯、あったまりそうだ。烤肉(串焼き肉)も……うわあ、小茴香に花椒に……匂い嗅いだだけで美味そう。酒に合いそう~」
『昼間から飲むのではないぞ』
「わーかってるって。服屋服屋……あ、あそこかな?」
目についた服屋に立ち寄るや、適当に見繕ったものを手にする。店の者は、冽花たちの姿をみて驚いたのだろう。衝立をたてて物陰を作ってくれ、ここで早々に着替えることができた。
ほっと人心地ついた冽花は、濡れた服を纏めてもらい、追加で幾つか着替えも購入する。ついでにお勧めの宿も聞いてはその場を後にした。
二人は徐々に人気の薄れた界隈へと入りこんでいく。
「安いところだと、やっぱ治安もアレだけどさ。あたしとお前なら大丈夫だろ」
『値が張っても、心から安んじられる場が一番だと思うのだがな』
「姐さんから貰った金、無駄遣いできないだろ。セツヤクできるとこはしておかないと――っと!」
「ごめんよ!」
ふいと二人の間に割り込むように、脇道から走りでてくる影があった。
汚らしい襤褸を目深にかぶった、小柄な人影だ。
冽花は言葉を切るなり、するりと躱し、賤竜も体を傾けて躱す。が、冽花は眉間に皺を寄せる。
小柄な人物はそのまま真っ直ぐ駆け去ろうとするが――その首根っこをいち早く冽花は摘み上げた。
「待ちな!」
「っぐえ!」
「ったく、油断も隙もない。……賤竜、スられてるよ」
『む』
言われて賤竜が腰帯を探ると、そこに彼が唯一入れていた皮袋がなくなっていた。その皮袋は今、小柄な人物が握りしめている。
骨の浮いた拳を振るって暴れるので、冽花は荷物を落とし、彼を後ろ手に捕まえざるを得なかった。
「放せよ! 放せ!!」
「あんたこそ、盗ったもの放しな。ロクなものじゃないよ、それ」
「うるせー! ロクなもんじゃないかそうじゃないかはオレが決める! 放せよ! いいじゃん、べつに! いっぱい持ってんだろ、金!」
「聞いてたのか。……会話にも気を付けないとだな」
おもわずとしょっぱい顔をする冽花に、賤竜が声をかけてくる。
『冽花。話し合いでは平行線だ。ひとまず此が放させよう』
「ん。おう」
小柄な人物のまえに来るや、その手へ手を伸ばそうとする。が、寸でで皮袋が落ちた。
ちょうど腰を屈めた賤竜が小柄な人物を見つめると、その顔は驚愕に凍っている。
遅れて、その面が振られて、無我夢中で身を前傾させて、捕らえた腕をもこじらせだすため、冽花もおもわず驚いた。
「放せ! 放せぇぇ!!」
「ちょ、いきなり何なんだよ!? どうし――」
「化け物がいるじゃんか!! なんで……なんでこんな真昼間にいるんだよ! 来るな……いやだ、来るなぁぁ!!」
「ばけ、もの……?」
半狂乱になって叫ぶ人物は、後ろの冽花に体を打ち当てる。前方にいる人物から遠ざからんとしている故である。前方にいる――目を瞬かせている賤竜から。
そのことに気付いた冽花は、さっと眦をつり上げた。
「あんた……ッ、人の相棒を化け物呼ばわりとか……っ」
「化け物は化け物だろ! なんだよ、その濃い黒い影! 見たことねえよ、気持ち悪ぃ! っ……放せ……放せぇぇ!!」
『濃い黒い影。ぬ』
「……っ、いって!」
ついになりふり構わずに振るわれた腕が冽花の腕を叩いた。たたらを踏んだ後足もまた、彼女のつま先を踏む。おもわず拘束する手が緩むと、すぐさま振り解いて駆け去る。
それでも、その言葉通りに、怖かったのだろう。
肩ごしに一度だけ振り向いてきた。その折、目深に被った襤褸がずり下がる。
足を押さえてしゃがんでいた冽花は、顰めた面をちょうどもたげたところだった。そのまま瞠目する。
襤褸の下から現れた顔は――齢十余りの少年。そうして、その額には灰色の角が生えていたのだった。
紛れもない、夢のなかの賤竜が額に生やすものに似た。
「あ……」
独角の少年は前をむくと、わき目もふらずに駆け去っていく。瞬く間にその身は路地の奥へと消えていき、足音も遠ざかっていった。
呆けて固まる冽花のもとに、賤竜が歩み寄ってくる。片手を差し出してくるので、我にかえり、その手をつかんで冽花は立ち上がった。
『大丈夫か? 冽花』
「……あんなひょろガリの拳なんて痛くも痒くもないさ。それよりも見たか? あの面」
『刹那のみならな。齢十余りの少年……健康状態はやや痩せ型の不良気味。陰陽の均衡はやや陰気が優勢――』
「そうじゃなくて。角が生えてただろ!」
『ああ』
「昔のお前も生やしてたのにそっくりだった。色は灰色だけどさ。……なんか、お前たちについて知ってるかもしれない!」
荷物を拾い集めて冽花は鼻息も荒く息巻く。
「追いかけるのか?」
「あたぼうよ。お前を化け物呼ばわりしたことも謝らせなきゃだし」
『此は別によいが。僵尸も怪力乱神には違いあるまい』
「あたしが許せないの! ――っと、その前に、財布の確認しとかないと。盗られちゃあ堪んない」
冽花は手早く懐を確かめる。
首から下げていた慕より貰った路銀は無論のこと、凸面八卦鏡も無事であった。最後に、大事に仕舞いこんでいた勾玉の皮袋を検めようとし――冽花はふと表情を強張らせる。
懐を漁りに漁り、軽く上から叩いては、袂まで漁り始めた。
そんな冽花の挙動不審を、賤竜はじょじょに身を乗りだしつつ見守っていた。
『冽花』
「…………うん」
『冽花、よもや』
「うん…………ない」
冽花は眉尻をさげて、乾いた笑いを浮かべたのであった。笑うしかない面であった。
「勾玉入れた袋がない!!」
『やはりな。盗られたのか……』
「信じられないよ! このあたしから盗ろうなんざさ! あいつぅ……!」
冽花は少年が駆け去った方向をみて、拳を握りしめる。
「賤竜、気で追えない? まだそんな遠くに行ってないと思う」
『む、しばし待て。…………ふむ。探知圏内にはいるな。現在は止まっている状態だ』
「ちょっと逃げて安心したのかな。いや、体力なさそうだし」
冽花は少年が駆け込んだ路地をのぞく。薄暗い路地は幾つにも横道を伸ばし入り組んでおり、土地勘のない者を阻む仕様であった。
が、冽花はちょいと上を見上げる。路地を構成する家屋を見やり、賤竜へと振り返った。
「あたしは上から行く、お前は下から行きな。上からなら、どこ入られようと関係ないし。挟み撃ちにできるはずだよ」
『了解した』
屋根に冽花がよじ登ると、賤竜もまた路地へと飛びこんでいく。その迷いなき足取りを追って、冽花も軽やかに屋根伝いを走りだした。
空をいく冽花と地を進む賤竜。足並み揃えて進むこと幾ばく。人並み外れた体力をもつ蟲人と疲れ知らずの僵尸は、みるみる薄暗い路地の深みへ足を踏み入れていく。
途中、痩せこけた犬の死骸や、骨と皮のみになって座りこむ人を幾人も見かけた。
表通りはあんなに賑わっていたのに。ここにも貧困、そして荒廃はあるのかと、冽花は眉を顰めざるを得なかった。
ふと見やった先で賤竜が見上げてきている。
「そろそろ?」
『うむ、近くまで来ている。む?』
「……るな! なんだっ……今日は……!!」
「あの幼稚鬼の声じゃん」
壁に阻まれて聞こえづらいが、紛れもなくあの盗人の少年だ。ひと足先に、冽花は声の聞こえる方へ飛び移って、屋根を駆けわたり路地を見下ろした。
袋小路になっている場所で、少年は何もないところで腕を振り回している。
まるで迫りくる何かを警戒し、威嚇するかのように。
「来るんじゃない! 来るな! ――……っあ」
見開かれたその目には深い恐怖の色が伺える。冽花は怪訝に眉をひそめて――ふと思い立って瞼を下ろす。網の想起――この場を走る地気の情報を手繰り寄せていく。
その場に在るものは皆、黒と白の点、陰気と陽気で構成された図となり、冽花の脳裏に地図が広げられていく。ハッと冽花は目を見開かせた。
「あんた、なんてものに襲われてんの!」
少年に纏わりついているものは、黒い点が多数。陰気だ。それも、虫のようにたかり、自立稼働している陰気である。自分で動く陰気といえば、心当たりがあった。
賤竜。――いいや、彼のもっと根幹を成すもの。“魄”……“幽鬼”である。
冽花のその言葉に、少年は涙まじりの顔をもちあげた。が、より一層、その面が凍る。なにせ、盗みを働いた被害者が追いかけてきたのである。それも屋根の上から。
ただでは済まぬだろう状況と、得体の知れなさに、少年は恐慌状態に陥った。
あまつさえ、ここに賤竜が到着したのがまずかった。
『む。少年――』
賤竜も少年の状態に気付いたのだろう。大方、幽鬼を散らしてやろうとしたのだろうが。一歩を踏む、その所作が引き金となった。
「うわああああ!」
少年は半狂乱になって腕を振り回した。何度も何度も、夢中で首を振っては、たたらを踏んでよろけてしまう。
が、それでも幽鬼は散らぬのだろう。少年の目には“恐ろしいもの”が大写しになっているに違いない。灰色の目からは涙がこぼれ、ついには頭を覆いしゃがんだ。
「来るな、来るな……ッ、みんな来るなぁぁ!!」
彼が叫ぶのと同時だった。その身から灰色のもやが滲み出てきたのは。
そうして、冽花の尾の毛がぞくりと逆立った。
「まさか……!」
少年の懐から、あの皮袋が転がりでてきた。一人でに袋が落ち――浮かびあがる勾玉が二つ、円をえがいて浮遊。
《アクセスキー:『陰気』、『陽気』。両者ともに照合完了。ただいまより凍結空間へのアクセスを開始します》
あの、いつかも聞いた無機質な声がその場を震わせた。
冽花は我に返り、「賤竜!」と鋭く相棒を呼ばう。自身もまた路地へと降りるなり、急いで少年のもとへと駆けつけようとした。
が。茫然とした少年のまえに、回転する黒白二色の勾玉は石窟をひろげていく。
ぼ、ぼ、と人の手もないのに青白い明かりが灯されゆく、神秘的で不思議な石窟である。
少年にとっては、迫りくる怖い影も、盗みの被害者も、化け物もいない新天地であった。
「待て、幼稚鬼、やめろぉ――ッ!!」
冽花は迫る。その必死極まりない面に、声に、かぶせる形で、朗々たる声音は告げた。
《アクセス完了。入場者の提示をお願い致します》
「にゅうじょうしゃの、ていじ」
《入場者の提示をお願い致します。アクセス可能時間、残り十秒、九秒……》
「!! ……灰角児!」
「ああっ!」
《入場者、灰角児。承認しました。転送を開始します》
少年の体へむけて、黒白二対の勾玉から赤い光が照射される。やっと追いついた冽花は、少年の体を取り巻きだす光の輪に拳を叩きつけた。
目の前にこれから消えゆく姿があるのである。その恐怖を知るからこそ、以前に自分が歯が立たなかったことなど、まるで忘れてしまい、拳を打ちつけるのであった。
「笨蛋! 笨蛋!! 人の話、ぜんぜん聞きやしねえ!」
「う、うるせえ! さっきからなんなんだよ、お前は!」
「なんなんだ、じゃねえ! あんた、自分が何したか分かってんの!? そん中であんた、消えるんだよ! それから、冷たくて怖いところに行くんだ!」
「え……あ……うわあああ!?」
冽花に言われて、少年は自分の指先が光の粒子と化し、霧散しているのに気付く。かぶりを振って、ふらついたが、後ろの見えない壁に遮られた。
これまた自分と同じ行動をしていることに、冽花は歯噛みする。
「ど、どうしたらいい?」
「どうにもならねえよ! ……行った先に僵尸がいるはずだ。風水僵尸がな。どっかの部屋に棺があるはずだ。棺から黄色い符を外せ。そうすりゃあ、力になってくれるはずだ」
「棺……黄色い、符? ……っ、ぁ、あ」
腕が消え、くるぶしが消える。少年の体が落下を始めるまで、幾ばくもない。
「忘れんなよ、符を外すんだ! そうしなけりゃ封は解けないし、あんたもあの石窟から出られないままだ!」
「っ……いやだ、いやだぁぁ!! 出せ! 出せよぉぉ! 出して……ここから出し――」
冽花は震える息をはいた。少年の胸が消えて、その声が聞こえなくなる。涙がひとかけ零れ落ち――その涙が落ちきる頃には、彼の姿は跡形もなく消え失せていた。
『冽花』
「……っん。あ」
事の顛末を観察していた賤竜が、低い声で呼ばい促す。石窟のなかに先の赤い光の輪があらわれては、光の粒子が収束し、少年が現れたのである。
彼はぽかんとしてその場に座りこんだ。辺りを見回して――冽花たちのいる方を見遣る。も、どうやら、彼からはこちらが見えぬらしい。瞳は素通りして、ふと思い出したように立ち上がったのだった。恐る恐る通路のむこうへと向かう。
「……嗎的、見てることしかできないのかよ」
冽花が恨めしげにぼやいた、その時だった。再びあの声が響いたのは。
《転送完了。ひき続き、アクセスを継続致します。入場者の提示をお願い致します。アクセス可能時間、残り八秒、七秒……》
「……! まだ行けるじゃん」
冽花は希望の光を瞳にともし、賤竜を見やる。賤竜もまた頷きかえし、二人は勾玉へと向き合った。
「冒冽花!」
『賤竜』
《入場者、冒冽花、賤竜。承認しました。転送を開始します》
先のように、二人に勾玉から赤い光の輪が照射される。周囲を取り巻く光の輪を見て、以前のことを思い出した冽花は渋い顔つきをした。
「……賤竜、向こうであたしが気絶してたら受け止めてくれよ」
『了解した』
少しずつ、端から体が光の粒と化して霧散していく。
感覚がないのが救いなのかどうなのか。指先から腕、つま先から足へ、尻尾も、围巾の下の猫耳まで消え失せていく。
冽花と賤竜もまた、その場から失せた。開かれた石窟側に再び光の輪が現れる。
案の定、気絶した冽花は賤竜に抱き留められて、介抱される運びとなったのであった。
※※※
そこの石窟もまた冷えていた。
そこの石窟もまた、青白い明かりが灯るなかで、壁の其処ここに、冽花らには読めない文字が刻まれて点滅していた。
『冽花、冽花』
賤竜が腕のなかの冽花を揺すっている。彼女の告げた通り、自分も冽花も欠けの一つもありはしない。そのことに安堵した上で、賤竜は彼女の目覚めを待っていた。
『冽花』
「うう、ん……妹妹ぃ……なんか、声かなり低くなってない?」
『此は妹妹ではない』
おもわずクソ真面目に答えた声に、ぱっと冽花の目が開かれた。そうして、おもわずと彼女は賤竜の胸を突き押していた。
「うおっ」
息がかかるほどの距離にその整った顔があったからだ。膝に横抱きに抱えられる姿勢であった。おもわず熱の溜まる面を逸らしつつ、冽花はその場を見回した。
「つ、着いたみたいだな、無事に」
『そのようだ。まだ先だって聞いた凍結対応の音声も聞こえてはこない』
「下手打ってはいないってことだな、あの幼稚鬼。よし、早く追いつこうぜ――……っと。賤竜、謝謝」
跳ねるように起きあがるなり、眼前の道へと一歩を踏む。が、思い出したように冽花は振り返った。未だやや熱を帯びた頬を掻き、照れ臭げに唇を緩めるのだった。
その言葉に同じく立ち上がっていた賤竜は瞬くなり、そっと目を細める。
『どういたしまして、冽花』
つるむようになり二月余り。頑なに『道具に礼は要らぬ』と固辞しつづける賤竜をなんとか説き伏せて、できるようになったやり取りであった。
ますます人間味を帯び、ますます居心地がよくなったと感じる冽花である。
ほっこりした空間がその場に形成される。――が、そんな温かい感慨が吹き飛ばされるのも、間もなくのことだった。
ふいと鼓膜を掻き毟って腹に響く、あの異音(ブザー音)が響きだしたのである。
お馴染みの無機質音声が頭上から響きわたりだす。
《警告。凍結対象α‐2の逃避行動を確認。速やかに拘束、再凍結処理に移ります。該当エリアで作業中の者は速やかに退避を推奨します。繰り返します――》
冽花は口端を引き攣らせた。
「あの幼稚鬼……やらなくてもいいことやりやがったな?」
『案外と誰かが勢い出てしまった可能性もあるがな。此とは違い、活動的な者らもいる』
「それはそれで困んだけど。後先考えないってことじゃんかー!」
仕方なくびりびりと鳴動する空気のなか、目の前に伸びる通路を走りだしたのである。
この石窟もまた基本、一本道。以前踏破したものと寸分たがわぬ造りをしていることに、遅れて気がついた。
と、いうことはだ。先発組も同じような行動に出るということである。
ややもせぬうちに、対面から叫び声が聞こえてきた。
「ああぁぁぁ!! もう嫌だぁぁぁぁ!!」
「叫ぶ元気はあるみたいだな……って、ちょっと!」
対面からあの少年が走ってくる。それはいいのだが、問題は、その背中に小柄な少女を背負い、後から赤い管で構成された大蜥蜴を連れている点だ。
例によって通路を埋めるほどの巨体ぶりを誇る管蜥蜴は、おもむろに口を開ける。太く蛇腹折にした管の集合体を見せた。
何をする気なのか、ひと目で理解した冽花は賤竜を振り返る。
「賤竜、足止め!」
『了解した』
冽花が先に立って、両足に陰気をまとわせ駆けだす一方で、賤竜も左拳に陰気を纏う。横ざまに傍らの壁を殴りつける。
大人半身ほどの陥没を生んで――壁のなかをはしる気の流れへ干渉し、断ち切った。
その様は、あたかも蜘蛛の巣の、弾性に富んだ糸の一本を切るがごとく。ちぎれた糸が勢い張られていた方向に飛んでいくのにも似て、切られた気は、周囲の構造物を巻きこみつつ元来た道を戻りだした。
賤竜が殴りつけた陥没の横に、内側から弾けて石材の飛びだす爆発が生じる。
陥没と爆発は連鎖して起き、先に立って走る冽花を追いかけだす。冽花は体を低くし、対面で駆け続ける少年の肩ごしに管蜥蜴を見やった。
その折だ。管蜥蜴の舌が勢いよく打ちだされ、背の少女ごと少年を貫かんと狙う。
が、寸でで冽花が両足に力を溜めて飛びつく。二人を抱きすくめて覆い被さるようにし、軌道上から逃がした。
ゆっくりと落ちゆく視界。頭上を突きだす石材が掠める。石材の一つが管の突貫を食い止め、ついで轟音とどうじに陥没が、目の前で管蜥蜴が爆発に呑まれる。
床へと転がる三人の脇を、やはり陰気を纏う足が横切った。
身に濃緑の鎧具足をまとった賤竜だ。すでに黒き棍を手にし、管蜥蜴と対峙する。
『退け、冽花。あとは此が食い止める』
「っく……頼む。おら、あんたも起きな! 逃げるよ!!」
冽花と少女に下敷きにされる形で倒れ伏した少年を、冽花は容赦なくひっぱたく。涙と鼻水と鼻血にまみれ、額を擦りむいた少年が、泣く泣く顔をあげてきた。
「うぅ……いてぇよぉ、もう嫌だ……」
「痛いのは生きてるって証拠だよ! 賤竜が踏んばってるから、その子を――」
よこしな、と冽花が言いかけたその時だった。少女が顔を上げた。
その瞳は虚ろで、そのくせ爛々(らんらん)と濡れ輝いている。その表情に覚えがあり、おもわず冽花が息をのんだ。動きを止めてしまった瞬間だった。
白魚のごとき指が少年の顔へと伸ばされ、頬へと添えられる。ゆっくりと少女の顔が、その面差しに近づいていく。
「や、やめな!!」
冽花の制止はひと足遅かった。少女の蕾のごとき唇が確かに少年の血へと触れた。べろりとその赤い舌が鼻筋を這い、頬をも撫ぜ、涙を掬い取る。
されるがままに押されていた少年は、遅れて瞬きとともに涙の粒を散らす。ついで何が起きたか理解したのだろう。目を見開くや、顔から火が出る勢いで顔面を紅潮させた。
「お、おまっ……おまままま、おまッ……!?」
『うぅーん……あんま深みはないアルなぁ。ちゃんと食べなきゃ駄目ネ? 契約者』
ぺろりと舌なめずりを一つ。瞬いた少女の瞳には理性の光が灯っていた。ついで強気な笑みがその可憐な面差しに刷かれる。
傍らで手を伸ばしたまま唖然と静止していた冽花に、その顔が向けられた。人懐っこく笑みが深まり、少女は少年の背から降りる。
『下がってるがヨロシイ、姐姐。夭砂とジェンに任せるアルよ!』
身を翻して、少女は賤竜と管蜥蜴が相対する場へと向かう。
跳ねるように駆けゆく中で両手を虚空へとかざすや、陰気を凝り固まらせて、黒き双錘(球状の頭部を柄につけた打撃武器。二本一対)を生みだした。
『ジェン、夭砂もやる~!』
『うむ。然らば守りを頼む。あとは“足場を沈められる”か?』
『了解した!』
賤竜とならぶ少女――夭砂は、双錘に陰気を宿すなり、その場で軽やかに跳んだ。
『喰らうがヨロシイ!!』
勢いよくまぁるい瓜型の先端で石床を叩く。するとだ、叩いた場所から陰気が広がり、石床を伝播しだす。それは瞬く間に管蜥蜴の足元へと伝わり、次の瞬間、ずぶり、とその前足が泥濘にでも浸かったかのごとく沈んだ。
均衡をくずす管蜥蜴の面に、これまた陰気をのせた賤竜の棍が突きこまれる。鈍い破裂音をあげて、管蜥蜴の顔の右側が弾ける。刺された先端を中心に数か所で苦しげにうねる管の断端が覗いた。
そこからの攻防は怒涛といってもよかった。
管蜥蜴が射出する管を、夭砂が的確に弾いては、隙をみて賤竜が棍を叩きこむ。弾けて削げる管が管蜥蜴の体から落ちていく。声なき咆哮をあげて、管蜥蜴が一斉射出を試みたとても、今度は守りに転じた二人がすべてを叩き落としてしまう。
その連携はまさしく気心知れた同種の成せる業である。
すっかり余裕のできてしまった少年――角児は、うっかり見惚れてしまうぐらいであった。誰あろう、軽やかに跳ねとんでは勇ましく管を打ち返す、夭砂に、である。
だが、彼はふと傍らの娘――冽花が溜息をつくのを聞く。頭を抱えて呻くその言葉が、あまりにも不穏だったために、おもわず振り向くのであった。
「はぁ~……人生万事塞翁が馬、っていうけど。これはどうなんだろうな」
「え?」
「え、じゃないよ。あんた、あの風水僵尸……夭砂と契約したんだよ? もう逃げられなくなったってわけ。まったく、あの僵尸どもは。有無を言わさず契約する習わしでもあんのかっての」
「け、けーやく?」
逃げられない?
あまりに重たい、その不穏すぎる言葉の数々に、唖然とするほかない角児である。
そんな彼を見て、再び冽花は溜息をついて項垂れるのであった。




