5-1、湖畔の街
あらたに明鈴をくわえて冽花一行は進む。
華川村を後にしたのちには川を南下しつづけて、宿場町にたどり着くことができた。
龍涎大湖周辺での河川舟運で賑わうこの街は、福峰との中継地点を担う場所でもある。そこで旅の垢を落とし、一路、船にて、一行はいよいよ福峰入りを果たすのであった。
「わあー!!」
水を切って進む船のなかから幼子の歓声が響きわたった。
朝陽に煌めく新緑の田園風景をぬけて、船はゆっくりと龍盤有数の巨大さをほこる龍涎大湖へと差しかかっていく。目前にひろがる深い翡翠色の水盤をみて、幼子は首を傾げて同行者を振り向いた。
「姐姐、あれがうみ?」
「違うよ、あれは湖だよ。川のまわりの土におっきな穴っぽこが開いて、そこに水が溜まったり……ええとー、あとはー……賤竜?」
『長い年月をかけて曲がりくねるよう川筋をかえた川が、大水の折に形を変える時などに生じるな』
「……えーっと……たっくさんの水がいっぺんにでて、川の形が変わる時なんかにできるんだってさ!」
「なるほどなー」
全員が围巾を目深にかぶった風変わりな一団だが、している会話の呑気さに、おもわず渡し守がくくくと喉を鳴らす。
行き交う船の数も増え、子どもの目はあっちこっち忙しなく移ろう。
胡坐をかいた一人の膝の上で身をのりだし、ぴょこぴょこと小さく弾むさまは、全身をつかって興奮と歓喜を表わしていた。
やがて湖に浮かぶように存在する街が見えだすと、幼子の興奮は最高潮に達した。
湖に隣接するこの街は、その水をじかに引き入れて生活用水として扱っている。水路が縦横無尽にはしり、水と密着した生活を送るために“水の都”と呼ばれていた。
「姐姐、みて! おうちがあんなに近くにある!!」
「おー。ここは水路……水の道が街中にはしるところだからな」
「水の道!? じゃあ、お船でどこでも行けるの!?」
期待に輝く瞳が渡し守にむく。渡し守は面食らったものの、とっさに「行けるさあ」と返してやれば、満面にかがやく笑顔を見ることができた。
微笑ましくなった渡し守がついつい話しかけると、幼子は大きく首を振って頷いてくる。
「小姐、福峰は初めてかい?」
「うん! 姐姐と帅哥といっしょにいくの!」
「そいつはいいなあ。福峰はいい街だぜ。飯は美味いし眺めはいいし、なにより領主の懶漢様が豊かな暮らしを約束してくださる。……ただし、港湾地区には近づくんじゃないぞ。あそこにはこわ~い蟲人たちがうじゃうじゃいるからな!」
顔の横で指を蠢かせる渡し守に、きゃっきゃと幼子が笑う。その答えが返る前に、後ろの女が幼子の頭に手を載せた――返答をうやむやにするような“間”があったことに、渡し守は気付かなかった。
水路をとおって街のなかへと入っていくにつれて、その活気と権勢ぶりも明らかになり始める。目を引いたのだろうか。ふいと今度は、先ほど答えた男の側が、横手を指さしながら女に話しかけた。
男が指さした先には、八角型の全体を青く染め抜かれた建物が聳え立っていた。
『冽花、あの塔はなんだ?』
「あー? ああ、あれは……青いから右翼楼だな。お偉いさんが建てたもんだよ。ほら、もっと回りこんでくと……ちらっとだけ見えるだろ? 黒いあっちは左翼楼。もっと行くと連理楼なんて建物もあるんだぜ」
『……比翼の鳥に、連理樹か』
「あン?」
『なんでもない。随分と高く、色鮮やかで目を引く建物が多いと思っただけだ。それだけ潤っているのだな、この街は』
それきり会話も途絶えて、そのまま間もなく船は船着き場へと到着した。
船着き場から、一行はこぞって目抜き通りにむけて歩きだす。
『これからどうする?』
「支部に顔出さなきゃだけど、その前にまず飯かな~」
「ごはん! おなかペコペコ!」
「好。ちょっとは贅沢できるぞ。連絡いれた時に路銀も一緒に送られてきたからさ。なに食いたい?」
「んっとねー……」
周りを見渡し、くんくんと明鈴は空気の匂いをかぐ。通りには様々な屋台が軒を連ねていた。
饅頭(小麦粉で作る蒸しパン)を売る店や、桂林米粉(米粉の麺料理)の立ち食い処、大きな深鍋で蓴菜湯(ジュンサイのスープ)を売る店や、たっぷりの油で苔条黄魚(魚の海苔天ぷら)を揚げているものもいる。
なかでも明鈴がお気に召したのは、店頭で鍋を振って川蝦を炒めている店だ。殻つきの川蝦が酢醤油や生姜で和えられて、えも言われぬ香りを運んでくる。
「あれがいい!」
「油爆河蝦か。あれはいいぞ。ほんのり塩っ辛くて、外はカリッと中はぷりっぷりでなー。酒もよく進むんだ」
『飲むのか』
「あったりまえだろ。油爆河蝦を前にして飲まずにやってられっかってんだ」
冽花がにやつく口元でくいっと杯を傾ける所作をすると、賤竜は肩をすくめた。そんな二人の手を明鈴が「はーやーくぅ!」と言って引っぱっていく。
店の前で屋台の卓へと伸び上がろうとするので、賤竜が抱えてやり、調理風景を見物しつつ待つことになった。
華麗な鍋とお玉捌きによって、鍋のなかを踊るように熱々の蝦が炒めあげられていく。
明鈴は目を輝かせて見入り、器が渡された時など、店主を「すごいすごい!」と手放しに褒めそやした。鼻をこすって照れ笑いの店主が蝦をもう一匹おまけしてくれる。
そうして続けて蓴菜湯と饅頭、苔条黄魚(さかなのノリ天ぷら)を手に入れた一行は、近場の卓へと腰をおろし、さっそく賞味にとりかかった。
「ん。この苔条黄魚、衣がサックサクだ。苔条の風味とぶ厚い身が堪らねえ」
『ふむ』
「えびもおいしいよ! しょっぱくってカリカリ。んー。ふあーっとえびの味がするの!」
『ほう』
二人が口々に感嘆を述べつつ食べるところを、興味深げに賤竜は見守っている。
そんな彼の手元には一服の茶があるのみだった。食わないまでもなんか持っとけよ、と言われて、茶を選んだのである。福峰は茶の産地でもあるため、時おり傾ける振りをし、香りを喫する賤竜も心なしか楽しげであった。
すっかり買ったものを空にし、器を戻してきた後には、ちょっとした観光である。
人通りも多いなか、抱かれた明鈴の気のむくまま、あっちの店を見物したり、こちらの露店を物色したり。
なかでも明鈴が興味をもったのは、ぴかぴか光る動物の像や金属製の風鈴、六つに束ねた銅銭などを売る、不思議な雰囲気をもつ店であった。
看板には『開運風水・満龍』という文字が掲げられている。
『ほう。風水道具を扱う店か』
「おっ、ならお前の十八番じゃん」
店の前で足を止めると、明鈴お得意の「あれなあに?」「これなあに?」が始まる。
「ねえねえ、帅哥、これはなあに?」
まず最初に目についたぴかぴか光る角の生えた獣の像を指さす。
『これは貔貅といって、幸運を呼ぶ獣とされている。幽鬼や悪い精霊や、墓地やすべての悪いこと、留置所や治療院などといった悪しき影響をおよぼす建物から、使用者を守ってくれる像だ』
「じゃあ、これは?」
ついで指さすのは六つに束ねられた銅銭だ。
『これは六帝古銭という。建物には、中にも外にも年ごとに良い方角と悪い方角があってな。なかでも病に関する方角をよくする道具だ。それ以外には運気を上げたり、招財……金が貯まりやすくなる効果もある』
「ふぅん。じゃあ、これはなあに?」
小さい石塔を指さすので、賤竜は明鈴をより傍に寄せてやりながら告げる。
『これは文昌塔だ。人にはそれぞれ生まれた年や月日によって、定められた性格があり運勢が存在する。だが定められた中でも、これと決めた分野を上手くいくよう、取り計らうことは可能だ。これは学問に関する能力や運勢を高めてくれる道具だな』
ここで視線を感じたので賤竜は振り返る。口をぽかんと開けた間抜け面で、冽花が二人を見つめていた。
『なんだ、その顔は?』
「お、お前が風水僵尸してる……」
『此は元から風水僵尸だ。……ん』
そのまま方向転換し、棚にずらりと並べられている八角型の鏡の群れに近づいていく。
その中でも隅に置かれた籠のなかから、掌に載るほどの鏡のついた首飾りを取り上げ、冽花へと差し出してきた。
『これは凸面八卦鏡といってな。邪気、殺気を跳ね返し、凶事から身を守る守りともなりうる鏡だ』
「へえ。……って、何その手。買えってこと?」
『うむ。お前の危難の遭いぶりには目を瞠るものがあるでな』
「大きなお世話だよ!! つか、凸ってことは凹面八卦鏡もあるのか?」
『……あるにはある。これだ』
今度は手に取らずに掌で示すのみに済ませて、賤竜は一歩さがる。かわって冽花はまじまじと鏡を覗きこんだ。
「へえ、なんか逆さまに映ってるぜ?」
『転じて凶事をひっくり返すという意味で、家の内外の凶方位にかけられる代物だ。また陰気を収束して封じ、陽気を集めて運気を上げる……太陽の象徴たる道具でもある』
「へえ。……って、なんでそんな遠ざかるわけ?」
『……陰気を収束して封じ、陽気を集めるとも言ったはずだ。此らにとっては脅威となる道具でもあるのだよ』
「へええ。お前でも苦手なものってあるんだ?」
『当然だ。通常の僵尸とは異なり、生米でも鶏の生血でも臆しはしないがな。太陽だけは苦手だ。ゆえ、昼間の長期間の運用はできるかぎり避けてほしいのが本音ではある』
「明鈴寝ちゃうだろ。我慢しとけ」
結局、賤竜の言う通り、自分でも最近は災難続きな自覚はあったために、首飾りを購入して店の外へと出る。
出たところでにわかに通りがざわめきだしたため、冽花と賤竜は顔を見合わせた。
見れば、役人と思しき一団が人払いを始めている。とっさに冽花と賤竜は店の物陰へと身を隠していた。
ざわめく人々の声を聞くに、口々に「抱水様だ」「抱水様のおなりだ」と囁き合っている。
「抱水だって?」
冽花が首を突きだす矢先に、それは堂々たる足取りで姿を現した。
七名の大所帯を形作るのは、四名の武装した兵士と二名の従者たち。それから、従者の一人に日傘を差させて歩く、顔色の悪い痩せぎすの男である。
明らかに最上位とおぼしき痩せぎすの男は、この春の陽気も麗らかな中、折り目正しくきっちりと頭には涼帽(つば付き帽子)をかぶり。蟒袍(龍の刺繍がある長袍)の上から長い補服を羽織っている。
胸には文官の印の一つである“鴛鴦”の刺繍が躍っていた。
「……あいっかわらず暑苦しい男だぜ」
げんなりとしながら冽花がぼやくと、横から賤竜も首を突きだしてくる。
腕のなかの明鈴が「うわ~、りっ――」とまた歓声をあげかけたので、そっとその口を覆いつつも、賤竜は呟いた。
『抱水か』
「あ、やっぱ分かるのか」
『気で分かる。なるほど、水の都とくれば奴の独壇場だ』
頷く冽花が視線で指すさきで、抱水らの一団が止まる。
それはとある薬問屋の前であり、店の主人とおぼしき男がこけつまろびつ走り出てきた。
揉み手をしながら用件を伺うに、どうやら、違法薬物の取り扱いが露見したとのことだ。
朗々(ろうろう)たる声で従者の一人が竹簡を読み上げる。店主の顔色が変わった。
「何かの間違いでしょう」
『いいや。お前の店の下男が吐いたぞ。また、被害をうけた家からも陳情が届いている。この福峰で舐めた真似をしてくれたものだ。今後一切、表立った商売はできぬと思え』
つんと顎を突き上げて両腕を組む。けんもほろろに突きかえす抱水に、店の主人の額に青筋が立った。ぐるりと周囲の人垣を見るなり、小さく肩を揺らして笑い始める。
癇症に抱水が細い片眉を上げる、その時だった。
店主は肩ごしに店の奥を見やるなり、顎でしゃくる素振りをした。
すると、薄暗い店内から数名の蟲人が走り出てきたのだ。手に手に棍や長刀をたずさえ、店主に鳥銃(火縄銃)を捧げ持つ者もいた。
周囲がどよめいて、より距離をとるなか、兵士にかばわれながら抱水が口を開いた。
『何の真似だ?』
「どの道言い逃れできぬというのなら、次の販促材料を確保した上で、新天地に赴くまでのことですよ。僵尸の肉は薬用にもなると聞いたことがあります。……貴方ほどの逸材だ。それはそれはよい薬になるでしょう」
悠然と火種を受け取り、銃口をむける店主は醜悪に微笑む。
「動かないでください。この距離だ。いかな僵尸のあなただとて、ただでは済まぬでしょうな。無論、兵士の方々も……おっと、照準がずれて民草に当たるやもしれない」
目の前の兵士の体がわずかに緊張する。それを見て抱水は鼻を鳴らすなり、兵士の肩に手をおいて前へと進みでた。
「ほう、殊勝な判断で――」
『勘違いするな』
その手が虚空へと翳される。薄暗い日傘の影の下で、手元に灯る白もやは朝陽のごとく輝いていた。
顕現させた白色の鉄扇を握りしめた抱水は、口元に扇を寄せるなり目を細める。それはそれは嫌味ったらしくあざ笑い返すのだった。
『できると思うか? 単なる人と獣の分際で』
「……っ、やれっ、お前たち!」
もはや辛抱たまらぬといった様子で店主が叫ぶ。それに応ずる形で、蟲人らがこぞって抱水へと迫る。その俊敏さもあいまって、瞬く間に彼らは抱水に肉薄していた。
それにたいし、抱水がしたことといえば。典雅に扇を開いて、振り払うように蟲人らにむけて扇いだ、それだけだ。
一瞬遅れて、扇に宿った陽気が宙に舞ってきらきらと輝く。
蟲人の一人の顔にその煌めきが当たり、風にのって――背後の水路へと落ちていく。
次の瞬間、渦を巻いて起ちあがる水の蛇に、彼らは一様に薙ぎ払われていた。
太さが大人の胴回りほどもある蛇だ。その突貫力、水圧は推して知るべきものがあった。
水蛇は鎌首を店主へとむける。その体の表面が波うち、幾つもの細い水流が発射された。
次々と店主の周りに当たり、背後の店の壁へ穴が穿たれていく。
震えあがった店主は、慌てて抱水へむけ引き金をひいた――が、弾が出ない。
唖然として手元を見ると、遅れて視界の端を舞うものがあることに気付く。火のついた縄の切れ端だ。やられた、と思った時には水蛇の突貫を受けていた。
水蛇は咢をひらき、店主の目と鼻のさきまで迫っていき――頭上すれすれを掠め、後ろの店へと飛びこんでいく。轟音とともに店内の諸々が打ち砕かれる。
店主は蒼白になり、目を瞠ったままへたりこんでいた。
扇を再び口元に寄せて、抱水は無造作に兵士らに顎でしゃくってみせた。
『連れて行け』
その場に静寂がおりた。
次の瞬間、周囲から割れんばかりの歓声が湧き起こったのだった。
やんややんやのお祭り騒ぎである。見事に決めてくれた。我らが抱水様が、“またしても”巨悪を打ち砕いてくださった! と。
ずぶ濡れで倒れ伏した蟲人らも引き立てられていく。それを見ていい気味だと、先ほど脅かされた者のなかで溜飲をさげる者も少なからずいた。
そうして、終始それを物陰から眺めていた冽花――否、賤竜。
彼はただいま、片手に明鈴を抱いて、片手で冽花を羽交い絞めにする最中だった。
『ふむ。相も変わらずの技の冴えだな』
「言ってる場合か! ふぎぎぎぎ……!」
『あの水技をどうにか抑えこまねばならん。早急にこの街の地理の情報が必要だな。支部とやらに向かうぞ、冽花よ』
「分かった……分かった、っ、から、はーなーせー!」
その顔に先までの剣呑さが薄れていると見て、賤竜は冽花を開放する。
ふうっと溜息をついて居住まいを正すなり、冽花はあらためて先の現場を見た。水蛇はとうに水へと還り、現場を押収しだす流れが出来あがりつつある。
冽花が見やったのは、蟲人らが連れられて行った方向だった。
賤竜は思い起こした。迫害されている蟲人らは、時に奴隷同然の扱いを受けるのだと。だとしたら先の者たちも、もしかしたら。
围巾ごしにその頭に手を置いていた。なぜだろうか。伏せられた耳に垂れる尾が、目に浮かぶようだったからであった。




