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戦火のアンジェリーク  作者: 伏水瑚和
Ⅰ.Australia
9/61

神様との約束 ~ promise

「フランスにいた頃、父さんに連れられて、色んな人の歌を聴いたけど、君の、すごくいいと思う。何ていうか……心が洗われるし、癒されて好きだな」


 褒められた喜びと『好き』という言葉に、アンジュの心は、どきり、と反応した。心臓の音が、一層、強くなる。そんな気持ちを悟られないよう、慌てて平静を装って言った。


「あ、ありがとう。でも、夢とか考えたことなかったな。とにかく毎日を過ごして、歌いたくて歌ってた。それだけ。フィリップは? サーファーになるの?」


 少し悲しそうな顔に変わった彼は、ぼんやり呟く。


「いや、僕の将来は、もう決められてるから。ゆくゆくは、父さんの跡を継ぐことになってる」


 遠く、哀しい眼差しで、フィリップは澄みきった厳かな秋の海を見つめた。自分を取り巻くしがらみ、どうしようもない運命と向き合うような。そんな彼にかける言葉が、アンジュには見つからない。


「……アンジュ。一つ、頼んでもいい?」


 急に振り向き、フィリップは、いつになく真剣な眼差しで切り出した。


「え……? 何……?」

「君は、夢を叶えて欲しい。歌手じゃなくてもいい。僕の分まで、夢を忘れないで生きて欲しいんだ」

「フィリップ……」

「一方的でごめん。でも、君の歌声は、もっと沢山の人に聴いてもらいたいんだよ。それだけの価値がある。少なくとも……僕は、元気になれた」


 震える位の瞬きで胸がいっぱいになり、何も言えないアンジュに、彼は続ける。


「そして、いつか大勢の人の前で歌う君を見てみたい。そんな君を、誇りに思うよ」


 そう告げたフィリップは、真っ直ぐな眼差しで彼女を見つめた。アンジュの心は激しく揺さぶられ、撃ち抜かれる。


 今までは、いつか養女になることが夢だった。幸せな家庭の中で愛される事を望んでいた。親にすら見捨てられた自分が、誰にも認められない自分が、惨めで悲しかった。

 でも、自分の歌で感動してくれた人が、少なくとも一人いた。自身の力が、誰かの役に立つことの喜びと素晴らしさを、生まれて初めて、沸々と感じている。


「フィリップ」


 儚くも心をこめながら名を呼んで、アンジュは右手の小指を、ぴん、と立てた。その眼には、嬉し涙がまだ光っている。


「約束する。まだ、何ができるか分からないけど…… でも、貴方の言葉は絶対に忘れない」


 掠れた涙声で告げ、おそらく生まれて初めてであろう、しっかりとした強い視線で、彼を見つめ返した。


「迷惑じゃない?」

「そんな。貴方には感謝してるのよ。それに……」


 珍しく不安気に問う彼に、アンジュは続けた。


「私、今、()()()()っていう気持ちで、多分……いっぱいなの」


 この言葉を聞いて、フィリップは心から嬉しそうに、にっこり笑った。彼女の細く小さな小指に、自分の小指を、ぐっ、と絡める。


 アンジュは、いつも夢見ていたお伽噺(とぎばなし)を思い出していた。閉じ込められたお姫様を、助けに来てくれた王子様。ここから連れ出してくれる神様を待っていた。

 でも、やっと現れた王子様は、違う意味で、自分を助けてくれた。大切なこと、生きる力を教えてくれた……

 秋の海辺で交わした、小さな約束。絡めた小指と小指が、二人の心のように、しっかりと結びついている。



 そんな二人を、じっ、とエレンが物陰で見ていた。その()には、嫉妬と焦燥の炎が揺らめいている。

 幼い頃からずっと、彼女はフィリップのすぐ側にいた。彼の一番近くにいるのは、自分だと思っていたのだ。一人っ子で、母を数年前に亡くした今、彼女にとってフィリップが全てだった。しかし、今は、別の女の子が隣にいる。


 ――彼だけは、絶対に渡したくない……‼


 胸の奥に激しく渦巻く、どす黒い感情が、彼女を呑み込むように支配していった。



 数日後の夜。フィリップは、自宅で父親に呼び出された。仕事が忙しく、あまり家に帰らない父にしては珍しい事だ。妙な違和感を胸に、恐る恐る尋ねる。


「父さん、何の用?」


 フィリップの父――ベルモント氏は、豪華な装飾の付いた自分の書斎で、パイプを揺らしながら切り出した。


「……お前、最近、孤児院の娘と親しくしてるそうだな。恋人か?」


 フィリップは吃驚(びっくり)した。アンジュのことは誰にも言っていない。何故、父は知っているのだろう。動揺を隠して、冷静に答える。


「……恋人じゃない。大事な友達だよ」

「どっちでもいい。今すぐに、その娘とは縁を切れ」


 有無を言わさない、一方的な言葉。こんな命令を聞ける訳がないと憤った。


「嫌です」

「何だと⁉」


 怒りを剥き出しにした父を見て、彼らしかぬ激した声で抵抗する。


「いくら父さんでも、僕の友達まで決める権利はない‼」

「フィリップ‼」


 どん、と激しく机を叩く音と共に、ベルモント氏は叫んだ。こんなに感情を(あらわ)に爆発させた父を見たのは初めてだった。脅かされ、フィリップは反射的に身震いする。


「お前は、ベルモント家の大事な跡取りだ。もっと自覚を持て」

「身分の低い……増して、どこのどんな人間か判らない、孤児院の娘なんてもっての他だ。許す訳にはいかない」


 悔しげに唇を噛みしめ、フィリップは父の言葉を聞いていた。そんな息子にベルモント氏は追い討ちをかける。


「それに近いうち、お前は富豪の娘と結婚することになる」


 寝耳に水な話に絶句し、フィリップは思わず父を凝視した。


「だから、変な噂が立っては困るのだ。もっと身を慎め」


 至極、当然かのように自分の将来を定め、進める父。今まで以上の無力感に襲われ、憤りや怒りを通り越す。彼の心は、底無しの哀しみに落ちた。


「それって……政略結婚、じゃないか…… 相手は……?」

「お前も、よく知っている娘だ。安心しろ」


 すっかり憔悴し、ショックで感覚が麻痺(まひ)していたフィリップだったが、ふと、一人の少女の像が脳裏に浮かぶ。


「……エレン?」


 ベルモント氏は、窓の外に視線を向け、無機質な声色で告げた。


「彼女なら気心も知れてるし、文句もあるまい?」


 愕然とした彼は、次の瞬間、信じたくない事実に気づいた。アンジュとのことを知っている人間は、一人しかいない……


「まさか、アンジュ……彼女の事を、父さんに教えたのは……」


 その質問には答えなかったが、彼の無言の背中が、それが間違いではないと言っていた。そんな父の背中を呆然と見つめるしかないフィリップの中で、()()が……砕け散った。

【閲覧ありがとうございました。一言でも良いので、ご感想を頂けると嬉しいです】

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