Aubade ~彼は誰故に【Paean】
「パパも、きっと泣いてる。かえってこないの。お花になったの……⁉」
「……⁉」
大粒の涙を流し、急に声をあげ泣き出した彼女を、祖母らしき女性が抱き寄せ、その場から遠ざけた。祖父らしき年配の男が、アンジュ達の傍に近づく。
「申し訳ありません。あの……」
すまなそうに、ジェラルドが詫びた。そんな彼に、憔悴しきった皺の刻まれた顔を静かに振り、男は語り始めた。
「……あの子の母親は早くに亡くなり、水兵だった父親……息子は、春のノルウェー海戦で、戦死しました」
「……‼」
二人は共に絶句する。あの戦いで犠牲になった者の魂が、すぐ傍に現れたように感じた。
「ですが、帰って来ない父親の行方を尋ね、泣いてせがむあの子にずっと告げられずにいたのです。私達も……受け入れられなかった……」
きしきし、と絞られるように、アンジュの心臓が痛んだ。彼らの行き場の無い思いが、滲みてくる。
「やがて、あの子は口を利かなくなり、表情も消えました……が、さっき泣いたんです…… 上手く言えませんが……私達もきっと……ありがとうございます……」
震える声で少し俯いた男に、ジェラルドの胸奥には、複雑で感慨深い想いが湧き上がっていた。最後に見たスコットの姿が、彼と重なる。
ぎゅっ、とアンジュは目を瞑り、勢いよく首を振った。掠れた声で、ゆっくりと、喉から思いを紡ぐ。
「……同じ、です」
「え……?」
戸惑う男と少し離れた場所に移動した幼女と女性、そして、隣のジェラルドを、ゆっくりと順々に見つめ、固まっていた頬を動かし、アンジュはぎこちない笑みを浮かべ、伝えた。
「……彼女と、皆さんのおかげで、私も、声が……歌えたんです。本当に、ありがとうございます……」
目の前の男と、自分達をずっと見ていた人々に向かって、深く、丁寧に頭を下げる。
「シスリー……」
涙しそうになるのを堪え、ジェラルドは静かに呼んだ。優しく重厚に響く、チェロの切な音色。
「ジェイ、ド……さん……」
儚くも久方ぶりに口にする、いとおしい人の名。呼ばれた彼も、彼女自身もを、魔法がかかったように煌めかせる。
――誰かに頼まれたから、求められるから、認められたいから……だけじゃない
――私が、温かな人達がくれた優しさが、強さが、好きだから、感謝を、祈りを込めて、彼ら全ての想いを伝え、謳い続ける……
「ご存知だったのかは知りませんが……」
幼女の祖父は、泣き笑いのような表情を浮かべ、続けてアンジュに告げた。
「……ポピーはね、フランスの国花なんですよ」
切なくも不思議な巡り合わせに、アンジュの心にいつかの夜の鍵盤が甦り、ポーン、と再び鳴った。
「私達はフランス系でね…… こちらでは停戦の花だそうで…… 本当に……ありがとうございました」
一部始終を見ていた、シェルター内の子供達が、戸惑う大人達の手を離れ、次々に集まって来た。幼児から物心ついた年代、成人前の年頃まで様々…… ぐずっていた子も、泣いていた子も、遠慮がちに、少しずつ近寄って来る。
何かを鋭く察知し、引き寄せられるかのように、彼らはアンジュの周りを囲んだ。先程、近くで母親に抱かれ泣いていた、ブルネットの巻き毛の少年が、泣き顔のまま尋ねた。
「……おねえちゃん……歌、うたう人?」
少し考え、こくん、とアンジュは頷く。今は『歌手』ではない。だが……
「……‼」
瞳に淡い光が差し、少し表情が柔らかくなった少年は、楽曲のタイトルを口にする。
「あれ、歌って。『エーデルワイス』……」
「じゃ、次は『アメイジング・グレイス』!」
彼に続いて、隣の少女も名曲をリクエストする。そんな無垢な瞳に囲まれ、不思議な万能力をもらった気がしたアンジュは、自然と口にしていた。
「……少しだけなら……いいわよ」
「シスリー、無理するな。まだ喉が……」
彼女の身体を心配したジェラルドが、歓喜で動揺しながらも、焦って止めに入る。
「ジェイドさん……」
いとおしい人の言葉、心遣いが、アンジュにまた光明を注ぐ。彼女が知らないうちに、彼がいつかの朝、彼女から浴びたものと、同じ天明のような……
「……この位の声量なら……大丈夫です。水と、ドロップを……くださいますか?」
その場が、ささやかな音楽会になった。柔らかく澄んだ歌声……ウィスパーボイスの旋律が、地下内を包み流れる。暫くの間、偏った傾向の楽曲ばかりを耳にしていた子供達は、久方ぶりに聴く、それぞれの好きな歌を真剣な面持ちで聴いていた。
リクエストされた中には、昔、アンジュがオーストラリアの美しい海辺で、自分を励まし、鼓舞する為に一人で歌っていた楽曲もあった。
彼らの瞳の暗い陰は消えていない。泣き顔のままの子もいるし、晴れやかな笑顔は見当たら無い。けれど、少しずつ、何かを取り戻していくように見える。そんな力なくも健気な姿を、アンジュは何とも言えない不可思議な、感慨深い思いで目にしていた。
これから悲しく辛い思いを、彼らも……いや、自身も経験した事の無い、深い傷を負うかもしれない。ここで今、希望を持つのは、先々で、残酷な痛みも伴うかもしれない。
だが、見えなくても、聞こえなくても、彼らは必死に鼓動している。確かに、ここに、在る……
夜更けになり、待つ大人の元に戻った子供達が、一人、また一人と、眠り始める。皆、このシェルターで夜を明かす事になりそうだった。支給された毛布に共にくるまり、アンジュとジェラルドは互いを温め、暖をとる。
「大丈夫か? 疲れただろ」
「少し……でも、休めば大丈夫です」
「……全く、君には、本当に驚かせられる」
周りに配慮した小声で呟き、ジェラルドは苦笑した。いつか、二人きりでの演奏会をした夜を思い出す。
「すみません…… 心配をかけました」
「いや……良かった…… 本当に……」
ほうっ、と息を吐き、アンジュの肩に顎を乗せ、そのまま抱きしめる。彼女の声が戻った事、そして、歌えた事が、何よりの喜びだった。
「ジェイドさん……」
掠れた声で呟き、そっ、とアンジュも抱き返す。『あたたかい』――そんな想いが、心の奥底から湧き出した。血の通った命が……生きているという証。
闇や狂気は消えなくても、同じように、同じ地球で、直向きに光を灯している命も、美しい世界も、確かに存在している。
声を張り上げながら産まれ、懸命に呼吸し、ささやかながらも巡り廻っている。その灯火がどんな形であろうと、吹き消してはならない……
――私も、今、ここで生きて……活きている
そんな想いを抱きながら、久方ぶりにアンジュは、深い眠りを得た。
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