表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦火のアンジェリーク  作者: 伏水瑚和
Ⅲ.Wales ~ the UK
59/61

Aubade ~彼は誰故に【myself】


 様々な不安を抱えながら、英国の短い夏が終わりを迎えた間際。一九四〇年の九月某日。突如、ドイツ空軍による攻撃が、首都ロンドンの街を襲った。翌年の春まで続き、後に『ザ・ブリッツ』と歴史に語り継がれる事になる、ロンドン大空襲の始まりだった。


 アンジュ達の住むカーディフ近郊は、ロンドンからはかなり離れている。しかし、流れ弾や爆破に巻き込まれる可能性を危惧し、カーディフ城内地下の防空シェルターに、近郊住民は避難する事を勧められた。

 強制ではなかったが、助けを呼ぶ声を出せないアンジュの状態を案じた二人は、少し遠方だがカーディフに戻り、暫くの間、滞在することに決めた。ジャズバーの仕事は休まざるを得ない。状況次第だが、長期の避難は難しいだろうな……と、ジェラルドは悩んだ。

 今まで以上に、命の危機をリアルに感じると同時に、スコットさんやクリスの安否が心配で堪らなく、不安が募る。だが、アンジュは、ジェラルドはともかく、自分の身の安全は、内心、あまり気になっていなかった。

 逃避なのか、自暴自棄状態なのか……そんな自身に戸惑う反面、どこか不気味で、怖さを感じる中での避難だった。


 石造りの城内地下の壕内は、窓はなく薄暗いが、割と広く、小綺麗な空間だった。非常食や薬などの入った箱が大量に積まれ、壁には注意書が書かれたイラスト付きのポスターが、何枚も貼られている。『騒がない』『走らない』『泥酔しない』『喫煙しない』……

 ロンドンに来る時に乗った船の地下の客室を、ふと、アンジュは思い出した。あの時は窓もあり、自由に甲板に出て、外気も吸えた。しかし、今回は窓もなければ、外にも出られない密室……籠城状態だ。


 ――本当に、牢獄生活みたい


 結構な人数が避難しに集まっていた。主に女性や子供、年配の人間ばかりだ。男性でも、まだ成人し間もないような若者はいるが、働き盛りの年代は少ない。この数ヶ月の間に徴兵されたか、自ら志願したのだろう……と、ジェラルドは思った。


 時間が経つにつれ、空腹と恐怖で泣き出す子供が出てくる。既に、夜になっていた。黙らせようと母親らしき女性が必死にあやしている。アンジュの近くには、悲痛の面持ちで寄り添う老夫婦に抱かれた幼女、母親らしき女性に抱かれ、すすり泣く少年がいた。

 幼女は、(ろう)人形のように表情が無い。泥と(すす)で薄汚れた色白の顔。後ろに乱雑にまとめたブロンドの長い髪は荒れている。サファイアの碧の瞳は陰で覆われ、空虚な眼差しをしていた。

 泣いている少年は、「パパ……パパ……」と呟きながら、ブルネットの巻き毛を撫でられている。


 ――あの子達、も……? なくしたの……?


 アンジュの心の奥底の、()()が、先程からずっとざわめいている。痛ましくて、悲しい光景……見ているのは辛いのに、何故か惹き付けられる。

 彼らは()()は、言わない。今居る場所がそうさせているのか、本当に何も言えないのか、何も感じていないのか……


 ――そんなわけ、ない


 聴こえる気がした。音も光も無いが、強烈な叫びのような信号。彼女に内に棲む()()が、そんな信号の一部と共鳴し、手を振り返そうとする。応答しようとしている。

 どくん、と熱を帯び出した心が動き、鳴った。


 ――こわい。こわい。たすけて。たすけて

 ――こんなのいや。きらい。さみしい

 ――どうして? なんでこうなったの? これは、何?

 ――どこにいったの? おいてかないで

 ――きらいになったの? わるい子だから?


 ――うまれてきたく、なかった


 ……――刹那、今まで会った人達の言葉が、突風のようにアンジュの脳裏を駆け、流れ巡った。


『僕の分まで夢を叶えてほしい。君の歌で、僕は元気になれた』

『貴女は、何の為に歌いたいの?』

(わし)は聴けないが、嬉しいよ。頑張りなさい』

『それでいいんだ。君は、それでいい』

『心の声を、よく聞いて』

『君が選べばいい。生きていてくれたらいい……‼』

『一度だけ。でも、君が好きな歌にするから』


 ――ああ…… そうだ。()、は…………



「……『ほのお、の中で、散る、花よ』」

「シスリー⁉」


 掠れた声で()を口ずさみ始めたアンジュに、ジェラルドは驚愕し、思わず見入る。翡翠の瞳孔が見開き、全ての音が、一瞬、耳から消えた。そこだけが、無音の空間に飛ばされたようだ。


「……『真っ赤な、涙を、頭上に舞わせ、最期の瞬間(とき)に、君は、何を思う……?』」


 『ポピーの涙』だった。拙く、掠れた声で儚く紡がれる、アンジュの何よりも大切な楽曲。固まっていた喉の筋肉や呼吸器を、懸命に動かす。


「止めろ。ここでは……」


 我に返ったジェラルドは、歓喜に震える心を必死に抑え、周囲に配慮して止めさせようとする。


 自分達への強い視線を感じた。同時に、幼い子供の澄んだ声が響く。


「お花、どうなる、の?」


 先程、老夫婦に抱かれていた無表情の幼女だった。アンジュと向き合い、真剣な様子で問いかけている。まだ片言の幼児である彼女に、歌詞の意味が解るとは思えない。しかし、切なる瞳で続きを知りたがっているようだった。

 遥か遠いロンドンの上空から、カーディフの壕内にまで聞こえてくる落雷のような轟音。それらに掻き消されないよう、尚且(なおか)つ、語りかけるように、囁くように、アンジュは、切なくも優しいメロディを口ずさむ。


「『……さようなら、育った故郷(ふるさと) さようなら、愛した人 さようなら、愛してくれた人』」


 少し一息つき、ぐっ、と(まなこ)に力を入れた。更に心が痛む歌詞に入る。しかし、彼女の宵の瞳には、淡い閃光(ひかり)が灯っている。


「『遺された、はずの、亡骸(なきがら)さえ、涙と共に、消えていった』」


 いつの間にか、シェルター内の人々が、皆、アンジュと幼女に視線を向けていた。少年の泣き声や女性の鼻を啜る音も止んだ。『止めろ』という声も無い。悲壮感の中にどこか厳かな空気が漂う、奇妙な静寂に満ちている。


「『誰の為に、君は泣く? 誰の為に、君は()く?』」


 楽曲は終わった。が、アンジュは少し間をおき、再び、口を開く。


「『……とけゆく涙は、地に還り、陽を浴びて』」


「『やがて、(あお)く……芽吹くでしょう』」


 ――…………


 しん、と静まりかえった空間の中、やがて、側にいた老夫婦が、パチ……パチ……と微かな拍手を鳴らした。つられるように弱々しく拍手が鳴り、すすり泣く声や嗚咽が、再び聞こえて来る。乞い求めるように、男の名を呟く女性もいた。


「……お花、泣いてるの?」


 (あお)のガラス玉のような()に、雨粒のような(しずく)を浮かべた幼女が、再び問いかけた。そんな彼女に、こくり、とアンジュは神妙に頷く。


【閲覧ありがとうございました。いいねや一言でも良いので、ご感想を頂けると嬉しいです】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ