Aubade ~彼は誰故に【myself】
様々な不安を抱えながら、英国の短い夏が終わりを迎えた間際。一九四〇年の九月某日。突如、ドイツ空軍による攻撃が、首都ロンドンの街を襲った。翌年の春まで続き、後に『ザ・ブリッツ』と歴史に語り継がれる事になる、ロンドン大空襲の始まりだった。
アンジュ達の住むカーディフ近郊は、ロンドンからはかなり離れている。しかし、流れ弾や爆破に巻き込まれる可能性を危惧し、カーディフ城内地下の防空シェルターに、近郊住民は避難する事を勧められた。
強制ではなかったが、助けを呼ぶ声を出せないアンジュの状態を案じた二人は、少し遠方だがカーディフに戻り、暫くの間、滞在することに決めた。ジャズバーの仕事は休まざるを得ない。状況次第だが、長期の避難は難しいだろうな……と、ジェラルドは悩んだ。
今まで以上に、命の危機をリアルに感じると同時に、スコットさんやクリスの安否が心配で堪らなく、不安が募る。だが、アンジュは、ジェラルドはともかく、自分の身の安全は、内心、あまり気になっていなかった。
逃避なのか、自暴自棄状態なのか……そんな自身に戸惑う反面、どこか不気味で、怖さを感じる中での避難だった。
石造りの城内地下の壕内は、窓はなく薄暗いが、割と広く、小綺麗な空間だった。非常食や薬などの入った箱が大量に積まれ、壁には注意書が書かれたイラスト付きのポスターが、何枚も貼られている。『騒がない』『走らない』『泥酔しない』『喫煙しない』……
ロンドンに来る時に乗った船の地下の客室を、ふと、アンジュは思い出した。あの時は窓もあり、自由に甲板に出て、外気も吸えた。しかし、今回は窓もなければ、外にも出られない密室……籠城状態だ。
――本当に、牢獄生活みたい
結構な人数が避難しに集まっていた。主に女性や子供、年配の人間ばかりだ。男性でも、まだ成人し間もないような若者はいるが、働き盛りの年代は少ない。この数ヶ月の間に徴兵されたか、自ら志願したのだろう……と、ジェラルドは思った。
時間が経つにつれ、空腹と恐怖で泣き出す子供が出てくる。既に、夜になっていた。黙らせようと母親らしき女性が必死にあやしている。アンジュの近くには、悲痛の面持ちで寄り添う老夫婦に抱かれた幼女、母親らしき女性に抱かれ、すすり泣く少年がいた。
幼女は、蝋人形のように表情が無い。泥と煤で薄汚れた色白の顔。後ろに乱雑にまとめたブロンドの長い髪は荒れている。サファイアの碧の瞳は陰で覆われ、空虚な眼差しをしていた。
泣いている少年は、「パパ……パパ……」と呟きながら、ブルネットの巻き毛を撫でられている。
――あの子達、も……? なくしたの……?
アンジュの心の奥底の、何かが、先程からずっとざわめいている。痛ましくて、悲しい光景……見ているのは辛いのに、何故か惹き付けられる。
彼らは言葉は、言わない。今居る場所がそうさせているのか、本当に何も言えないのか、何も感じていないのか……
――そんなわけ、ない
聴こえる気がした。音も光も無いが、強烈な叫びのような信号。彼女に内に棲む誰かが、そんな信号の一部と共鳴し、手を振り返そうとする。応答しようとしている。
どくん、と熱を帯び出した心が動き、鳴った。
――こわい。こわい。たすけて。たすけて
――こんなのいや。きらい。さみしい
――どうして? なんでこうなったの? これは、何?
――どこにいったの? おいてかないで
――きらいになったの? わるい子だから?
――うまれてきたく、なかった
……――刹那、今まで会った人達の言葉が、突風のようにアンジュの脳裏を駆け、流れ巡った。
『僕の分まで夢を叶えてほしい。君の歌で、僕は元気になれた』
『貴女は、何の為に歌いたいの?』
『儂は聴けないが、嬉しいよ。頑張りなさい』
『それでいいんだ。君は、それでいい』
『心の声を、よく聞いて』
『君が選べばいい。生きていてくれたらいい……‼』
『一度だけ。でも、君が好きな歌にするから』
――ああ…… そうだ。私、は…………
「……『ほのお、の中で、散る、花よ』」
「シスリー⁉」
掠れた声で歌を口ずさみ始めたアンジュに、ジェラルドは驚愕し、思わず見入る。翡翠の瞳孔が見開き、全ての音が、一瞬、耳から消えた。そこだけが、無音の空間に飛ばされたようだ。
「……『真っ赤な、涙を、頭上に舞わせ、最期の瞬間に、君は、何を思う……?』」
『ポピーの涙』だった。拙く、掠れた声で儚く紡がれる、アンジュの何よりも大切な楽曲。固まっていた喉の筋肉や呼吸器を、懸命に動かす。
「止めろ。ここでは……」
我に返ったジェラルドは、歓喜に震える心を必死に抑え、周囲に配慮して止めさせようとする。
自分達への強い視線を感じた。同時に、幼い子供の澄んだ声が響く。
「お花、どうなる、の?」
先程、老夫婦に抱かれていた無表情の幼女だった。アンジュと向き合い、真剣な様子で問いかけている。まだ片言の幼児である彼女に、歌詞の意味が解るとは思えない。しかし、切なる瞳で続きを知りたがっているようだった。
遥か遠いロンドンの上空から、カーディフの壕内にまで聞こえてくる落雷のような轟音。それらに掻き消されないよう、尚且つ、語りかけるように、囁くように、アンジュは、切なくも優しいメロディを口ずさむ。
「『……さようなら、育った故郷 さようなら、愛した人 さようなら、愛してくれた人』」
少し一息つき、ぐっ、と眼に力を入れた。更に心が痛む歌詞に入る。しかし、彼女の宵の瞳には、淡い閃光が灯っている。
「『遺された、はずの、亡骸さえ、涙と共に、消えていった』」
いつの間にか、シェルター内の人々が、皆、アンジュと幼女に視線を向けていた。少年の泣き声や女性の鼻を啜る音も止んだ。『止めろ』という声も無い。悲壮感の中にどこか厳かな空気が漂う、奇妙な静寂に満ちている。
「『誰の為に、君は泣く? 誰の為に、君は逝く?』」
楽曲は終わった。が、アンジュは少し間をおき、再び、口を開く。
「『……とけゆく涙は、地に還り、陽を浴びて』」
「『やがて、蒼く……芽吹くでしょう』」
――…………
しん、と静まりかえった空間の中、やがて、側にいた老夫婦が、パチ……パチ……と微かな拍手を鳴らした。つられるように弱々しく拍手が鳴り、すすり泣く声や嗚咽が、再び聞こえて来る。乞い求めるように、男の名を呟く女性もいた。
「……お花、泣いてるの?」
碧のガラス玉のような瞳に、雨粒のような滴を浮かべた幼女が、再び問いかけた。そんな彼女に、こくり、とアンジュは神妙に頷く。
【閲覧ありがとうございました。いいねや一言でも良いので、ご感想を頂けると嬉しいです】




