★心乞う最上は ~ Ms. Baby Ange
【※R15程度の性的描写があるのでご注意下さい】
アンジュが声を失くしてから一ヶ月程が過ぎ、季節は初夏に変わった。欧州から孤立した英国は、未だ先行きの見えない、濃く真っ暗な空気だけが漂い、いつ余命宣告が下るか分からない渦中のような、絶望的な時流が襲っている。
それは、ウェールズの田舎町にひっそり暮らしている、若い恋人達も同じだった。アンジュの口からは、未だ微かな音すら出ないでいる。
しかし、人間とは不思議なもので、初めは二人共に困惑と悲観を抱えながら過ごしていたが、少しずつ、そんな暮らしを諦め半分、受け入れつつあった。基本的に無音、無言の時間ばかりだったが、それにもだいぶ慣れた。
ジェラルド自身が、それほど多弁でなかったのもあった。アンジュとの意思疎通や連絡は、筆談と彼女の唇の動きを読む事で、どうにかなっている。
だが、あれからずっと、彼女の表情が固まったまま、微笑みすら見せなくなった事が、彼には、一番堪えた。
そんなある日、ジェラルドは休暇をとり、少々遠方の町の役所まで赴いた。例の『良心的兵役拒否権』の申請をしに来たのだ。婚約者同然のパートナーが病気である身なら、尚更、自身まで危険に晒す訳にはいかない、と考えての事だ。
審査が通るのを願うばかりだったが、それはアンジュも同じ……いや、今の彼女には、ある意味彼以上に切実で、悲壮感しかない心境だった。
――ダメだったら、どうしよう。怖い。怖くて堪らない。彼が、激戦地へ行く……
――この人までいなくなって消えてしまったら、どうしたら良いの……
考えただけでも、身震いする位に恐ろしい未来だ。想像すらしたくない。
――私は、全然、大丈夫じゃない。あんなに歌を褒めてもらっても、全然、立派じゃない。偉くもない
――こんなに、どうしようもなく弱くて、みっともない位にすがっている、脆い人間だったんだ……
その夜。奇妙な静寂の中、久しぶりに二人でゆっくり夕食をとる。簡素だがジェラルドの好物を作ったのだ。久方ぶりに見る嬉しそうな面持ちで、シチューを平らげていく彼を、アンジュは切ない思いで見ていた。
――あと何回、彼とこんな風に過ごせるんだろう……
――こんなに穏やかな日々も、終わってしまうのだろうか……
いつものようにシャワーを浴び、共に床につく時、アンジュは思い詰めた様子で、ジェラルドの手を取った。
「どうした?」
何か言いたい事がある時は、軽く身体に触れる仕草を合図にしていた。が、いつも以上に神妙な気配が気になる。
『……おねがい、が、あります』
少し頬を桃色に染め、ゆっくりと唇を動かし、そんな事を告げる彼女に、ジェラルドは身構えた。こんな風に、アンジュが何かをねだる事など、ほとんど無い。頼られたのは嬉しいが、ぴん、とした緊張感が、仄暗く漂う。
「何だ?」
返答した瞬間、しゅる、とアンジュは、ネグリジェの胸元を絞っている細いリボンをほどいた。そして、膨らんだ綿素材のスリーブ部分も緩ませ、ずり下げようと必死に指先を動かし、もがいている。
そんな彼女の所為に、ジェラルドは唖然とした。一瞬、何が起きているのか解らず、意識が止まった。しかし、彼女の素肌が次第に露になっていくにつれ、状況をようやく理解した瞬間、どくん、と心臓が一気に跳ね上がる。
「何、してる⁉ ……やめろ‼」
止めさせようとした彼に、両手首を強く掴まれたが、アンジュは構わず、いとおしい固い胸板に自身の身体を強引に委ね、預けた。彼が激しく狼狽えているのが判る。しかし、切々とした激しい想いが溢れ返って止まらない。
今じゃないと、ダメだった。今、この人に触れて、抱いてもらわないと、心が、自分全てが死んでしまいそうだった。
公的な縁は無くても、こんな歪な形でも、いつ、どんな火の粉が降り掛かるか分からない、こんな危うい時代だからこそ、衝動的で、刹那的なやり方でも……良かったのだ。
この酷な世界で、自分は生きていて良い、濁流の中でも生きてゆける、という絶対的で確かな力を与えて欲しかった。はっきりと、この身体全てに染み付くように、差し出して欲しい……
誰でも良い訳じゃない。この人だから、特別なこの人だから――したい。出会ってから少しずつ知って、もらった優しさを、深い想いを、もっと味わって、感じて、返したい……
胸元のリボンが緩みほどけ、アンジュのなめらかなデコルテと細い肩が現れ、はだけた。そのまますがり付くようにジェラルドの腕を握り、切羽詰まった面持ちで見つめる。そんないじらしくも扇情的な光景に、喉に詰まっていた熱い塊が、ごく、と下っていった。
「シスリー……?」
「……いい、のか?」
反射的に小さく頷き、腕に握られた細い指に、更に力がこもる。意を決したような、波打つ宵の海の瞳を向けてくる。『このまま、あれ以上をして欲しい』と、彼女はおそらく願っているという、突然の状況に動揺し、思考が錯乱する。
他の男の訃報がショックで声を無くし、他人に触れられる事に過敏になったアンジュが、何故、今ここまで自分を求めるのか、ジェラルドには理解できなかった。
――何故、急にこんな……? 自分は何も力になれないのではなかったか……?
自虐的に視線を反らし、顔を彼女から背け、切に訴えるように呟く。
「……だめだ。傷つける、かもしれない」
共にロンドンから避難し、同じ部屋で寝泊まりして暮らすようになってから数ヶ月。一度も最後までは身体を重ねていない。引っ越す際、秘かに用意した避妊具も使っていない。彼女の傷んだ心身を案じ、多忙さによる疲労と理性を利用し、必死に男の性を抑え、今日までハグやキス以上の手は出さず、ジェラルドはずっと耐えて来たのだ。
そんな中、このように突然、強く求められている状況。切実さと恥じらいの交じる面持ちで、必死にすがりついてくる今のアンジュは、男を惑わす小悪魔のようにさえ見えてくる。
しかし、宵の海と化した瞳は、憂いていても変わらず澄んでいて、無垢な幼子のように清かった。だからこそ、余計にいとおしくて堪らない。が、同時に、ひどく痛々しかった。細身の身体は、微かに震えている。このまま手を出してしまったら、彼女を完全に壊してしまうのではないか、と躊躇う。今の状態が、更に悪くならないか気になった。
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