嬉なる誓い ~ imaginary dream
その夜。二人はグレアム夫妻の娘が使っていたという部屋の、シングルベッドを半分に分けて床についていた。とは言うもの、一人用のベッドだ。成年二人が使うには狭い。身体が密着状態で布団をかぶっている。
アンジュはジェラルドと触れながら眠れるという状況に、至福の思いでいたが、彼の方は理性と睡魔の両方と、必死に戦っていた。
「素敵なご夫婦ですね」
そんな彼の葛藤を知るはずもなく、アンジュは夫妻の様子を思い出し、感慨深く、呟く。明日から暫く、ジェラルドはグレアムの協力を得ながら職探し、アンジュは世話になる礼として、夫人の手伝いをすることになった。
グレアムは数年前まで、炭鉱夫としてウェールズの鉱山まで出稼ぎに行き、働いていたらしい。夫人は彼の留守の間は、内職やレストランで働きながら、家計を支えていた。
高齢になったグレアムが炭鉱夫を引退してからは、二人で内職や畑仕事、貯蓄を切り崩しながら、隠居暮らしをしているという。裕福とはいえないが、そんな風に仲睦まじく、二人三脚で生きてきた二人がアンジュにはとても眩しく、尊敬せずにいられない。
「……どうしたら、あんな風になれるんでしょうね。なれるかしら……」
うつらうつら、と微睡みながら、まるで自分達二人の未来を夢見るように呟く彼女が、ジェラルドにはいとおしく、切なかった。
一刻も早く仕事を見つけ、住まいを探し、二人で暮らしたいという、希望に満ちた思いに駆られる。
「……暫く、本名を名乗れない事情も理解してくれた。本当に感謝しても、しきれないな……」
頷くアンジュに、改まった声色で呼ぶ。
「シスリー」
はっ、と彼の顔を見る。翡翠色に艶めく瞳には、確固たる光があった。
「いつまで続くかわからないが、なるべく早く……暮らしを落ち着かせよう」
「……はい。ジェイド、さん。頑張りましょう」
喜びと希望に溢れる思いを含みながら微笑み返し、誓い合うように、二人はきつく抱き合った。
数日後の昼過ぎ。アンジュはグレアム夫人と共に、市場に買い物に出かけた。ついでに、町に住む友人達を紹介してくれるということだった。
三人の女性達に囲まれ、緊張する。ロンドンで出会った楽団や客層とは違う、素朴で家庭的な風貌の婦人ばかりだ。
「シスリー、と呼んで下さい。よろしくお願いします」
グレアム夫人から紹介され、丁寧に頭を下げて挨拶する。そんなアンジュに、少し年長の女性が開口一番、問いかけた。
「あんた、グレアムさんの知り合いっていうけど……ロンドンから避難しに来たって……本当なの?」
「はい。そうです…… お世話になります」
新参者が気になるのはわかるが、並々ならぬ緊迫感がどことなく漂う彼女達に、アンジュは戸惑う。
「ああ、悪いね。……いや、ね。ドイツ軍が英国にも攻撃……侵略が始まるってことで、ロンドン近郊の……『J』が、こっちに逃げてくるんじゃないかって、皆、ちょっと警戒してるんだよ」
『J』――今時世のユダヤ人の隠語だ。こんな平穏そうな町にまで、開戦の影響が伝わっているという状況におののき、固まった。
「逃亡の手助けしただけでも、バレたら秘密警察に捕まって、まとめて収容所行きだそうじゃない?」
「ね……親戚や友達でも躊躇うってのに、見ず知らずのあんた達じゃ……」
「……私は、オーストラリア人で、就労移民です。一緒に来た彼は、カトリック系のイギリスの方です」
ここで尻込みしてはいけない、とアンジュはなるべく動揺を抑え、冷静に、丁寧に説明する。嘘ではないが、複雑な思いだ。ユダヤ人というだけで、そんな風に言われる時世。
――もしかしたら、自分もそうかもしれないのに……
先日、ジェラルドと話した事を思い出す。母親はどこの誰かわからない。現在、国家的に敵対している、ドイツやイタリアの血が混じっている可能性だって……あるのだ。
「南半球から来たの⁉ すごいわね。彼は元貴族なんでしょ⁉ どんな人⁉」
別の若い女性が、驚きながらも無邪気な言葉をそんなアンジュにかける。戸惑う彼女に代わり、グレアム夫人が静かに返した。
「真面目そうで礼儀正しくて、素敵な方ですよ。ちょっと無愛想だけど。羨ましいわ」
彼女も自らジェラルドと話して、これまでの事情を聞いてくれたようだった。
「へぇ、そうなの⁉ あんたも、まぁ可愛らしいけど……やるわねぇ。貴族のお嬢様達なんて、美女ばかりでしょ? よく捕まえたわね」
このアンジュと同じ年頃の女性は、興味津々な眼差しを変わらず向けてくる。
「あ、ありがとうございます」
歌以外を褒められ慣れていないアンジュは、まごつきながら礼を返した。しかも、自身の事ではないのに、彼を良く言われるのは何故か嬉しい……という初めて感じる気持ちだ。
そんな彼女に、先程、懸念の声を共にこぼした、夫と二人の子供がいるという別の女性が提案する。
「じゃあさ、式は、いつ挙げるんだい? あたしらで良ければ、準備手伝うよ」
「式……?」
アンジュは呆然とした。確かに、彼と思いを通じ、未来までを想定はし合ったが、この先の具体的な予定までは考えていなかった。
「やだ、結婚式に決まってるじゃないか。あんた達、夫婦になりたいから駆け落ちしたんだろ?」
「え、まだ、何も決めてないの?」
信じられない、と言いたげな二人を、グレアム夫人は穏やかに窘める。
「少しばかり訳ありみたいだし、ご時世的にもすぐには無理ですよ。まずは生活を整えられるよう、協力してあげましょう」
夫人の助け船のお陰で、その場はおさまったが、アンジュは動揺していた。大好きな人に新しい呼び名をもらって、頑張れば、ずっと一緒に暮らせるかもしれない。それだけで満ち足りていた。
これ以上、何かを求めたらバチがあたるような、今の幸せも全て壊れてしまうような、恐怖にも近い思い。分不相応という以上に、自らが手にするのすら……想像も出来ないでいたのだった。
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