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戦火のアンジェリーク  作者: 伏水瑚和
Ⅲ.Wales ~ the UK
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翡翠の目醒め ~ Jade


「初めは償いのつもりだった。が……君さえ良ければ、共に生きていく未来を、前向きに考えて、いきたい……」

「ジェラルドさん……」


 男女関係の知識に乏しいアンジュでも、それがプロポーズに近い発言だとわかった。しかし、嬉しさ反面、どこか他人事で素通りしていく。何かの舞台のシーンを、目の前で再現されているような感覚。耳慣れない言葉の数々を、どう受け止めていいのか分からず、戸惑う。

 そんな彼女の複雑な心境には気づかず、ジェラルドは続ける。


「ただ、共に逃げて来た……周りから見れば、身分違いの駆け落ちのようなものだ。グレアムさんはともかく、町には様々な人間がいる。好意的な視線ばかりではないだろう……君を悪い立場にしたくない」

「構いません。平気と言えば、嘘になりますけど…… そんなのは昔からですし、慣れてます。覚悟の上です」


 元々、こんな風に彼といられるとすら思っていなかった。今の状況だけでも、アンジュは十分に幸せだし、一時は、身を捨てようと覚悟した位だ。恋しい人と毎日過ごせるなら、周りの目も耐えられる。


「……せめて、もう少し出自が判ればな……『アンジェリーク』は、フランス語だろう? フランス人じゃないのか?」

「判りません。預かってもらった院長の叔母がオーストラリア人だったので、父もそうだと思いますが、母は……どこの、どんな人かも……知らないんです……」


 自分は、一体どこからきたのだろう。何故、見捨てられたのだろう…… 自身の思いや存在理由すら、アンジュには認識出来ないでいる。


「……変ですよね。自分が()なのか……分からないなんて……」

「はっきり分からない、知らない方がいいこともある……と、俺は思う。俺だって、親と呼んで良いのかわからない人間の子だ。父親は職業しか知らない」


 はっ、とジェラルドの方を見た。今更ながら、彼が抱えている痛みを思い出す。普段、人に弱みを見せない冷静沈着な彼からは、そんな背景は見えない。


「何故、父親が身売りをしていたのかも知らない。飢えていたのか、別の理由があったのか…… いずれにしろ、そいつの血をひいているのには変わりない」


 淡々と語るジェラルドが、アンジュには不思議だった。今までの彼なら、一番避けて、口にしたくなかった話題だろう。


「犯罪まがいの事にも手を出していたかもしれない。それは……君の両親もだろう…… が、『親が誰だろうと、どんな人間だろうと、俺は俺』……なんだろ?」

「ジェラルドさん」


 彼の変わり様と自分が以前言った言葉に驚き、アンジュの瞳孔が揺れた。空虚な重い陰を落としていた、哀しい深緑の()の青年の姿は、もういない。


「親が、たとえ犯罪者だろうと狂人だろうと、自分はそうならなければいい……だけだ。生きてきて少しでも目にした、大切な……美しいモノだけ忘れないよう、覚えていればいい……と思う」


 思い出の薔薇園で最後に会ったスコットの、穏やかな微笑みと清廉な強い意志が、ジェラルドの脳裏に(よぎ)った。彼に恥じる行いだけは……したくない。


「まあ……この時世、いざという時が来るかもしれないがな……」


 悲しげに自分の手を眺め、皮肉めいた口振りで、ジェラルドは呟く。いつか、自分も戦地に行かされ、この手も身体も血泥に染まるのだろうか……


 この地に敵軍が攻めて来た時、どんな惨事になるかわからない。もし、敵兵が目の前でアンジュを襲ったら、自分は、確実にその人間を殺すだろう。彼女が飢えて死にかけたら、盗みをはたらく。例え、相討ちで自分が殺されても――

 ジェラルドだけではない。大切な人がいる人間は、皆、同じ事をするだろう。自分が生きる為にするのは、もはや暗黙の了解になる。軍人も民間人も、いつ、誰が、犯罪者になるかわからない。なっても咎められない。理不尽な暴挙が、狂気が、正当化される世界に変貌する……


 遠い目をしている彼を見ているのが辛くなり、アンジュは思わず止めた。


「……どうなるか、私にもわかりません。けど……そんな風にしたくないです。貴方の手は、あの素敵なピアノを奏でる為に、あると思います……」

「俺もそうだ。だから、逃がしたかった。君の歌は、人を生かすためにある」


 あの初めてキスを交わした日以来、互いを賛辞し合っている状況に気づき、恥ずかしくなった二人は、共に頬を薄紅に染めた。咳払いをしたジェラルドが、話題を変える。


「名前と言えば…… いくら貴族とはいえ、俺の名は、多分ここまでは届いていないと思うが、暫く本名は広めない方が良いと踏まえてる。まぁ、平たく言えば、偽名だが……考えたい。何が良いと思う?」

「私も、考えていいんですか?」


 頷く彼に嬉しくなり、少し考えたアンジュは、久しぶりに弾んだ声を出した。


「――『ジェイド』さん、って呼んでいいですか?」

「……⁉」


 その単語を耳にした瞬間、ジェラルドの表情がたちまち険しくなり、硬直した。


「以前、単独依頼だった宝石商のお客様が、私物の指輪を見せながら話して下さったんです。東の異国にある『翡翠(ひすい)』という石で、こちらの言葉では『ジェイド』と呼ばれると……」


 高揚したアンジュは彼の変化に気づかず、明るい口調で続ける。


「とても神秘的で綺麗で、貴方の()の色に似ていると思ったんです…… 同じ名前の、蒼い羽根の鳥もいるんですって…… あの、嫌ですか? すみません……」


 瞳孔を見開き、固まってしまったジェラルドにようやく気づき、慌てて詫びた。


「……いや、まさか、その名が出るとは、と」

「……?」

「母親と同じ色の……この()が、ずっと、嫌いだった」


 息が止まった。とんでもないことを申し出て、彼の傷跡に土足で踏み込んでしまったと自責する。


「確かに、翡翠は『jade』……ジェイドというが、『浮気女』という意味もある」

「……‼ すみません、私……‼」


 思わず口元を抑え、アンジュは思い切り頭を下げた。無知(ゆえ)とはいえ、よりによって最も深い傷を(えぐ)る行為をしてしまった、と真っ青になり、激しい後悔が襲う。


「――だが、君が呼んでくれるなら…… それも良いかもしれない」


 驚いて顔を上げたアンジュの前には、複雑そうでそれでいて、以前なら考えられない位に穏やかな表情を浮かべた、ジェラルド・グラッドストーン――『ジェイド』がいた。

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