吹雪く発露 ~ outburst
少し周囲を伺った後、ジェラルドはいつかの夜のように、アンジュの冷えた額と頬に、そっと唇をあてた。何度か不器用に、慰め、温めて労るような、謝罪の口付け。だからか、唇は避けた。公共の場だから……という理由だけではない。
成り行きとはいえ、共に旅することになり、ようやく二人だけになれて、こんなにすぐ側にいるのに、どこか遠く心許ない。好いた人を守りたくて身を捨てた事で、その人との距離が開いてしまったのが、アンジュは悲しかった。
そんな、自分を求める寂しげな眼差しに、ジェラルドは気づいていた。だが、自分の想いが引き金になり、その大切な人が危機に陥って傷ついたという事態を、まだ受け入れられない……
「……もう、休もう」
そのまま彼女の後頭部を包み、ジェラルドは目を閉じた。そんな彼の横顔を、複雑な思いで見つめたアンジュは、これから私達はどうなっていくのだろう、という不安を打ち消したく、軽く深呼吸してから自分も瞼を下ろした。
翌日も鉄道を乗り継ぎ、手持ちの現金で行ける所まで西へ向かっていた二人は、ウェールズ地方の首都、カーディフで一度下車した。真っ先に質屋を探し、ジェラルドは持参していた貴金属の一部を手放し、現金に換金した。暫くの間の生活費にする為だ。
さすがに一日中の旅で、くたくたになった二人は、疲れをとる為、今夜は宿屋を訪れ、二人用の部屋に泊まる事にした。スコットの親友夫婦が住んでいるという町は、もう少し遠い上、宿屋があるかわからない。
今日は、朝方からずっと雪で、夜更けになっても小降りだった。そんな英国の部屋は、ストーブを焚いても、なかなか暖まらない。
「……疲れただろう。もう少しで、スコットさんの友人の町に着く。グレアムというらしい」
宿の室内に入ったジェラルドは、敢えてアンジュと目を合わせず、そう告げながらコートを脱ぎ、首もとを緩めて一息ついた。そんな何気ない仕草にすら、自分もコートや帽子を取りながらも、アンジュの心臓は揺れ動く。
節約の為に一つの部屋にしたというもの、一晩を密室で共に過ごす…… 二人きりの夜は二度目だが、そんな状況が双方の心を乱していた。惹き寄せるように漂って来る、互いが纏うオーラが気になって仕方ない。
「俺はカウチで、この毛布を被って寝る。そのベッドは君が使え」
昨夜も使ったネイビーの毛布を広げ、淡々と当たり前のように提案する彼に、アンジュは慌てた。足元は冷え込んでいる。質素なカウチは固そうで、寝心地も悪そうだ。
「えっ、そんな。ダメです」
「今夜もかなり冷える。君は体調が悪いだろう。きちんと休んだ方が……」
「……あ、の」
恥も怖さも捨て、覚悟を決めたように、ジェラルドの深緑の瞳を見つめながら、思い詰めた表情で申し出た。
「……お、願いです。今夜も……すぐ近くに、側にいて、くれませ、んか? 怖い、んです……」
これから先のことが不安で堪らない中、先日の事件がきっかけで、彼との関係が変わってしまう気がしていたアンジュは、その事に一番怯えていた。それに、自分のせいで、彼をこんな冷えた場所に休ませるのも、嫌だった。
若い男性と寝室で二人きりの状況は、二度目だ。落ち着かなくて不安だけど、あの時とは、違う。それに……
「……な、にを言……」
揺れる瞳孔を見開き、ジェラルドは絶句した。しかし、反面、妙な躍動と歓喜が、身体全体を駆け巡る。そんな自身に動揺し、狼狽えた。
「ダメ、ですか……?」
彼女の身体が細かく震えているのはわかっていた。しかし、だからこそだと、ジェラルドは自身を律し、制した。
「……悪いが、俺も、男だ」
身も蓋もない言葉と鋭い拒絶に、反射的にアンジュは硬直し、固まる。それでも、激しい想いが関を切ったように溢れて、止まらない。沈んだ心に鞭打ち、とうとう、切り出した。
「……あの人に触られた私、は……もう、嫌ですか……?」
「違う‼」
思わず声を荒げ、ずっと昂っていた本音を、ジェラルドは言い淀みながら、吐き出す。
「……何を、されたか……知らないが…… 似たようなことを、多分、俺も……するぞ?」
彼女に言い聞かせたく、一言、一言をしっかりと告げ、自分から逃げられるように背を向け、距離をとる。
そんな彼のシビアな言動に茫然としたが、衝撃を呑み込み、アンジュは後を追う。惹かれて止まない背中にしがみつくように抱きつき、薄紅に染まった顔を埋めた。
恐怖以上に、どうしようもない心細さと激しい焦燥が、心の中で甘く匂い立ちながら混じり合い、渇望するように沸騰している。
「……こういう、事は、よく……わからないですが……」
「ア、ンジュ……?」
背中全体に感じる、彼女の温かな体温と柔らかな感触が、ジェラルドの心を大きく揺さぶる。珍しく、動揺した声色が、震えて零れた。そんな彼にアンジュは白状した。誤解してほしくなかった。貴方のせいじゃない、と伝えたかった。
「あの時……もう、身を捨てるしかないと覚悟した時…… 今からされる事は、全て貴方からだと思い込めば……耐えられるかも、って思ったんです……」
「……⁉」
背後から耳に飛び込んできた信じ難い言葉に、ジェラルドの心臓が跳ね上がる。
「す、き……です……」
熱く詰まる胸の奥から、精一杯の想いを絞り出す。か細く、切なる声で、アンジュは生まれて初めて、告白、をした。
「だから、一緒に、いてく……」
そこまで言った瞬間、握っていた白いシャツが反転し、気づけば、目の前に彼の胸元があった。懐かしい心地好い匂いと、身体を締め付ける腕の力が、苦しい位に甘い高鳴りと、高揚した安堵感を誘う。
「……何故、今、ここで、そんなことを言う……⁉ 頼むから、もう……煽るな……」
「ジェ……」
小さな驚きの声を漏らし、彼を見上げたアンジュの唇は、塞がれた。昨夜の慰めるような優しいキスとは違う。柔らかな刻印を押し付けるような、激しさを伴う口付け。角度を何度か変え、彼女全てを喰らうかのように掻き抱き、腕、身体全体を使い、迫る。
ずっと求め続けていた、乞いて止まない甘美な感触だった。今はもう二人を遮るものも、障害も、何も、無い……
無音の空間が、湿度を帯びた艶めく熱で満ちる。宿の外で、舞うように降り続けている粉雪は、とうとう吹雪始めた。
初春の雪は、時が経つ程に勢いを増し続けている。が、どこか散り散りで、儚く……危うかった。
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