★カナリアは何故鳴くか ~ canary
【※R15程度の性表現が登場するのでご注意下さい】
一方。公爵家の邸宅では、自分の出番を終えたクリスが、客間に待機している団長の元に走っていた。珍しく血相を変えた彼女の様子に、アンジュの件だと彼が予測するのは容易かった。
今夜の彼女への依頼内容について問い詰め、勘づいたジェラルドが助けに向かった経緯を話すと、公爵令息との専属契約の話まで、全てを白状した恩師に、クリスは愕然とした。
「……私の時も、貴方と、当時の先輩方は助けて下さいませんでした。また同じ事を繰り返すのですか?」
昔、まだ駆け出しの新人の頃に味わった、苦く忌まわしい体験を思い出しながら、怒りを努め抑え、続けて問い質す。
「仕方ないだろう。この大不況に、あの名高い公爵家に退かれたら、楽団自体やっていけなくなる。……君だって危うくなるのだぞ」
「だから、彼女を犠牲に? ただでさえ追い込まれているのに? ……アンジェリークの歌の評判は、あの娘の気質や精神状態が左右しているという事は、貴方も重々、ご存知のはずでしょう?」
必死に訴えるクリスに、団長は冷ややかな視線を向けた。この手の苦情や詰問には慣れているのか、無知な子供に愚かだと言い聞かせるように、淡々と続ける。
「生易しい事を言っていたら、経営なんてやっていけない。仕事……ビジネスとは、基本的にそういうものだろう? 増してこの類いの業界は……歌えなくなったら、その時は切り捨てるしかあるまい。やむを得ず……というものだ」
クリスの悲しげな軽蔑の眼差しに気づいた彼は、ふう、と軽くため息をついた。
誰が決めたのか。いつから始まったのか。何がそうさせているのか。長い歴史の中で、遥か昔から世を占める、有無を言わさぬ印籠か、十字架のような理。そんな弱肉強食世界を称す常套句を、組織の長は呟く。
強さとは、弱さとは、一体何なのだろう。生きる糧……富は、そのように残虐で狡猾な手段でしか得られない物なのか。獰猛と言われる肉食動物でさえ、共食いはしない。異種族の血肉を得た後は、当たり前かのように自ら地に還り、やがて別の命の肥に成る。
引き換え、人間という生物の中には、他の持つ土地や財産を根こそぎ奪い、乗っ取った挙げ句、地球という命の土台そのものを破壊したがる者達がいる。現に、そんな殺伐とした残酷な時代の渦中に、自分達は生きているのだ。
生命体を豊かに循環させ、虐げられ飢える者がいなくなる為に、人間の知恵というものは使うべきではないのか。食物連鎖の下層にいる生物を見下す一方、同じ層の便利なもの、美しいモノは欲望のまま貪り、己の空洞を埋める為にすがり付き、我が物にしようと血眼になる。散々食い尽くし飽きれば、代わりになる次の獲物を探す…… それは、どの階層も変わらない。
華やかなショービジネスという世界で生きる反面、そんな現状を山程見てきたクリスには痛い程、身に沁みていた。
「仰る事は、よく……解ります。その事実は承知で、貴方が拾って下さるまで、私も様々な仕事をしてきましたから」
今までの自分。目の前の恩師。互いに手段は選んでいられなかった。夢と野心の利害一致故だが、時世を生き抜くためでもあった。だが……
「目先の利益や保身にばかり囚われ、貴重な人材を利己的に使い捨てるやり方ばかりしていると、そんなリーダーには誰も付いて来なくなります。いつか敵に足元を掬われ……組織自体が、破綻するのではないですか?」
糧の底が尽くまで、流れ行くまま続くであろう、終わりの無い不毛な輪廻。そんな事ばかりでしか満たされない生き様は、剰りに浅ましく、哀しく……滑稽だ。
生産の源や活力だという名文で罷り通ってきた行いが、最終的に非生産的な結果に成り代わっている。そんな愚かな実態に気づき、改善策を事業にして心血を注ぐ者達だって存在することを、名声を得て様々な人間と関わったクリスは知った。
人類にだけ与えられた、特別な富こそが、最も尊び、更に発展させるべきではないのか…… 大都会、ロンドンの歌姫の一人として崇められ、多くの人間を楽しませて来た彼女は、充実感に満たされる一方、そんなやり場の無い思いを抱えていた。
が、アンジェリークという少女――人間に出会い、何故か、少しだけ救われた気がしたのだ。彼女には何か違う力がある。だからこそ……餌食にはして欲しくなかった。
「君も、そんな大口を叩けるようになったのだな。……誰のおかげで、ここまでの名声を得られたか、忘れたのか?」
クリスの言葉が少し逆鱗に触れ、声を荒げた団長に対し、冷静な態度を崩さず、歌姫は続ける。
「鳴かなくなったカナリアを、無理矢理鳴くように仕向けたら…… その隊は、やがて……自滅します」
石炭という貴重な財源を求め、イギリスの炭鉱夫の部隊は、煙と煤にまみれた鉱山に似つかわしいとは言えない、カナリアという美しい小鳥を、必ず共に連れて行く。
狭い洞窟に有害な毒ガス……一酸化炭素が充満する直前、瞬時に危険を察知して鳴き出す、という人間よりも機敏な呼吸器官を持つ彼らを利用する為だ。鳴き声を無視したり、正確に鳴かなくなった時は、その隊全体の死を意味する。
カナリアとアンジュを重ね合わせ、その話を持ち出したクリスの、どこか憐れみめいた口調。ふと、別の理由で同じように権力を使ってきた、一人の青年の姿が、団長の脳裏に過る。
「人嫌いと評判の次男坊まで、以前、詰め寄ってきた。何故、皆、あの娘にそんなに肩入れする? 楽団が潰れたら、君だって……」
そこまで言った後、ははっ、と自棄気味に乾いた笑いを上げた。
「そうか、そうだな。君は、もう独りでも……」
ワグネル団長は、クリスにとっても恩人であり、共に歩んできたビジネスパートナーでもあった。しかし、かつて尊敬し止まなかった師への、恩義や信頼という感情は、今や別のモノに移り変わっている。
「……私は、カナリアではありません。が、ずっと不当に飼われ続ける、籠の鳥にもなりませんよ」
哀しくも毅然とした面持ちで、クリスは、艶やかな美声で、きっぱりと言い放った。己の夢のためとはいえ、様々な理不尽な辛酸も舐めてきた、今までの苦楽を振り返り、誇るように。
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