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戦火のアンジェリーク  作者: 伏水瑚和
Ⅱ.London ~ the UK
37/61

★カナリアは何故鳴くか ~ Into the Green

【※R15程度の性表現が登場するのでご注意下さい】

 予想外の邪魔が入り、忌々しそうに舌打ちしたロベルトは、のそり、と身体を起こした。ベッドから離れ、気だるげにドアの近くへ向かう。


「……何だ。誰も来るなと言ったはずだろう」


 苛立ちと少しの焦りを含みながら、扉の向こうの人物を脅すように(すご)んだ。


「お父上の公爵様から、御電話が参りました。至急、連絡を取りたいそうです」


 変わらず、落ち着きの中に震えを混じる呼び主に向かい、面倒そうにロベルトはため息を吐く。


「……仕方ないな。今、行く」


 恐らく、今夜の晩餐会の主催者である父親には、居場所を伝えていたのだろう。公爵の名前を出された途端、彼は狼狽えた。ドアロックを解除し、ノブに手をかける。

 瞬間。バタン‼ と勢いよく扉が開き、ホテルマンの男を後ろから押し退()けるように、別の黒い影が室内に飛び込んで来た。ブルネットの髪を振り乱し、全身から殺気を放つ青年。

 荒々しく肩を揺らしながら呼吸している、ジェラルドだった。まだ三月という初春に入ったばかりの、冷え込む深夜にも拘らず、額に汗を滲ませ、コート無しの乱雑な出で立ちで、威嚇するように睨み付けている。

 その姿を見た信じられない、と言った表情のロベルトを余所に、ぐるり、とランプの灯りしか無い、薄暗い室内を見回した彼の思考は、絶望的な闇に突き落とされた。

 口元を布地のような物で縛られ、はだけた胸元をシーツで隠し、着崩れた胸当てとシュミーズ一枚でベッドから起き上がったアンジュが、視界に飛び込んできたのだ。幻でも見たような呆然とした面持ちで、暗い陰を落とした虚ろな瞳を、こちらに向けている。ずっと恐れていた、決して起こって欲しくなかった事態に(あた)る、地獄の光景だった。


「…………‼」


 ジェラルドの脳内で、バチン、と火花が凄まじく鳴り散った。一瞬、激しい眩暈が襲ったが、カッ、とペリドットの瞳孔が開き、ぎりぎりっ、と奥歯を噛みしめた。爪が食い込むほどの力が、右手に入る。

 刹那、錯乱状態のロベルトが突風のように立ちふさがってきたが、その握り拳で彼の頬を全力で殴り飛ばした。ミシッ、という骨がきしむ音と共に、彼の身体は勢いよく跳ね飛び、ガタガタ、ガターン!!、という轟音と共に、床に転がる。


「……っ⁉ おっ前、何、でここに……⁉」


 口元に滲んだ血を拭いながら、ロベルトが、驚愕と怒りの混ざった声色で、狂ったように叫ぶ。

 シャープな眉が更に吊り上がり、歯を剥き出しにした、狼のように獰猛(どうもう)(さま)に変貌した、弟に襲いかかる。胸ぐらを掴み、殴り返そうと拳を振り上げた。

 そんな兄に対し、ジェラルドはいつかと同じく、めらめら燃える黄緑の眼光を、アイスピックの(ごと)く彼に向かって突き刺す。近くに立て掛けてあった、アンジュが持参していた女性用の傘を素早く掴み取り、殴られる寸前で打ち止めた。

 その流れで、ロベルトの胴体に棒術のように突きを入れ、仕上げに長い右脚で急所を蹴り上げる。貴族の人間が、暴漢に襲われた時の為に(たしな)んでいる、護身術を応用したのだった。


 床に転がったまま、微かなうめき声を漏らし、動かない兄を射るように一瞥(いちべつ)し、アンジュの元へ向かって、身体を(ひるがえ)す。

 血の滲む傷ついた右手で、衣装掛けからカフェオレ色の女性用コートを素早く引き掴み、自分の黒いコートと、ベッドの側に落ちていたローズピンクのフォーマルドレスを左手で拾い上げた。そんな自分の様子を、壊れたマリオネットのように見つめる彼女を見やった。

 二人きりの演奏会……初めて口付けを交わした夜以来の再会。ハア……ハアッ……と呼吸を荒げながら、ゆらり、と近づき、(たかぶ)る感情をなるべく鎮め、問いかける。


「……立てるか? 怪我は?」


 恐怖と驚きで麻痺したアンジュの心に、痛い位に懐かしい、静かな低音の重い旋律が、切に響く。今、一番聞きたくて、聞きたくない音色。

 信じられない、信じたくない思いで、自分を見つめてくる漆黒の長い影を仰いだ。夜更けの暗がりの中、外の灯りの逆光で表情はよく見えない。黒々とした影が放つ、荒い呼吸音と周りを斬りつけるような殺気。汗混じりの微かなウッディ調の香りに、二種のペリドットの鮮烈な瞬き……

 初めて会った夜。闇夜に光る、妖艶な悪魔の眼差しのようだと感じた()の色が、今のアンジュには、切ない位に……眩し過ぎた。尊い陽の光に透ける、新緑の若葉のように映ったのだ。


 ――どうして、こんなに必死で、一生懸命になってくれるんだろう……


 どこか他人事のように、ぼんやりしたアンジュの青白く浮かぶ首筋や胸元に、薄紅の小さな痣のようなものが、乱れた髪やシーツの隙間から、幾つか隠れ見える。それらが、ぐさぐさ、とジェラルドの心に飛び刺さり、激痛と共に、眩暈が再び彼を襲った。

 今にも狂う位の怒りと罪悪感で打ちのめされ、ペリドットとダークグリーンに代わる代わる煌めく()。そんな彼の姿が、アンジュにはひどく痛々しく、泣き出しそうに見えた。鋭くも儚い光に吸い寄せられるように、震えながらも躊躇いがちに、細い片腕を差し出す。

 その掌を握り、手にした女性用コートで、ジェラルドは微かにびくつくアンジュの身体を包む。不安そうに茫然と見つめてくる、宵の海の()閃光(ひかり)を注ぐように、しっかりとした口調で、言った。


「逃げるぞ」


 何も考えられなくなっていたアンジュには、その一言と若葉色の光が、天からの救いのように思えた。首部(こうべ)を上下に不器用に動かし、頷く。しかし、ずっと無抵抗のままだった身体には、力が全然入らない。立ち上がろうとしたが、ふらり、とよろめいた。

 そんな様子を見たジェラルドは、一瞬、つらそうに顔を歪めたが、コートごとくるむように、彼女の身体を両腕で抱き上げた。懐かしい顔が互いの間近に迫る。


 ――()()()、だわ


 ずっと動かなかったアンジュの心の泉が、ようやく二つの宵闇の海を波打たせ……動かした。汗で濡れた絹のワイシャツが貼り付く、彼の固い胸元に、そっ……と、額を預ける。

 そんな彼女と、衣類や傘をしっかりと抱き(かか)え、未だ困惑しているホテルマンを他所(よそ)にし、ジェラルドはその場から走り去った。

【閲覧ありがとうございました。いいねや一言でも良いので、ご感想を頂けると嬉しいです。】

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