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戦火のアンジェリーク  作者: 伏水瑚和
Ⅱ.London ~ the UK
36/61

★似て非なる血 ~ blood relation

【※R15程度の性表現が登場するのでご注意下さい。】

 血縁の有無が、人間同士の良好度や信頼性を確定する訳ではない事を、アンジュはよく知っていた。まだ口もきけない頃、育児放棄の果てに見捨てたという両親。意識する度に無性に哀しくなり、自尊心を深く(えぐ)る。

 育った孤児院の院長である叔母とだって、決して仲睦まじいとは言えなかった。むしろ、親類という事実が、逆に遠慮という壁を壊し、(あだ)と化した。彼女にとっても不本意で迷惑な事だったろうが、養い主という切り札が、容赦ない仕打ちを増発させ、状況を悪化させているようにも思えた。

 戸籍という紙一枚の関係とも違う。扱い方を間違えば、知らぬ間に、一生付きまとう(かせ)、時には、自身の首をゆるやかに締め上げる凶器に変貌する。血の繋がりとは、そんな目に見えない鉄の鎖、又は真綿(まわた)の縄に成りかねない、諸刃(もろは)(つるぎ)だ。

 信頼どころか情すら通わない、形だけの血縁者というのは、もしかしたら、最も人の心を歪ませ、憎悪を招いてしまうモノなのかもしれない……

 そんな事を考えているうちに、いつの間にか、アルコールと香水の混じった臭いを纏うロベルトが、アンジュの目の前に立ちふさがっていた。


「でも、嫌がる女性を無理矢理……というのは、僕の趣味じゃないんだ。まぁ、あんまり怒らせたら……わからないけどね」


 遠回しに恐ろしい脅迫をしながら、じりっ、と詰め寄る。並みならぬ恐怖と怒りで俯き、全く身動き出来なくなったアンジュの顔を、被うように覗き込んだ。

 薄暗がりの中、ランプの仄かな灯りに透ける、癖のある薄茶の短髪に、甘く柔和な造りの顔立ち。目元だけ見たら、むしろジェラルドよりずっと優しそうだ。だが、同じダークグリーンの()の奥は笑っていない。光が無いのは同じだが、深緑(しんりょく)でもなかった。泥が潜むように漂い、濃灰に淀んでいる。

 自分には、もう逃げ場も突破口も無いのだという事実が、必死に抵抗していたアンジュの脳裏に、すきま風のように入り込み、ひやり、と乗っ取った。どうしようもない無力感、やるせなさ……諦めが、全身を侵食していく。

 こんな奴の言いなりになるなんて、絶対に嫌だった。しかし、自分が拒否したら、唯一の居場所である楽団、何よりも好いて慕う男に、危機が迫る。

 今からされることは、目の前の男でなく、もっと妖艶な()の、冷徹で意地悪で……繊細で優しい、()()()だと思えば、耐えられる……かも、しれ……ない……


「……楽団の皆さんとジェラルドさんに、本当に何もしないとお約束してくれるんですね? あと、この()()契約の件……彼には内密にして下さい。もし、破ったら…… 私も、貴方との事を社交界にばらします。それくらいは……します」


 全てを諦め、悟ったような様子の中にある、どこか毅然とした物言い。そんなアンジュの態度と覚悟を帯びた眼差しに、ロベルトは少し不意を突かれ、面食らった。

 以前も感じたが、この娘は、心身共に多少脆弱(ぜいじゃく)なようだが、追い込まれた時、突如、肝を据えた何物かに変貌するようだ。


「……いいよ。了解。俺だって、そこまでして、アイツに何かしたい訳じゃない」

「わかりました……後は、貴方の言う通りにします。ですが、一つだけ条件……お願いがあります」

「条件なんて言える立場じゃないんだけどなぁ…… まあ、いいよ。何?」

「……口、付けだけは、出来ません。後はご自由に……と、お約束します」


 あの二人だけの演奏会での事は、アンジュにとって唯一、貴い宝物である。


「は……? いいけど……? ああ、何かの思い出みたいな? ……って、あれ。まさか、君……経験、無い? え、()()()とは……!?」


 そこまで言った瞬間、ロベルトは、ふ……ふっ、ははは‼ と盛大に吹き出した。


「これはいい……‼ 大事で大事で仕方ない君に僕が手をつけたと知った時、あの男、どんな顔するだろうねぇ……」


 小気味よいと言わんばかりに、ぶはっ……はっ……という、下卑た笑い声を上げ続ける彼に、嫌悪感をますます募らせる。胸の奥がじわじわ焼け、苦しい……


 微かに震えるアンジュをベッドサイドに座らせ、ロベルトは手にしたサテン地のスカーフを折り、彼女の口に結わえつける。口枷(くちかせ)のつもりらしかったが、自身全てを無にした当人は、そんな状況にもされるがままだ。


「あまり手荒い事はしたくないけど、大声を出されるのも困るからね。君の希望も叶うし、いいだろ?」


 そう言うなり、にやり、と笑みを浮かべ、上質なレースカーテンに覆われた、柔らかなマットレスに押し倒した。激しい嫌悪で思わず目を反らしたアンジュの顔を、愉快そうに覗き込む。


「……へぇ。よく見たら、結構悪くないね」


 まじまじと、ロベルトは値踏みするように、横たえた身体を眺めた。透き通る白い肌に、蜜蝋色のゆるやかな巻き髪。華奢な胴体には小ぶりではあるが柔らかな丸みを持っているのが、シフォン素材のフォーマルドレスの上からでもわかった。スリット入りのスカートから覗く足は、すらり、と綺麗に伸びている。

 相変わらず、小柄で痩せ気味ではあるが、長い年月が彼女の身体つきを、大人(レディ)にしていたのだ。皮肉にも、こんな時……こんな男に、そんな言葉を言われた事が、アンジュは哀しくて堪らなかった。絹のシーツを、ぎゅっ、と片手で握りしめる。


 ――ああ……やっぱり、こうなるんだ……

 ――頑張ってみたけど、結局、誰かの言いなりになるしかなくて、何もできない。いつも、いつも、大切な人を、巻き込んで……

 ――何も無い。こんな、自分。もう、どうにでも……なれば……いい…………



 暫し経ち、コン……コン……と控えめなノック音が、吐息と衣擦れの音だけがする、静まった室内に響いた。


「お客様。お休み中のところ、大変申し訳ございません」


 ホテルマンらしき年配の男の、若干怯えの混じる声がした。


【閲覧ありがとうございました。いいねや一言でも良いので、ご感想を頂けると嬉しいです。】

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