名も無き戦い ~ Gerald
それ故か、ずっと、男女の恋や真実の愛やらという類いの情を嘲り、ずっと見下していた。そんな自身に芽生えたばかりのこの想いが、それに当て嵌まるのか分からないのだ。
「儂は、前の大戦で息子夫婦を亡くしました。……孫も一緒でした。生きていたら、坊っちゃんと同じ年頃だったでしょう」
今はその面影の無いポピー畑に、哀しく遠い眼差しを向け、突如、スコットは語り始めた。初めて聞く彼の過去に、ジェラルドは戸惑い、驚く。
「その後間もなく、病気がちだった妻も心労が祟って亡くなり、自分だけ何故生きているのだろう、と無気力になり、惰性的に花の世話をするだけの日々でした。……そんな中、儂が育てた薔薇を毎日のように見に来て下さる幼い貴方が、段々、本当の孫のように可愛く思えて……救われたのです」
思いがけない彼の言葉に、深緑の瞳孔が開く。そんな事は全然知らなかった。
「反面、御家族に冷遇されているのが気の毒でならなかった。そんな貴方が、人を……あの娘に惹かれ、恋をされた」
皺のある目元を細め、嬉しそうに微笑むスコット。途端に照れ臭くなり、ジェラルドは目を伏せた。
「命の存続すら危ぶまれる時世です。人並みに生きるのさえ、確かではありません。奴らは……戦争は、全てを壊し、奪いにかかって来ます。勿論、我が国も防御はします。が、攻撃を受け、応戦すると決めたのです。この庭園も、明日にはどうなるかわからない。儂も、貴方も、あの娘も、です」
はっ、と何かが醒めたように顔を上げ、スコットを凝視した。淡くも直向きに生きるアンジュの姿が魅せられるように、混沌としていた彼の脳裏に浮かぶ。
「たとえ明日、この庭が無くなろうとも、今日、花達を育て、見守り、愛でる。この花達の生き様が、誰かの記憶に残るように。それが、今の儂なりの……戦いです」
彼の刹那的で清廉な想いに圧倒され、ジェラルドは言葉を失った。一度、全てを奪われ無くした人間の、多大な絶望と怒りから生まれたのであろう、狂気とも言える位に崇高で、強靭な意志と再生力。
普段、温厚な彼から滲み出る覚悟の強さは、その穏やかな振る舞いに似つかわしくなく、並大抵のものではない。
「……覚えておられますか? 薔薇を見に来て下さるようになって暫く経った頃、刺で指を怪我された時、貴方は尋ねられました。『どうして、こんなに刺があるの?』と」
「はい。覚えています」
ジェラルドにとって、印象深いやり取りだった為、朧気にだが記憶に残っていた。
『虫や小動物に食べられないよう、こうして自分を守っているのですよ』と丁寧に返したスコットに、物心ついた彼は言ったのだ――
『……かわいそうだね』
『え?』
『こんなにきれいなのに、誰にもなでてもらえない。……僕にも刺があるから、みんな近寄らないのかな』
年端いかない公爵令息が、何故か腫れ物扱いされている状態を、当時のスコットは漠然と不審に感じていた。グラッドストーン公爵から、息子に余計な事を吹き込まないよう忠告されていた彼は、少し考え、言った。
『……違いますよ。貴方の心が薔薇のように美しく、気高く、魅力的だから、刺の方が貴方自身を守っておられるのです』
驚いたように、ぽかん、とした表情をする幼い少年に、スコットは続ける。
『坊っちゃんのお名前には、刺と似た意味があるのですよ。『槍』、そして『戦士』です。解りますか?』
呆然としたまま、こくん、と素直に頷くジェラルドに、彼は諭した。
『いつか、貴方に大切な方が出来たら、今度は、その人を守ってあげて下さい』
――…………
記憶が少しずつ甦ってくると共に、ジェラルドの脳裏に、幾つもの眩い光が弾けては、咲いた。
「俺、は……」
そんな彼を確認したスコットは、一枚のメモ用紙を手渡した。そこには、ロンドンから西に遠く離れたウェールズ地方にある町と、スコットランドのとある地方の住所が書かれていた。
「親友と従兄弟が、其々住んでいます。情勢が不穏になった今、困った時は頼って良い、と言ってもらっていました。貴方の事も知っております」
「スコットさん……!?」
「大変厳しい道のりだと思います。育ちの違いや苦労故に、壁にぶつかる事もあるでしょう」
彼が自分に言わんとしていることを、ジェラルドは察し、言い様のない熱い激情が押し寄せ、胸が詰まった。
「ですが、こんな残酷な世界だからこそ……折角出逢えた大切な方と愛を育み、命ある限り、精一杯生きて下さい」
「なら、貴方も一緒に……!!」
「……儂は、この庭園を離れることは出来ません。この花達は、今や我が子同然ですので。大丈夫。なるべく、自分の身は自分で守りますよ」
スコットの皺に囲まれた穏やかな瞳の奥に、全てを悟ったような、固く揺るぎない覚悟の色が見えた。いざという時、彼はこの庭園と共に、心中する気ではないだろうか。
そう思った途端、全力で引き留めたい衝動に駆られた。が、そんなジェラルドの思い全てを見透かし、優しく諭すように包み込む、切なる眼差しが言葉を止めた。
彼が、長い年月の中で背負ってきた経験の重みも痛みも、理解したと言うのはおこがましく思えた。ぎりっ、と奥歯を噛むと同時に、目の前が水の膜に揺れ、霞む。
本来なら、最も愛してくれるはずの両親に、厄介者、存在しない者として扱われている事に気づいた時の絶望と、堕落感。そんなものは幻想、少なくとも、自分には縁の無い、危うい遊戯だと思った。
だが、違った。そんな風に思っていた日々の中、すぐ近くで、異なる形の愛が、確かに存在していたのだ。
「どうか、お幸せに。――ジェラルド様」
穏やかな笑顔と礼儀ある態度で、恭しく頭を下げたスコットに感極まったジェラルドは、涙で滲んだ眼をきつく瞑る。いつの間にか、背丈も身幅も彼よりずっと大きくなっていた身体で、敬意あるハグを、力強く返した。
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