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戦火のアンジェリーク  作者: 伏水瑚和
Ⅰ.Australia
3/61

変わり者の天使 ~ seaside a lone

 彼女の唯一の楽しみは、昼過ぎにようやく与えられた休息時間に、院に隣接する海辺に行って、そこにある椰子(やし)の木に登り、一人歌うことだった。

 今日も、午前中の仕事を全て終えた後、持っていた(ほうき)を放り出し、走り出す。春のぽかぽかとした陽射しの下、緑鮮やかな葡萄(ぶどう)畑を通り抜け、白い砂浜とターコイズグリーンに煌めく海辺へ向かって行く。そして、一番大きな椰子(やし)に登り、てっぺんから海を眺めるのだ。


「ハロー。今日も、一緒に歌おうね」


 アンジュの姿を見つけ、ばさっ、と舞い降り、傍に寄ってきたオウムに話しかける。そして、お気に入りの讃美歌や童謡を、次々に歌う。

 毎朝、院の子供達が、院長とミサで歌っている楽曲だ。何度も復唱しているので、教本も楽譜も無しで歌える。彼女は共に参加していないが、少し離れた場所から、邪魔にならないよう歌うことは許されていた。

 朝の淡い光に照らされた、純白の十字架のオブジェを眺めながら歌う、この静かで神聖な時間が、アンジュは、とても好きだった。心がどれだけ沈んでいても、安らぎと頑張りを取り戻せる気がしたのだ。


 彼女の歌声には、不思議な魅力があった。聴く者の心を癒し、次第に浄化していくような、とても澄んでいて柔らかな旋律。

 しかし、それを知っている者、気に留める者は、一人も――いない。



「おぅーい‼ お前も来いよ‼」


 暫くして、海の方から、屈託の無い元気な声がした。歌うのを止めて、声のする方へ顔を向けると、数人の仲間達がサーフィンをしていた。色とりどりのサーフボードが、ちらちら、と見え隠れしている。

 その中の一人……最近、孤児院に入ったばかりの、年下の赤毛の少年が、アンジュを誘ったのだ。


「えっ……?」


 驚きと期待が泡立ち、少し憂いを帯びたマリンブルーの()を見張る。無理もなかった。院長が、彼女をメイド扱いする事が原因で、院に預けられてから一度も、他の仲間達と遊んだ事がなかったのだ。『アンジュは自分達のメイド』みたいな認識が、彼らの中で出来上がってしまっていた。


「おい。止めとけよ。あいつと遊ぶと、院長先生に叱られるぞ」


 隣のブロンドの少年が、すかさず止めに入る。


「あと、サーフィンに興味ない、出来ないらしいからさ」

「そうそう。ああして、ずーっと、木の上にいるのが好きなんだって。何が楽しいのかしらねぇー?」


 ブルネットの少年と栗毛のお下げの少女も、笑い声を上げた。

 海に密接し、一年中温暖な気候なこともあり、この地域では、大人も子供もサーフィンを娯楽にする習慣があった。出来ない、興味の無い人間の方が圧倒的に少なかったのだ。


「やめなさいよ。あの子だって、好きで出来ない訳じゃないんだし」


 黒髪のポニーテールの少女も、そう言いながらくすくす、と嘲笑(わら)う。


「そもそもさ、あの子、あんまり喋らないし…… いっつも、ぼやーっとしてるし、変だよねぇ? 私達となんか違うっていうか」


 アンジュは、自分に対するそんな会話を、じっ、と黙って耐えながら聞いていた。サーフィンが嫌いな訳じゃ無い。けど、昔から身体つきが小柄で細身。乳幼児期の栄養不足が原因だと医師には言われたが、運動音痴だったのもあり、どう頑張っても習得できなかった。

 何より、木の上で歌うことの方が、ずっと好きだったから、今までして来なかった。それはいけないことなのだろうか……?


「そっか。じゃあ、悪かったなー ごめんなぁー 」


 誘った赤毛の少年が、そう言って手を振ると、他の子達も、彼女の方を一瞥(いちべつ)しながら、次々にサーフボードに乗った。あっという間に、皆、海面へ向かって行く。



 子供達の姿が、すっかり沖の彼方へ消えた頃、自分の目頭が熱く、水滴が溜まっていることに気づき、アンジュは下を向いた。

 必死に堪えたが、霞んだマリンブルーの()から、一筋の雫が、ぽたり、と膝に落ちる。


「……ずっと、このまま?」


 友達も出来ず、ずっと一人きりで家事や雑用に追われる毎日…… 心に、大きな不安と孤独感が押し寄せる。


「……でも、この町の………葡萄(ぶどう)畑も、オウムも、この綺麗な海も空も、何より歌が、とても好きだわ。好きなものが沢山あるって、すごく幸せよね? それに、神様だって見ていて下さるし。大丈夫」


 ぐいっ、と涙を拭い、自分に強く言い聞かせた。


 いつも独りだった。心を許せる友達もなく、物心つく前に孤児院に置き去りにされた彼女は、親や家族の愛情というものを知らない。しかし、アンジュは、この世界の自然や生き物……花や動物を好み、()()を信じていた。


 ――いつか、きっと、神様が助けてくれる


 小さな頃、院長の目を盗んでこっそり読んだ童話集、美しい絵本のお伽噺(とぎばなし)のような……奇跡を信じていた。

 抑圧され、狭く、閉じた世界の中でも、必死に明るく生きていたのだ。そして何より、彼女にとって歌う事は、生きていく為の()(すべ)、命そのものだった。


 ……黄昏時(たそがれどき)がきた。ニューキャッスルの夕暮れは、至極美しく幻想的で、見る者を魅了する。この世の風景ではないような、優麗(ゆうれい)薄明(はくめい)の空間に、街中が染まるのだ。

 ターコイズグリーンの水面(みなも)が、オレンジ色の夕陽に照らされ、きらきら、と煌めきながら、青紫色に変化し、深いコバルトブルーの宵色に染まってゆく。毎日変わることなく繰り返される、この尊い瞬間が、アンジュはとても好きだった。


 しかし、それは同時に、今日の自由の時間が終わったことを意味する。この後も、眠りにつくまで、沢山の仕事が彼女を待っているのだ。

 そんな複雑な思いを振り払うかのように、アンジュは、もう一度、声高らかに歌い始めた。


 神様への、ありったけの感謝と……()()を求めて。

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