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戦火のアンジェリーク  作者: 伏水瑚和
Ⅱ.London ~ the UK
28/61

密やかな演奏会 ~ The Teardrops of Poppy

 そんな彼を、少し不安そうにアンジュは見上げた。対しジェラルドは、困惑を隠せない素振りで問う。


「……何故、言い返した?」

「え……?」

「あいつは、君の客だろう? 増して、ああいう人間だ。怒らせたら厄介だとか、思わなかったのか?」

「あ……」


 今頃気づいたらしく、狼狽(うろた)えて口ごもる彼女に、ふうっ……と静かにため息をついた。しかし、その眼差しは、今までにない位に穏やかで、柔らかい。


「ああいう時は、適当に流しておいたらいいし、まともに受け答えなくていい」

「でも……! あんな酷いこと……!!」

「言われ慣れてるから構わない。それに本当の事だ」


 瞬間、アンジュの表情が少し固くなった。そんな変化を、ジェラルドは見逃さなかった。


「どうした?」

「……なら、()()も本当なんですか?」

()()?」


 また心を見透かされた事の驚き、そして、この不安を抱く自身に戸惑いを感じながら、恐々と切り出す。


「女なら誰でもいいっていう…… 気にかけてくれたり、優しくしてくれたのも、そういう事が目的だったんですか……?」

「違う!!」


 出会ってから初めて、感情を(あらわ)にして、声を荒げた彼に、アンジュは眼を目一杯丸くした。傾いた心が、真逆の方向に揺さぶられる。


「あ…… いや……」


 ジェラルドの色白の頬が、心なしか少し赤い。決まり悪そうに俯き、前髪を掌でかき上げている。初めて見るそんな彼の様子に、甘酸っぱい嬉しさでアンジュも高揚したが、自分の顔も熱くなっているのが分かった。目を合わせるのが恥ずかしくなり、慌てて視線を反らす。


 暫くの間、気まずい沈黙が続いていたが、やがて、ジェラルドの方が口を開いた。


「……この間は、悪かった」

「あ……」

「言い過ぎた」


 珍しく素直に話す彼に戸惑うアンジュは、何と答えたらいいのか分からない。が、なんとか言葉を絞り出して、正直な気持ちを伝えた。


「……信じて、もらえてなかったんだって……悲しかったです」


 すると、ジェラルドは、またきまり悪そうに、傍らのピアノに視線を向ける。


「……信じてるよ」


 手元の鍵盤に触れ、ポーン、と軽く鳴らす。同時にアンジュの心にも、高らかな歓喜の音が響いた。


「良かった……」


 思わず、柔らかな微笑が零れる。その小さな花が綻ぶような表情を見て、そっ、と鍵盤をまた撫でた。そのいとおしげな仕草から、ふとアンジュは察する。


「ピアノ……好きなんですか?」


 驚いたジェラルドは、彼女を凝視した。深緑の瞳孔が見開く。


「――何故、そう思う?」

「今ので分かります。薔薇を見てる時と同じ顔だもの。嬉しそう」


 儚くも、屈託のない微笑みと言葉に、ジェラルドは観念した。


「……当たり」

「やっぱり」


 ふふっ、と喜ぶアンジュに対し、少し複雑な気持ちになり、ぼそっ、と小声で続ける。


「半分だけ……」

「え……?」

「いや……何でもない……」

「?」


 不思議そうに小首を傾げる彼女を他所に、今度は長めにゆっくりと、ジェラルドはピアノを鳴らした。どこか重みのある、ゆるやかで優しい旋律が奏でられ、室内に響く。


「……これと、薔薇だけだった。心を救ってくれたのは」

「……」

「人……人間には、期待しなかった」


 彼の心の内が、次から次に明かされていく、今の状況に戸惑う反面、どこか嬉しさも感じている自身が、アンジュは不思議だった。


「……本当は解ってる。あの女……母と公爵は、愛も情も無い結婚……政略結婚だった。寂しさから色んな男にすがるんだろう。俺の存在はずっと見て見ぬふりだった。母にとって、俺は自分の負の象徴だ。公爵も不貞の子だって薄々気づいてるから、愛せなくても仕方ない」


 吐き出すような独白後、一呼吸し、改めてアンジュに向き直ったジェラルドは、ずっと秘めていた自身の欠片を取り出し、目の前の少女に見せた。


「……両親がいて愛されないのと、両親がいなくて愛されないのとでは、どっちが辛いんだろうな」

「ジェラルドさん……」

「君も、色々あったんだな」


 少し申し訳なさそうに、見つめる。


「悪い。さっきの……聞こえた」


 『いえ』と軽く左右に、アンジュは首を振る。


「……私も、音楽……歌だけが支えでした。自分で自分を、ずっと励ましてた……」

「俺もだ。これでも名高い教官を家庭教師につけて学んだ」

「そうなんですか!?」


 遠くからは、楽団の演奏がまだ聴こえて来る。瞬間、アンジュの脳に名案が浮かんだ。


「あの、ピアノ……弾いてくれませんか!? 貴方の演奏で歌ってみたい!!」


 宝物を見つけた子供のような彼女の顔に、ジェラルドは、一瞬、驚いて沈黙した後、ふはっ……と吹き出した。いつもの歪んだものではない。とても目映(まばゆ)く……素敵な笑顔だった。

 何故、笑われたのかアンジュには解らなかったが、思わず見惚(みほ)れていた。必死に笑い声を抑えながら、彼は答える。


「本当、面白いな……君は。突拍子もない」

「駄目……ですか?」


 残念と言わんばかりに、しゅん、となる。


「……良いけど、一回だけ。普段は人前で弾かない」

「ええ……」

「その代わり、君が好きな曲にするから」

「……? 教えました?」


 すると、ジェラルドは鍵盤の前に立ち、ある曲を弾き始めた。アンジュの耳から胸にかけて、電流のような衝撃が走る。このメロディは――


「!!」

「君なら、この曲に合わせて歌えるだろう?」

「ジェラルドさん……!!」

「作詞、アンジェリーク。作曲、リチャード・マドラス・ワグネル。題名『ポピーの涙』。今日が初披露。客はいないけどね」

「……!!」


 言いようのない歓喜で()に涙を滲ませたアンジュを流し見た後、そのままピアノの椅子に座ったジェラルドは、彼女が何より歌いたかった曲を、もう一度始めから、丁寧に弾き始めた。


『炎の中で 散る花よ

 真っ赤な涙を 頭上に舞わせ

 最期の瞬間(とき)に 君は何を想う?


 さようなら 育った故郷(ふるさと)

 さようなら 愛した人

 さようなら 愛してくれた人


 遺されたはずの亡骸(なきがら)さえ

 涙と共に消えていった


 誰のために 君は泣く?

 誰のために 君は()く?』


 彼の奏でる哀愁漂う切ないメロディに合わせ、アンジュは歌った。あの美しい庭園で見た満開のポピー畑、スコットさん、クリスの悲しげな様子、激戦地へ旅立ったフィリップのことを思い出す。

 これは、これから失われるであろう全ての命と、傷つけられる心への鎮魂歌(レクイエム)だ。遠くから聞こえて来る、勇ましい戦争讃歌に負けないかのように、儚くも慈しみ溢れる歌声が、部屋中に優しく満ちていく。

 誰もいない二人だけの演奏会で熱唱する中、部屋に置かれた女神の銅像や、ステンドグラスで型どられた天使達が見守っていた。――神が寄越した、客人のように。


【閲覧ありがとうございました。いいねや一言でも良いので、ご感想を頂けると嬉しいです。】

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