密やかな演奏会 ~ The Teardrops of Poppy
そんな彼を、少し不安そうにアンジュは見上げた。対しジェラルドは、困惑を隠せない素振りで問う。
「……何故、言い返した?」
「え……?」
「あいつは、君の客だろう? 増して、ああいう人間だ。怒らせたら厄介だとか、思わなかったのか?」
「あ……」
今頃気づいたらしく、狼狽えて口ごもる彼女に、ふうっ……と静かにため息をついた。しかし、その眼差しは、今までにない位に穏やかで、柔らかい。
「ああいう時は、適当に流しておいたらいいし、まともに受け答えなくていい」
「でも……! あんな酷いこと……!!」
「言われ慣れてるから構わない。それに本当の事だ」
瞬間、アンジュの表情が少し固くなった。そんな変化を、ジェラルドは見逃さなかった。
「どうした?」
「……なら、あれも本当なんですか?」
「あれ?」
また心を見透かされた事の驚き、そして、この不安を抱く自身に戸惑いを感じながら、恐々と切り出す。
「女なら誰でもいいっていう…… 気にかけてくれたり、優しくしてくれたのも、そういう事が目的だったんですか……?」
「違う!!」
出会ってから初めて、感情を顕にして、声を荒げた彼に、アンジュは眼を目一杯丸くした。傾いた心が、真逆の方向に揺さぶられる。
「あ…… いや……」
ジェラルドの色白の頬が、心なしか少し赤い。決まり悪そうに俯き、前髪を掌でかき上げている。初めて見るそんな彼の様子に、甘酸っぱい嬉しさでアンジュも高揚したが、自分の顔も熱くなっているのが分かった。目を合わせるのが恥ずかしくなり、慌てて視線を反らす。
暫くの間、気まずい沈黙が続いていたが、やがて、ジェラルドの方が口を開いた。
「……この間は、悪かった」
「あ……」
「言い過ぎた」
珍しく素直に話す彼に戸惑うアンジュは、何と答えたらいいのか分からない。が、なんとか言葉を絞り出して、正直な気持ちを伝えた。
「……信じて、もらえてなかったんだって……悲しかったです」
すると、ジェラルドは、またきまり悪そうに、傍らのピアノに視線を向ける。
「……信じてるよ」
手元の鍵盤に触れ、ポーン、と軽く鳴らす。同時にアンジュの心にも、高らかな歓喜の音が響いた。
「良かった……」
思わず、柔らかな微笑が零れる。その小さな花が綻ぶような表情を見て、そっ、と鍵盤をまた撫でた。そのいとおしげな仕草から、ふとアンジュは察する。
「ピアノ……好きなんですか?」
驚いたジェラルドは、彼女を凝視した。深緑の瞳孔が見開く。
「――何故、そう思う?」
「今ので分かります。薔薇を見てる時と同じ顔だもの。嬉しそう」
儚くも、屈託のない微笑みと言葉に、ジェラルドは観念した。
「……当たり」
「やっぱり」
ふふっ、と喜ぶアンジュに対し、少し複雑な気持ちになり、ぼそっ、と小声で続ける。
「半分だけ……」
「え……?」
「いや……何でもない……」
「?」
不思議そうに小首を傾げる彼女を他所に、今度は長めにゆっくりと、ジェラルドはピアノを鳴らした。どこか重みのある、ゆるやかで優しい旋律が奏でられ、室内に響く。
「……これと、薔薇だけだった。心を救ってくれたのは」
「……」
「人……人間には、期待しなかった」
彼の心の内が、次から次に明かされていく、今の状況に戸惑う反面、どこか嬉しさも感じている自身が、アンジュは不思議だった。
「……本当は解ってる。あの女……母と公爵は、愛も情も無い結婚……政略結婚だった。寂しさから色んな男にすがるんだろう。俺の存在はずっと見て見ぬふりだった。母にとって、俺は自分の負の象徴だ。公爵も不貞の子だって薄々気づいてるから、愛せなくても仕方ない」
吐き出すような独白後、一呼吸し、改めてアンジュに向き直ったジェラルドは、ずっと秘めていた自身の欠片を取り出し、目の前の少女に見せた。
「……両親がいて愛されないのと、両親がいなくて愛されないのとでは、どっちが辛いんだろうな」
「ジェラルドさん……」
「君も、色々あったんだな」
少し申し訳なさそうに、見つめる。
「悪い。さっきの……聞こえた」
『いえ』と軽く左右に、アンジュは首を振る。
「……私も、音楽……歌だけが支えでした。自分で自分を、ずっと励ましてた……」
「俺もだ。これでも名高い教官を家庭教師につけて学んだ」
「そうなんですか!?」
遠くからは、楽団の演奏がまだ聴こえて来る。瞬間、アンジュの脳に名案が浮かんだ。
「あの、ピアノ……弾いてくれませんか!? 貴方の演奏で歌ってみたい!!」
宝物を見つけた子供のような彼女の顔に、ジェラルドは、一瞬、驚いて沈黙した後、ふはっ……と吹き出した。いつもの歪んだものではない。とても目映く……素敵な笑顔だった。
何故、笑われたのかアンジュには解らなかったが、思わず見惚れていた。必死に笑い声を抑えながら、彼は答える。
「本当、面白いな……君は。突拍子もない」
「駄目……ですか?」
残念と言わんばかりに、しゅん、となる。
「……良いけど、一回だけ。普段は人前で弾かない」
「ええ……」
「その代わり、君が好きな曲にするから」
「……? 教えました?」
すると、ジェラルドは鍵盤の前に立ち、ある曲を弾き始めた。アンジュの耳から胸にかけて、電流のような衝撃が走る。このメロディは――
「!!」
「君なら、この曲に合わせて歌えるだろう?」
「ジェラルドさん……!!」
「作詞、アンジェリーク。作曲、リチャード・マドラス・ワグネル。題名『ポピーの涙』。今日が初披露。客はいないけどね」
「……!!」
言いようのない歓喜で瞳に涙を滲ませたアンジュを流し見た後、そのままピアノの椅子に座ったジェラルドは、彼女が何より歌いたかった曲を、もう一度始めから、丁寧に弾き始めた。
『炎の中で 散る花よ
真っ赤な涙を 頭上に舞わせ
最期の瞬間に 君は何を想う?
さようなら 育った故郷
さようなら 愛した人
さようなら 愛してくれた人
遺されたはずの亡骸さえ
涙と共に消えていった
誰のために 君は泣く?
誰のために 君は逝く?』
彼の奏でる哀愁漂う切ないメロディに合わせ、アンジュは歌った。あの美しい庭園で見た満開のポピー畑、スコットさん、クリスの悲しげな様子、激戦地へ旅立ったフィリップのことを思い出す。
これは、これから失われるであろう全ての命と、傷つけられる心への鎮魂歌だ。遠くから聞こえて来る、勇ましい戦争讃歌に負けないかのように、儚くも慈しみ溢れる歌声が、部屋中に優しく満ちていく。
誰もいない二人だけの演奏会で熱唱する中、部屋に置かれた女神の銅像や、ステンドグラスで型どられた天使達が見守っていた。――神が寄越した、客人のように。
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