★悪魔の挽歌 ~ Lamentation
【※R15程度の性描写が登場するのでご注意下さい。】
「戦歌しか歌えないような今の時代に、歌手になって何になる? 君の歌が、皆を戦争へ導く……それでいいのか? そいつの為なら、何でもするのか? よりによって、約束なんてモノの為に……馬鹿げてる」
ようやく立ち直った彼女を、また追い詰めるような言葉が、次から次に放たれる。アンジュの顔からは完全に微笑が消え、代わりに悲しみと驚きが混ざった、戸惑いの表情に変わった。
「ジェ、ラルド……さん……?」
不思議そうに悲しく問うアンジュの声に、はっ、とジェラルドは我に返った。途端に自責の念に襲われ、きまり悪そうに顔を歪める。彼女から目を反らし、立ち去ろうと後退りした。
「ま……待って下さい!」
慌てて、彼を呼び止めようとした時、少し離れた部屋の扉から、何かが壁にぶつかったような鈍い音が聞こえた。
「ん……」
続けて聞こえてくる、艶かしい女性の声と荒い息づかいに、二人は反射的に足を止める。何事かと思い、鍵が開いている扉からアンジュが中を覗くと、そこには壁にもたれた女性と同年代らしき中年の男が抱き合い、濃厚なキスを交わしていた。
慌てて立ち去ろうとした時、女性の顔が隠れ見え、驚愕する。グラッドストーン公爵夫人――ジェラルドの母親だったのだ。
思わず声を上げそうになったが、慌てて口元を手で抑える。隣にいたジェラルドが、無表情でありながらも激しい怒りと軽蔑の炎を秘めた、突き刺すような視線を彼らに向けていたからだ。
掠れた吐息に紛れ、彼らの密やかに交わされる会話が聞こえて来る。
「良いのですか? 公爵夫人ともあろうお方が、このような真似を……」
咎めた言葉に反し、男の眼差しと口元は卑しくにやつき、少しも悪いと思っていないのが明らかにわかった。
「あら…… 貴方だって、そのつもりで近づいて来たくせに……」
媚びるようににんまりと口角を上げた夫人は、寄せ上げた胸元の谷間を擦り寄せ、男の襟元の隙間に指を艶かしく這わせる。
「愛してるわ」
「……悪い女ですねぇ」
その言葉を口にすると同時に、男は再び夫人に深く口付ける。暫くすると、夫人のものらしい甘ったるい声と、ベッドが軋む音が聞こえて来た。
直ぐにでも逃げ出したいのに、アンジュは一歩も動けずにいた。生まれて初めて見た光景に、心も体も釘付けになっていたのだ。それは、物語の中だけで漠然と知っていた行為だった。
いつの間にか熱くなっていた頬を抑え、気遣うようにそっ、とジェラルドの様子を伺う。彼は凍てついた眼差しで、射るように扉を一瞥し、再び足早に歩き出した。アンジュは慌てて後を追いかける。
グラッドストーン夫人……彼女には正式な夫である公爵が存在する。二人の息子までいる。格式高い貴族の奥方が行うにしては、あまりに軽率で、あるまじき行為だ。
自分の母親があんな事をしているのを見て、さぞかし彼は傷ついているだろうと思った。さっきの言葉には驚いたが、内に秘めた痛みや叫びを、アンジュは理屈抜きに感じ取っていた。
――あれは、彼の……本当の言葉じゃないわ
そんな確信を宿しつつ、必死に彼の背中を追っていると、突然、ジェラルドは足を止めた。
「追って来るな」
背中を向けたまま放たれた、拒絶の言葉。その撥ね付けるような重く哀しい響きに、びくっ、と身体が強張る。
「同情ならやめろ。反って不愉快だ」
続けて辛辣な言葉が飛んで来たが、構わずアンジュは叫んでいた。
「同情じゃないわ! ただ、貴方が……心配なだけ、です……」
包まれるような言葉に不意打ちされ、ジェラルドは、彼女の方に思わず向き直った。真っ直ぐ自分を見ながら、真摯な情をぶつけてくる様子に、強く心を揺さぶられる。ふうっ……と静かなため息をつき、ゆっくり渇いた口を開いた。
「……今に始まったことじゃない。あれは日常茶飯事だ。もう慣れてる」
「でも……」
『貴方は傷ついたでしょう?』とアンジュは言おうとしたが、彼の深緑の瞳に、更に暗い陰が落ちた気がして、言葉を飲み込む。
「そもそも俺が生まれたのも、あの女が公爵以外の男とああして寝たからだ」
「……!!」
衝撃的な話に、意味が理解出来なかった。つまり、彼は……
「所謂、不貞の子ってやつ。俺と公爵に血の繋がりは無い。うちの家系は代々カトリックらしくてね。不貞は重罪。世間にバレたら公爵令息から一転、悪魔と同類にされる」
他人事のように、当人の口から淡々と語られる真実。しかし、アンジュには彼が無理をしているようにしか見えなかった。暗がりで表情はよく見えないが、虚無感を帯びているのは分かる。
「貴方は、何も、悪くないわ……」
今の精一杯の考え……気持ちを伝えた。何を言っても彼を傷つけてしまう気がして、必死に言葉を探したが、これしか見つからない自分が情けない。
すると、ジェラルドは、いつもの皮肉な微笑を浮かべ、自棄気味に返した。
「悪いも何も……事実だ。屋敷内の者は薄々気づいてる。噂も立ってるようだし、喋ったらいい」
「……!!」
初めて受ける類いのショックで、アンジュの視界にひびが入った。一度入れてもらえた気がした彼の心の内側から、また閉め出されたような哀しみと失望に沈んでいく。
「喋らないわ!! そんな事、する訳……無いじゃないですか……」
必死に訴えたが、最後の方は涙混じりになって声が震えた。そんな反応に驚いたのか、ジェラルドは瞳孔を少し見開いた。が、黙ったまま踵を返し、背を向けて歩き出す。今度は、引き止める気力は湧かなかった。心が固まってしまったようだ。
――どうして……どうして、信じてくれないの……?
悲しくて堪らない。容赦なく遠ざかっていく広い背中が、再び大きく開いた、二人の距離を表すように見えた。又、それが意外に激しく堪えたのが、アンジュの心を乱していた。穏やかな表情を見せたかと思えば、冷酷で辛辣な言動に変わる…… ジェラルドという人間の事が、また解らなくなってしまった。
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