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戦火のアンジェリーク  作者: 伏水瑚和
Ⅱ.London ~ the UK
23/61

燃ゆる独唱 ~ generation

 一方、そんな渦中のアンジュは、異次元のような客席に向かって丁寧にお辞儀をし、感覚の無い足で舞台から降りると、そっ、と会場を抜け出した。

 隠れるように、人気の無い場所を必死に探す。ようやく、しん、と静まり返った薄暗い廊下に出た瞬間、冷たい壁に身体を気だるく預け、もたれた。泣きたいのに心は動かず、一滴も涙は出ない。視界が揺らぎ、意識は朦朧(もうろう)としている。

 次の演目が始まったのか陽気なメロディと歌声が、扉の向こうから周囲の壁に反響し、ざわざわと耳障りに聴こえてくる。今のアンジュには、自分を嘲笑(あざわら)い、擦り切れた心を逆撫でされているようで、ひりひりした。


 ――私は、歌った。戦争讃歌を…… 戦争を盛り上げる為に、歌ったんだ……


 ずっと、ずっとこれだけは……と大切に守ってきた、貴く綺麗な宝物を奪われただけでなく、自分自身で(けが)し、盛大に壊させられた気分だった。鮮やかな血の色をしたドレスが、更に思考を闇に追い詰める。虚ろな()で、天井を見上げた。


「今日の歌は最悪だな。歌姫さん。感情が全然入って無い」


 鼻にかかる低音に乗った辛辣な言葉が、周りに重く反響して聞こえた。引かれるように振り向くと、少し離れた所に、ブラックの礼装に身を包んだジェラルドがいた。不意を突かれ、アンジュは慌てて平静を装う。


「……すみません」

「嫌だったんだろう? 何故、歌った?」

「仕方ないじゃないですか…… 仕事だもの」


 次から次に来る詰問に、いつもの調子を守ろうと、精一杯、虚勢を張る。


「……仕事なら、何でもするのか? 壊れた機械みたいに歌うのが、君の仕事?」

「……!! どうして、そんなこと……!!」


 とうとう、アンジュは激した。長い間、胸の奥底に秘めていた種火が一気に熱く滾り、めらめら、と燃え上がる。


「歌は、命を奪い合う為じゃない。生きる為にあるんです。そんな歌を歌うのが仕事、歌姫(プロ)なら、私はなりたくない……ならなくて、いいです……!!」


 心の(たが)が外れ、マリンブルーの瞳から、抑えられていた涙が、どっ、と溢れ出す。ジェラルドの前にも拘らず、アンジュは幼児のように顔を歪め、うっ……ふ……と嗚咽(おえつ)した。


()()って、何ですか……? どうして、諦めないと……いけないんですか……」


 この数ヶ月、ずっと抑えて隠し続けていた疑問、憤り、悲しみ、そして、激しい怒りが()け、溢れる。それを全て、彼にぶつけた。


 そんなアンジュを、ずっと冷静な面持ちでジェラルドは凝視していた。出会ってから今まで、彼女が自分に軽く怒ったり膨れっ面をする様子は、何度か見た。

 しかし、今は、心から叫び、喘ぎ、訴えるように慟哭している。そんな人間らしいとも言える激しい姿が、彼の()には、非常に美しく映った。こんなにも澄んだ()()を表した人間を見ただろうか……

 憎しみ、憤り、恨み…… 目の前の少女を占めている感情を爆発させた人間を、ジェラルドは何度も幼い頃から見てきた。理性を失い、理不尽な言動で相手を罵倒し、金切り声を撒き散らす。そんな、時に見苦しくも見える様が、何故、今はこんなにも貴く感じるのだろう……

 目映(まばゆ)く鮮烈な閃光(ひかり)が、全身から(ほとばし)り、淡くも力強く揺らめくフレアが見える。全てを焼き尽くし無にする業火ではない。(じゃ)や魔を(きよ)めるように射し込む、陽の(あかり)だ。

 すっ……と惹き寄せられるようにジェラルドは近づき、自身の両腕で躊躇いがちに、アンジュの華奢な身体を包んだ。恐々と、柔らかな蜜蝋色の髪に触れ、長い指でぎこちなく撫でる。

 他人に抱かれた経験の無い彼女は、彼の思いがけない行為に動揺し、びくっ、と身体を強張らせた。が、何故か抵抗したいという気は起こらなかった。人の温もりに慣れない身体を通して、彼の不器用な優しさが、少しずつ、少しずつ、沁み入って来る。


「……それでいいんだ。君は、それで……いい」


 不意に零れた、ジェラルドの真心の欠片が溶け、アンジュの耳元で穏やかに流れ、低く響く。再び、熱い涙が溢れ出し、彼の腕の中で、いつまでも泣きじゃくっていた。

 ……出会ってから半年以上。二人の心が、初めて寄り添い、通い合った夜だった。


 もうじき、また真冬がやって来る。ロンドンの冬は、容赦なく冷え、心身を痛めつける。しかし、もっと残酷な時代の暗雲が、世界中を覆い尽くそうとしている今、これは悲劇の始まりなのだろうと、どこかで共に予感していた。



 年の暮れ。秋のソロデビューがきっかけで、幸か不幸か、アンジュは貴族の間で、少しずつ名前が知られるようになっていった。楽団への依頼はますます増え、単独での仕事も、僅かだがもらえるようになったのだ。とはいえ、歌うのは戦争讃歌や国歌、無難な詠唱ばかりだったので、複雑な思いで仕事をこなしている。

 ジェラルドとは、彼に抱き寄せられた日以来、以前とは違う意味で、妙に気まずくなってしまっていた。いつの間にか仲直り(?)し、また話すようにはなったが、お互いどこか気恥ずかしく、今までよりぎこちない。

 彼の方は以前のようにからかいづらくなり、アンジュの方も言い返せなくなっていて、互いの様子を伺いながら、沈黙と隣り合わせで接する状態だった。とはいえ、いくら複雑でも、彼のおかげで自分を見失わず、今の仕事をこなせていると思っていたのだが、()()()を、意識している自分に動揺している。

 それは、ジェラルドも同じだった。彼女を抱き締めた時の心境が自身でも解らず、困惑していた。それ以前に、何故、気になって後を追ったのかさえ、解らないでいる。

 ただ、放っておけなかった。見過ごせなかった。死んだように歌う彼女が心配になった……それだけだ。


 ――何故、あんな事をしたのだろう……


 かつて無い自身の変化を受け入れられず、戸惑っていた。


【閲覧ありがとうございました。スタンプでも一言でも良いので、ご感想を頂けると嬉しいです。】

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