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戦火のアンジェリーク  作者: 伏水瑚和
Ⅱ.London ~ the UK
22/61

迫り来る狂想 ~ outbreak of war

 はらはら、と石畳の歩道にビラの雨が降り、落ち葉と混じ入る。


「開戦だ!! ついに戦争が始まった!!」


 とんでもない情報に、慌てて足元に落ちたものを一枚拾い、印刷された文字を追う。――呼吸が、止まった。


『ドイツ軍、ポーランドに侵略!! これによって、ポーランドと協定を結んでいた、我が国もフランスと共に、ドイツとイタリアに宣戦布告!!』


 ――英国が、ドイツと戦争……!!


 視界が、一気に真っ暗になった気がした。膝が震え、足元がぐらつく。信じたくない現実。悪い夢なら今すぐ覚めて欲しいと願った。それに、フランスはフィリップの故郷である……

 他の団員達も、同じビラを手に、真っ青な顔をして立ち尽くしている。くしゃ、とビラを握りしめ、アンジュは、思わず空を見上げた。相変わらずの晴天だ。いつもと何も変わらない、少し霞んだブルーのロンドンの空。

 しかし、たった今、世界で戦争が始まったのだ。そして、自分が今居るこの国も、その戦いに参加しようとしている。何かが確実に変わっていく。それも悪い方へ。しかし、これは紛れもなく、自身に起こっている現実だ。


 瞬間、あの庭園で見た、ポピー畑が脳裏に浮かんだ。ポピーの朱に染まった絨毯が広がり、ロンドンの青い空が、アンジュの頭上で、たちまち(くれない)に染まっていく。

 ……まるで血と炎で埋め尽くされた、凄惨な戦場のように見えた。



 開戦を知らせるビラが撒かれてから数日後、アンジュは団長に呼び出され、とんでもない事を稽古場で告げられた。


「……今、何て……言っ……」


 耳を疑い、真っ青な顔でもう一度尋ねる。


「言った通りだ。我が国も参戦する事態になった今、反戦歌を歌うのはまずいのだ。よって、これからは君にも戦争讃歌や国歌を歌ってもらう。勿論、他のメンバーもだ」


 一気に血の気が引き、その場から突き落とされるような感覚に襲われた。軽い眩暈で視界がぐらつく。今年の春、グラッドストーン家の庭園でポピーの逸話をスコットさんから知り、一生懸命作った歌詞が……歌えない。

 しかも、反戦歌と正反対の趣旨の、戦争讃歌をこれからは歌わされる。あれほど待ち望んでいた独唱(ソロ)で、だ。スコットさんに、聴いてもらう約束だったのに……


「君のソロデビューの日にしていた、グラッドストーン家での晩餐会まで、悪いがあまり時間がない。急遽、戦歌を作詞してくれ」


 さらなる追い討ちに、心臓を引き裂かれた気がした。暗く重い声が、自然に零れる。


「……嫌、です」

「何だと?」


 団長は声を荒げたが、構わずアンジュは反論する。


「絶対に嫌です。戦争讃歌なんて作れないし、無理です。歌えません!!」

「アンジェリーク!!」


 怒りを(あらわ)にした団長に気圧(けお)され尻込みしたが、気持ちは変わらない。それでは、スコットさんとの約束を破るどころか、彼の傷に塩を塗るような真似をすることになる。団長を怒らせても、これだけはどうしても譲れなかった。


「これは趣味じゃない。仕事……ビジネスだ。個人的な私情も、我が儘も通用しない。……言うべき時を伺っていたが、お前をスカウトする時の条件が、孤児院への多額の寄付だったのだ。それだけ、お前には期待しているのだよ。アンジェリーク」

「…………!!」


 幼く無知だった為、当時はわからないでいたが、あの頃も今も、世界的な大不況で、大抵の一般人は、貧しさと飢えが当たり前の生活だった。こちらに来てから何となく察していたが、やはり、自分は売られたも同然だったのだと実感する。悔しげに唇を噛みしめ、アンジュは泣くのを堪えた。

 どうすることも出来ない現実。それでも、歌を捨てる事は出来ない。無力な自分が情けなく、歯痒(はがゆ)い……


「今はこういう時代なのだ。諦めろ。どうしても無理なら、代わりの歌を用意する。お前は稽古に集中しろ」


 彼女を一瞥(いちべつ)し、団長は部屋を出て行った。同時に、アンジュの眼から堪えていた涙が、頬をつたい流れる。


 ――スコットさん、ごめんなさい……


 その場に崩れ落ち、声を上げられないまま、顔を覆った。



 結局、アンジュの作詞デビューは無くなり、団長が勧めた、昔からある普遍的(ポピュラー)な戦歌を歌う事になり、練習を余儀なくされた。

 今までも厳しいレッスンはあったが、歌を歌っていて、こんなにも精神的にきつい状況は初めてだ。なかなか稽古に身が入らなく、教官に何度も叱られ、怒鳴られる日々。身を裂かれ、心を(えぐ)られる瞬間の連続で……拷問のようだった。


 そしてグラッドストーン家の晩餐会当日。アンジュの心境に反し、開戦してから初の晩餐会である会場の空気は、妙な緊張感がありつつ、心ここに(あら)ずといった様子で浮き立っている。

 アンジュの今夜の衣装は、いつもの傾向とはまるで違うビビッドレッド。それも、あのポピーの花というよりは、真っ赤な鮮血の色だ。

 完全に心を殺したまま舞台に上がる。会場の隅に立つ、ジェラルドと久しぶりに目が合った。彼は、相変わらず無表情で、その深い緑の()からは何も読み取れず、何を考えているのか、相変わらず真意は判らない。

 しかし、『だから言っただろう』と、彼が自分に呆れ、責められている気がして、アンジュは反射的に視線を反らした。


 ババーン!! という、勢いづいた前奏が会場に鳴り響き、()しくも彼女のソロデビューが始まる。が、当人は喜ぶどころか、悲しみと憤りで心臓が張り裂けそうだった。普段より一オクターブは低い、雄々しいメロディも、勇ましい歌詞も、彼女にとっては拷問でしかない為、その表情(かお)には、明らかに悲哀と苦しみが表れている。

 戦歌というよりは、透明感ある澄んだ声をした精霊の、叙情的な切なる叫びのような……哀歌(エレジー)と化していた。

 吐き切るように歌い終わると、凄まじいスタンディングオベーションになった。演目が終わっても、会場が割れるような拍手が、なかなか鳴り止まない。勇ましくはなかったが、アンジュの危機迫る情念溢れる様と、儚くも痛切な歌声が、今時世の観客の心に、深く……響いたのだった。


【閲覧ありがとうございました。いいねや一言でも良いので、ご感想を頂けると嬉しいです。】

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