迫り来る狂想 ~ realism
「庭の方で声がしたから、少し気になってね。スコットさん、薔薇の調子はいかがです?」
「ああ、大丈夫ですよ。今年は、気候が良いからね」
親しげに話す二人は、まるで昔ながらの友人のようである。ジェラルドの服装も、綿のシャツにサスペンダー付きの黒のトラウザーズパンツという、いつもよりラフな恰好だ。初めて見る穏やかな表情で、傍の薔薇を眺めている。
「あの……お二人は……」
戸惑いながら尋ねるアンジュに、スコットと呼ばれた老人が説明した。
「ジェリー坊っちゃんは、昔から薔薇目当てで来て下さってるんですよ。他のご家族は見向きもされないんだがね」
意外だった。いつも人を皮肉って拒絶している彼が、この美しい庭園を気にかけていたなんて。
「すごい…… この庭は、こんな人まで惹き付けるのね」
思わず本音が漏れてしまったアンジュに、ジェラルドはまた苦笑した。
「随分だな。俺が花を好きじゃいけないのか?」
「いけなくないですけど……不自然です」
不服そうに問う彼に、いつものお返し、とばかりに強気に返す。
「儂は戻りますから、二人でゆっくりして下さい」
そんなやり取りをする二人を見ていたスコットさんは、妙な気を利かせたのか、にこにこしながらそう告げ、屋敷に戻ってしまった。急に二人きりにされてしまい、アンジュは焦った。変な沈黙を避けようと、慌てて口を開く。
「あの、『ジェリー』って……?」
「俺の子供の頃の愛称。そう呼ぶのは、今ではスコットさんだけだけど。……それより、本当に反戦歌を歌うのか?」
「はい。作曲は団長で」
意気込んで答える彼女に対し、ジェラルドは眉間を寄せた険しい表情に変わった。
「……何の為に?」
「え……?」
唐突な予想外の問いに、アンジュは戸惑い、たじろぐ。
「もう、世界は大戦へと動き出してる。我が国も軍が防衛に備え始めてるらしい。今更、君が反戦歌を歌ったところで止まらない。無意味だと思わないか」
彼のシビアな意見に息が止まり、言葉に詰まった。確かにそうかもしれない。自分一人の力で戦争は止められない。ただの自己満足に過ぎないのかもしれない。
……だけど、このままではいけない、という熱い思いが身体中を巡り、躍動していた。
「……それでもいい、です。一人でも沢山の人に、このポピーの話を知ってもらえたら……十分です」
彼のダークグリーンの瞳を捉え、アンジュはきっぱりと答える。
「君の自由だけど……無駄な労力だな」
冷ややかな視線を投げ、ジェラルドは屋敷の方へ帰って行った。唖然とした表情で立ち尽くすアンジュの胸の奥には、驚きと憤りがぐるぐる渦巻いている。
――無駄とか無駄じゃないとか……そういう問題じゃないでしょ……?
――さっきは、あんなに穏やかな表情をして薔薇を見てたのに、急に冷たい目になって……
アンジュには、彼の事がよくわからなかった。しかし、これだけは改めて確信した。
――やっぱり…… あの人、苦手……!!
屋敷に戻って行く彼の後ろ姿に向けて、珍しく顔を思い切りしかめた。
一方、ジェラルドは、何故、あんな必死に反論したのか、自分でも分からず困惑していた。いつものように、少しからかうだけのつもりだった。軽く受け流して良かったのに。
「どうかしてるな……」
ぎゅっ、と目を瞑り、戒めるように呟く。複雑な思いを振り切るかのように、足を急がせた。
瞬く間に時は過ぎ、季節は九月初頭……待ち望んだ秋に入った。とはいえ、赤道から遥か遠いイギリスに吹いてくる風は、既にひんやりとしている。春から夏の間、国内の空気は、ジェラルドが言った通り、少しずつ重々しく、物騒になっていった。
『空襲監視員』という国公認の団体が、ドイツ軍からの襲撃に備え、街中で様々な準備をし始めたのだ。警笛やサイレンに合わせての避難訓練が行われ、地下シェルターの建設が始まり、ガスマスクまでが配られ出した。毒ガスによるテロ攻撃に備える為だ。
アンジュ達の居る街も例外ではなかった。楽団のある建物にも、訓練の案内やガスマスクの使い方を教えに来る人間がやって来る。とりあえず従ってはいたが、グラッドストーン家での公演が評判となり、ますます忙しくなったワグネル楽団は、正直な話、それどころではなかった。断らなかったら、毎日のように仕事が舞い込んで来る状況だ。
そんな温度差の激しい日々を送り、アンジュは複雑な思いを抱えながらも、忙しい合間に歌詞を懸命に考えた。団長に曲を付けてもらい、いよいよ発表という段階に入る。
ジェラルドとはあれから気まずく、アンジュは勿論、彼の方からも、あまり話しかけて来ないでいる。安堵する反面、胸に穴が空いたような気分になっている自身に戸惑っていた。
あちこちから翻弄される気持ちの悪い日々だったが、別の貴族の屋敷に招かれた帰り道。他の団員達から少し離れ、一人で歩いていたアンジュは、ふと、思った。
――こんなに独りを意識したのは、久しぶりかもしれない……
クリスは売れっ子なので、単独での仕事も多く、いつも一緒にいられる訳ではなかったし、団員達には『公爵家の次男坊に取り入った』と、噂されるようになり、相変わらず浮いていた。
貴族の屋敷に招かれた時も、お客様と仕事として話す以外は、大体一人で過ごしていた。グラッドストーン家での公演以外は…… あそこでは、いつもジェラルドが何かとからかって来たから、アンジュは独りにならずに済んでいたのだ。
――もしかしたら、私がいつも一人でいるから気にかけてくれてた……?
思い過ごしかもしれない。しかし、彼のおかげで、寂しい思いをすることが少なかったのは事実だった。しかし、お礼を言うにしても、『何の事だ? 自意識過剰だな』と鼻で笑われるのが関の山だと考え、躊躇っていたのだ。気まずくなってしまったことも、原因の一つだったが……
考え事をしてる間に、気づくと団員達からかなり離れてしまっていた。追いつこうと、慌てて駆け出した時――
「号外!! 号外!!」
けたたましく張り上げた掛け声と共に、幾枚もの白い紙が、辺り一面に舞い上がった。
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