表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦火のアンジェリーク  作者: 伏水瑚和
Ⅱ.London ~ the UK
20/61

朱に夢現 ~ poppy

 そんな生命力溢れる花園の、シナモンに染まった石畳の上を踊るように歩く。心地好い薫風(くんぷう)に吹かれながら、ここにはジェラルドは来ないだろう、と思っていたアンジュは、すっかり夢心地だった。

 この数ヵ月で、楽団がグラッドストーン家の御用達になったのは良いが、仕事の度に顔を合わせることになる為、嫌でも会ってしまう。完全に嫌な印象を(いだ)いてしまったので、必要以上に関わらない、と距離を置いていた。しかし、向こうから何かと話しかけ、からかって来るので話さない訳にはいかなかったのだ。増して、彼は依頼主の息子であり、客でもある。あまり邪険に出来ない為、対応に困っていた。

「……家族がいて、お金持ちで、こんな素敵な場所に住んでるのに…… どうしてあんな風になるの?」

 ぽそり、と一人呟き、目の前のポピーの花に鼻を近づけた。まろやかで甘い香りが、爽やかにアンジュの鼻腔を(くすぐ)る。

「それにしても、すごいポピーの数ね……薔薇も多いけど……」

 周り一面を取り囲んでいる、朱色の絨毯のようなポピー畑を見渡す。ロンドンには多いのか、ここに来る途中に寄った、ウェストミンスター大聖堂にも、この花が植えられていた。


「ポピーは、この国では停戦の象徴なんですよ。お嬢さん」


 急に、少し(しわが)れた年配の男の声がした。驚いて目を向けると、一人の老人が、畑の中からゆったりと顔を出した。麦わら帽子を被り、軍手をした手にスコップを持ったその老人は、(ひげ)に付いた泥を拭いながら、アンジュの近くまで歩いて来る。直感的に、この屋敷の庭師なのだろうと思った。

「こんにちは。これは、全部、貴方が?」

「ああ。お嬢さんは、花が好きなのかい?」

「はい。こんな素敵な花畑……見たことないです」

「ははっ……ありがとう。そう言ってもらえると、花も喜ぶよ」

 老人は微笑みながら、近くに咲くポピーをいとおしそうに撫でている。

「あの。さっきの停戦の象徴って……?」

「ああ…… 前の大戦の時に、ある人が、この花をモチーフにして、詩を作ったらしくてな。何でも、ある戦場の跡に咲いていた一面のポピーが、戦闘で死んでいった兵士の血の海に見えたそうで、思わず詩にしたらしい…… それから毎年追悼の記念日には、皆、胸にポピーの花を飾るようになった。ここに、この花を植えているのは、(わし)の個人的な意向でな……」

 そう言って、彼は寂しげに花を見つめた。まるで、誰かの姿を重ねているかのように。もしかしたら、この人は、前の大戦で大切な人を亡くされたのかもしれない……とアンジュは思った。

 ふと、抑揚の無い声で、庭師(ガーデナー)は問いかける。

「お嬢さんは、知ってるかい?」

「え……?」

「今、また戦争が始まるかもしれないって事……」

 思わず目を伏せる。真冬に入った頃から、楽団内や客人の間で、あまり穏やかで無い、仄暗い噂が、頻繁に囁かれていたのだ。アンジュは持っていないので聞いていないが、ラジオやテレビのブラウン管から流れるニュースは、その話題一色らしい。

 優しい夢の世界から残酷で殺伐とした現実へ、一気に引き落とされたような思いで、アンジュは、足元に散らばる朱色の花びらを、悲しく眺めた。

 何でも独裁政権に傾いたドイツが、イタリア、日本と同盟を結び、ヨーロッパの侵略を始めていて、既にオーストリアは併合、ユダヤ系民族は酷い迫害を受けているとの事だった。

 我が国イギリスは、フランスと共に止めるよう忠告しているが、停戦する様子は無く、このままでは、今度は世界中を巻き込んだ戦争になるという…… ユダヤ系の客人達は、仲間が受けている仕打ちを嘆き悲しみ、既に世界的恐慌の影響で、ロンドンの街には失業したらしい浮浪者で溢れている。

 この数ヶ月の間、そんな哀しく痛ましい空気の中を、アンジュなりに苦しみながら過ごしてきたのだ。現実味があるようで、どこか信じられない時流が心許なく、不安定な日々。それでも当たり前のように日常は続き、容赦なく()()()を迎えようとしている。


「……知ってます」

 動揺する不穏な心を鎮めながら、アンジュは返答した。戦争が始まったらどうなるのだろう。この美しい庭園も、長い歴史が積まれ刻まれた、今いるロンドンの街も、全て破壊され、跡形も無く消えてしまうのだろうか……

「そうかい…… 限りある富、どこまで奪い合うのかねぇ……」

 庭師の老人は、彼女に聞かせるのではなく、遠い異国……いや、目に見えぬ何者かに訴えるように、呟いた。

「おじいさん……」

 アンジュの哀しげな呼び声に、彼は、はっ、と我に返る。

「ああ……すまないね。暗い話を聞かせてしまって。また、いつでも見に来ておくれ」

「もちろんです。あ……」

 なるべく明るく答えた後、一つのアイデアが脳裏に弾け、浮かんだ。今の自分が出来る事……

「あの、私、今年の秋に、このお屋敷のパーティーで、自分で作詞した曲を歌わせてもらえるんです。このポピーをモチーフに、私も歌詞を作るわ。反戦歌にするの!」

 憂いが少し(かす)んだ、マリンブルーの()を煌めかせ、無邪気に意気込むアンジュに、彼は少し驚いたように固まった後、皺で囲まれた眼を細め、嬉しそうに頬を綻ばせた。

「そうかい……嬉しいね。儂は聴けないのが残念だが……頑張りなさいよ」

「ここでも歌うわ。こっそりだけど……聴いて欲しいです」

 改めて、気を引き締めた時……


「いいのか? 仕事のネタだろう?」


 少し呆れたような、聞き覚えのある静かな低音が、耳に飛び込んできた。

 心臓が跳ね上がり、反射的に声のした方へ振り向くと、()()ジェラルドが、ズボンのポケットに手を突っ込みながら、アンジュを見下ろすように立っていた。

「な、何で、ここに……」

 ()を白黒させ、口をぱくぱくさせている彼女を見て、ジェラルドは口元を少し歪め、苦笑する。

「そんなに驚かなくてもいいだろう」

「ジェリー坊っちゃん。今日は早いですね」

 にこやかに優しく微笑み、彼に声をかける老人に、アンジュは更に吃驚(びっくり)した。

【閲覧ありがとうございました。いいねや一言でも良いので、ご感想を頂けると嬉しいです。】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ