表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦火のアンジェリーク  作者: 伏水瑚和
Ⅱ.London ~ the UK
16/61

二重の邂逅 ~ Muse

 めまぐるしく日々は過ぎ、ロンドンに来てから三ヶ月の時が流れ、季節は冬になった。アンジュにとっては、夏を感じない年になる。

 今日は、次の公演に出演するメンバーの発表だ。この楽団は、大抵、大きなイベントや富豪の屋敷に招かれ、彼らが行うパーティーやお茶会の催し物として演奏するのが主流だった。構成やメンバー、演目の配役は、全て団長であるワーグナー氏が決定権を持っていて、異論は認められない。団員が稽古場に到着する頃には、既にメンバーの一覧表が貼り出されていた。

 そこに書かれていた内容を見て、アンジュを含む団員達は驚愕した。三人で合唱する演目の一人に、アンジュの名前があったのだ。しかも、一小節だけだが、独唱(ソロ)で歌う箇所がある。驚き半分、彼女は喜んだが、他の団員達は面白くなかった。

 最近、入団したばかりで演奏会のメンバーに選ばれ、更に、僅かだがソロパートまであるのだから、やっかむのも無理はない。数人の団員が、怒りや妬みを含んだきつい視線を、ビシビシ、と投げつけている。

 自分に向けられている、そんな冷ややかな視線に気づき、アンジュは、思わず下を向く。こういう空気には疑似感(デジャヴ)が強く、敏感だ。ただでさえ楽団内で浮いてるのに、更に、風当たりが悪くなってしまった。

「何で、あの子が選ばれるの?」

「実力も無いのに」

「どんな手を使ったんだか」

「大人しそうな顔して、結構やり手だねぇ」

 いくら抗議しても、団長の決定には逆らえない。密やかに、尚且(なおか)つ彼女に聞こえるように、団員達は囁き合った。

 案の定、それから彼らは、更に冷たい態度を彼女に取るようになってしまった。共に披露する、他の二人の女性も普段はもちろん、練習中も義務的なことでしか話しかけて来ない。おまけに、ちょっとしたことで、嫌みを言われる始末だった。


「……何で、こうなるんだろ」

 さすがに耐えかね、その日の練習が終わった後、アンジュは一人残って、ぽつり、と呟く。

「私って、どこでもこんななのね……」

 ふう……と軽くため息をついた時、背後から、カツン、カツンとヒールが床に打ち鳴る、軽やかな音がした。驚いて振り向くと一人の長身の女性が、こちらに歩いて来ている。

「クリスさん……」

 驚いたアンジュは思わず、ぽろっ、とその名を溢していた。

 クリスこと、クリスティーナ・コーラルは、アンジュより少し年上の、楽団の花形の歌手で、歌唱力は勿論、容姿も群を抜いて美しい女性だった。

 真珠色の真っ白な肌、薔薇色の唇。サファイアのように(あお)く瞬く瞳は、長い睫毛が扇のように縁取っている。女性らしい豊満なバストに、しなやかなくびれのある体型。亜麻色に(つや)めく髪は綺麗に巻いて、小ぶりの洒落た帽子の中に収めている。

 そして、何よりも印象的なのが、ハープのようにしっとりと、華やかに響く美声だった。神話に出てくる女神のように魅惑的で、演奏会では必ず詠唱(アリア)を歌う。まさに『歌姫』の称号に相応しい彼女は、団員達の羨望の的で、アンジュも密かに憧れていた女性だった。

 そのクリスが、自分に話しかけている。思いがけない状況に、アンジュは狼狽(うろた)え、動揺した。

「何してるの?」

 深紅の薔薇の花が、ぱあっ、と満開に咲いたような笑みを浮かべながら、クリスは声をかけた。ブラウンのコートにタイトスカートという、シックな装いにも拘らず、ますます人間離れした魅力が際立つ。そんな出で立ちに圧倒されてしまい、小柄のアンジュは彼女を見上げたまま声が出せず、すっかり見惚れていた。

「……どうかしたの?」

 心配そうに問いかける彼女に、アンジュは慌てて口を開いた。

「ご……ごめんなさい。とてもお綺麗だから……」

 すると、少し驚いた素振りを見せた後、くすり、とクリスは笑った。

「ありがとう…… 可愛い人ね」

 ふふっ、と美しい笑顔を再び浮かべる。彼女が少し喋っただけで、周りの空気が一気に華やぐ気がした。

「私、クリスティーナ・コーラル。貴女は、アンジェリークよね。よろしく」

「はい。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」

 辺り一面に(つや)やかに響く美声で挨拶し、白魚のような手を差し出した彼女を見て、フィリップと出会った時を思い出した。胸奥がぎゅっ、と少し痛んだが、慌てて彼の像を消し、握手し返す。

「……良い声をしてるわ。柔らかくて澄んでて。精霊……花が舞っているよう。団長が推すのも無理ないわね」

「いえ……そんな……」

 今の自分の状況を思い出し、高揚した気持ちが、しゅうっ、と(しぼ)む。そんな彼女をクリスは見逃さず、すかさず続けた。

「皆、貴女に嫉妬してるだけよ。こういう仕事をしてる人間にとって、嫉妬ややっかみは賞賛と同じ。気にすることないわ」

「ありがとうございます…… でも、嫌われるのは辛くて」

 アンジュは、昔から自分が自分であればある程、何かを失ってる気がしていた。人はどんどん離れていき、欲しいものは、実際に得られてるのかどうかも分からない。そこまでして、仮に得られたとしても、果たして、それだけの価値があるのだろうか……


「貴女は、何の為に歌を磨いてるの? 皆に好かれる為じゃないでしょ? 私達だけじゃない。皆、一人で戦ってるのよ。正しい答えなんてない。大切なのは、自分が何を一番信じるか。何を優先するか…… その為には、代わりに何かが犠牲になるものよ。その先に何があるのか……求める未来が待ってるか分からないけど、私はそうやって生きてるわ」


 彼女の厳しくも真摯な言葉の一つ、一つが、アンジュの心の奥に強く、深く刺さった。夢を追い続ける、自分のまま生きるという道は、何て難しく、厳しいのだろう……

 しかし、夢を諦めることも自分を無くすことも、今の自分には出来そうにないと思った。なら、せめて、磨いて生きるしかないのだ……

「……ありがとうございます。何だか思い直せました」

「本当、素直な人ね」

 憑き物がとれたような表情で礼を言うアンジュを、クリスは微笑ましそうに、くすくす、と笑う。不意に心がざわめいた。


 ――この感じ、知ってるわ……


 躊躇(ためら)いなく、心を開ける心地良さ。安心して接せる感覚。……フィリップの姿が、幾度も重なったのだった。

【閲覧ありがとうございました。いいねや一言でも良いので、ご感想を頂けると嬉しいです。】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ