Good, bye……【true】
彼のサーフィンの、最高に綺麗なライディング。白波と一体になり、本当に美しくて……素敵だった。
一緒に食べた、お弁当のサンドイッチの味。物を食べて、初めて心から美味しいと感じた瞬間だった。
怪我の手当てをしてくれた日……あの時の夕陽は、本当に、本当に綺麗だった……
落ち込んでたら、優しく励ましてくれた。指切りして交わした、大切な約束。彼の声が、言葉が、笑顔が、頭から離れない。彼に似た人を見かけると、思わず目で追ってしまう。
笑って、泣いて、楽しかった、大切な時間。なのに、今はその思い出が、とても辛くて、痛い……
――フィリップ…… フィリップ…… フィリップ‼
何度も、何度も、心の声で彼の名を叫び、呼んだ。比例するように、泣いても泣いても、関を切ってしまったのか、滴は止めどなく溢れてくる。
彼がいたから、毎日が楽しかった。彼がいたから、嫌な事があっても頑張れた。
彼がいたから、初めて笑うことが出来た。彼がいたから、初めて人前で泣くことが出来た。
今まで知らなかった幸せな時間を過ごせた、やっと出来た、大切な友達だったのだ。もし、このまま、彼が離れていったら、自分はどうなるのだろうか……
――怖い。怖い。怖くて堪らない。神様は、どうして、こうなるようにしたのですか……?
――どうして、こんな目に遭わせるのですか……? 辛すぎます……
いつもの海、いつもの空、いつもの砂浜……変わらない、見慣れた風景。なのに彼だけがそこにいない…… いつか離れていかれるのなら、別れが来るのなら、こんなに痛いのなら、もう誰とも、心通わせなくていい……‼
がくり、とその場に崩れ落ち、アンジュは生まれて初めて――慟哭した。
一ヶ月後、季節は初冬を迎えていた。相変わらず、フィリップもエレンも、姿を現さなかったが、アンジュは海辺に行くことは止めなかった。
フィリップとの出来事を、どう受け止めたらいいのかまだ分からなかったのだ。そんな未練がましい自分が嫌だったが、そうするしか出来ないでいる。
そんな思いを振り切るように、アンジュは孤児院でも、なるべく平静を装っていて、今日は市場に買い物に来ていた。
「こんにちは」
「お、いらっしゃい。アンジュちゃん。今日は、じゃがいもが安いよ」
馴染みの八百屋の主人に声をかけて、野菜を選んでいると、通りすがりの二人組の女性の会話が、背後から聞こえてきた。
「……でね、そのベルモント家の坊っちゃんが……」
「ああ、あの町外れの大きなお屋敷の?」
『ベルモント家』『町外れのお屋敷』という単語を聞いた瞬間、アンジュは銅像のように硬直した。そんな彼女に、追い討ちをかける言葉が続く。
「そうそう。フィリップ様。素敵だったわよねぇ。幼なじみの富豪のお嬢様と婚約したらしいのよ。えっと、確か、エレンとかいう」
アンジュは耳を疑った。今、『婚約』って、言った……?
「あら、まさか、政略結婚?」
「そう。で、故郷のフランスに、二人で帰ったみたいよ。まだ若いのにねぇ」
そう、口々に言いながら、女性達は立ち去って行った。じゃがいもを手にしたまま、ついさっき聞いた言葉の数々が信じられず、呆然とする。
――フィリップが婚約…… 相手はエレン……政略結婚……
そこまで復唱した時、はっ、と気づいた。
――もしかして……ご両親に私との関わりを知られて反対されて…… それで、急に会わないなんて言ったんじゃ……
――でも、恋人なんかじゃないのに…… それなら、二人共そう言ってくれたらいいのに…… どうして……
「アンジュちゃん? 大丈夫かい?」
青ざめている彼女に、八百屋の主人が、心配そうに声をかけた。はっ、と我に返って、アンジュは主人を見返す。
「君も、坊っちゃんのファンだったのかい? 彼は、この街の女の子のアイドルだったしねぇ。でも……まぁ、しょうがないよね。やっぱり儂らとは、住む世界が違うっていうかさ」
主人の言葉で、また愕然とした。フィリップは身分が違う。しかも、自分は、孤児院の……
アンジュは、彼が何も言わないまま、突然離れて行った理由を察した。彼と楽しい時間を過ごしているうちに、いつの間にか、自分達を隔てる見えない壁の存在を忘れていたのだ……
――私を傷つけないように、わざとあんな別れ方をしたんだ…… 本当に……最後の最後まで、優しいんだから……
真実は、彼女にとって非常に残酷で、気が遠くなる程に辛いものだった。でも、彼が残してくれた優しさのおかげで、幾分か救われていた。
そんなフィリップの想いに感謝し、アンジュは別れを受け入れる覚悟をした。彼の優しさを、無駄にしたくなかったのだ。心の中に、儚くも美しい思い出をそっ、と残し……改めて、彼を想う。
――フィリップ。もう二度と会えないかもしれないけど、せめて、私の中だけで、友達って思わせてもらっていいですか……?
――貴方は、私の初めての友達で、初めて好きになった人なの……
自分にとって大切な人を失うのが、どんなに辛いのかという事を、アンジュは、生まれて初めて痛い程味わっていた。
これは彼女の人生に訪れる、苦難の始まりに過ぎない。しかし、そんなことは知るはずもなく、ただ、今は、突然やって来た深い悲しみに耐え、受け入れるしかなかった。
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