復讐相手を失った令嬢の逆行
もうかれこれ十年も前の事だ。
この世界は突如魔物であふれ、私達人間は空想の中にしかいなかった魔物の影に怯え生きることを強いられたのは。
幻想科学者たちは、この有事に対し上級国民とされる一部の人間を首都に集め結界を敷いた。勿論結界の外に残された者達は彼らを罵ったが、だからといって結界が壊れる事はなく、十年間沈黙を続けている。
そして私も結界の外に捨てられた者の一人だ。
私の家族だった者はこの結界の中で暮らしている。当時十歳だった私の家庭環境は微妙で、私は前妻の子供だった。魔物が出て学校が休学となり、ぎくしゃくとした家の中で息を殺すように生きていた私を騙すように外へ連れて行ったのは、後妻とその娘。後妻は元々父の愛人で、その娘は私の母との婚姻中に産んでいた。
私の母は旧家出身。父は結婚を拒むことも離縁もできない代わりに愛人と好き勝手やっていた。
恨むなという方が無茶だろ。外から帰ろうとした瞬間結界に拒まれ、わずかなお金だけで放り出されれば。
魔物の恐怖と隣り合わせの日々。未成年であった為、養護施設に受け入れてもらえたが、世の中は混乱と混沌で、酷い状態だった。
だから私は魔物退治や結界張り業務をする会社に、中学校を卒業後就職した。せめて高校まで行ってはと養護施設の先生に言われたが、親の庇護がなく、今後どうなるかも分からない情勢で借金をしてまで学校に通う事はできなかった。
その中で私は結界張りの技術を学び、魔物の知識を増やした。義務教育までの知識しかなくても、生きて行くための知識は何処でも増やせる。そして十年の歳月を経て私はようやく首都の結界解除を試みた。
とにかく私は、私を追い出した奴らに復讐がしたかったのだ。
それだけが私の生きる理由だった。
「ははははははははは! 見てろよ!! 私は今日という日の為に生きてきたんだ!!」
「はいはい。おめでとう。さっさと結界を解除しろよ。見ているこっちが恥ずかしい」
「って、なんてついて来てるのよ」
「そりゃ、師匠としては、弟子の行動はちゃんと見守らないとだろ?」
私が都市結界の前で高笑いをしていると、背後から声をかけられた。
そこには、黒髪黒目の少年が立っていた。年は15歳で20歳になる私より年下だ。それなのに師匠とは何の冗談だと思われるだろうが、確かにこの少年は幻想科学の師匠だった。
彼はいわゆる天才という奴で、十歳の時に大学に通いつつ私が勤める会社に専門職として就職してきた。当時十五歳だった私も入社したばかりで、彼とは同期となった。
最年少の彼は仕事場ではやりにくそうだった。当たり前だ。彼は天才で、知識こそ素晴らしいが、周りは大人ばかり。私のように命令をされた事をするのではなく、命令する立場となれば、年齢が若い所為で話を聞いてもらえない事も出てくる。私だって、現場でこれはヤバいだろと思って報告するも、年齢を理由に聞いてもらえない事もあった。
だからこそ私達は協力するようになった。彼は私が若いからという理由で私の話を無視する事はない。私も周りへの反発もあって年齢ではなく実力を重視したいので彼の意見を聞いた。その結果私が彼と手を組めば、任務の成功率は100%。会社の中でも、私達は一目置かれるようになった。
そんなわけで仲良くなった私は、彼に結界について――つまり幻想科学について教えて欲しいとお願いしたのだ。理由を聞かれた私は正直に復讐の話をした。それに対して彼は特に諭そうとすることもなく、私に付き合うと言ってくれ、現在同僚であり、師弟関係を結んでいる。
「都市の結界に穴開けるなんて犯罪なんだからついてこないでよ。私は師匠に感謝してるんだから」
協力は求めたけれど、巻き込むつもりはない。それがケジメだ。
「相変わらず頭が固いよな。普通にちゃんと解除することを現政権宛に申請しておいたぞ」
「は?」
「中にいる空想学者に用事があるから結界の一部解除の申請、5年前に出してちゃんと通っているから。安全面に配慮した方法を考えて、追加資料も出しておいたから問題ない。いい加減行き当たりばったりで生きずに、ちゃんと根回ししろよ」
「いつのまに……」
5年前と言えば、私が彼に師事を仰いだか仰いでないかぐらいの話だ。時系列を考えれば私が彼に話した直後という事になるけれど……よく知らない人間の復讐話をよく支持しようと思ったものだ。
「はじめての弟子が捕まったら迷惑だからな。申請が通るまでに時間もかかるだろうし、俺も中がどうなっているか気になっていたから申請しておいたんだよ」
「流石師匠……。ありがとうございます」
「お礼は早いからな。この結界の中に宝物が詰まっているとは限らないんだぞ?」
「別にトレジャーハンターするわけじゃなくて、私は復讐しに行くだけだから」
確かに金持ちばかりがこの結界の中にいるのだから、ある意味宝物もあされるかもしれない。でも私はそんなものに興味などない。
「……ちげーよ。宝というのは比喩に決まっているだろ。泥棒するな。この中がどうなっているかは、分からないって意味だ。色々覚悟しておけって事に決まっているだろ」
「はいはい」
十年も閉じられた都市。その間の食料やゴミなど、色々どうなっているかは分からない。でも金持ち達の事だ。何かかしら手を打って閉じているに決まっている。自分達だけ安全な場所にいるために。
若干の不自由はあるかもしれないけれど、それが安全との引き換えならば仕方がないと納得しているはずだ。
「開けるぞ」
師匠がノートパソコンに何やら術式を打ち込む。
すると自分の目の前に広がる鏡のような結界に五角形の穴が次々空きだした。私が考えていた大がかりな結界の全解除よりもよりずっと省エネで、穴のサイズもとても小さい。
流石は天才。安全面を考慮というのはこういう事なのか。
そして瞬く間に、人間一人ずつなら軽々と入れる穴が開いた。
これまで誰一人開けられなかった結界を壊せるなんて……。
「勘違いするなよ。この術式を作り上げたのは最近だからな。黙っていたわけじゃない」
「……うん」
こんなに簡単に開くなら何故今まで開けなかったのかと私が言う前に師匠が理由を言った。確かにこんな術式初めてで、今日の為に作っていたと言われてもおかしくはない。
師匠は私を犯罪者にしない為に色々してくれていたんだ。
「ありがとう……ございます」
「お前の為じゃない。俺の為だ。それで、どうする?」
素直じゃない師匠は結界の中を指さした。私はその言葉に頷く。
「勿論行きます。その為だけに生きて来たんだから」
「……そうか」
私は色々な装備が入ったリュックを背負いなおし、中へと進む。その後ろから師匠もついて来た。
そしてそこで――私は絶望を見た。
◇◆◇◆◇◆
結界の一部を破壊し中に入った日から、私は部屋の中に閉じこもった。
有給を消費して仕事も休み、部屋から出ていない。……何の為にこれから生きればいいのか分からなかくなった為だ。
結界の中はとても静かで――静かすぎた。
町は壊れた様子もなく、多分十年前とほぼ変わっていない。ただ一つ違うのは、人が誰も居なかった事だ。そう。誰も町の外にいなかった。
ゴーストタウン。
そんな状態の町を私は走った。
車なども路上で捨てられ、止まっている。中に人はいない。
店も開店したままだ。今は昼なのだから開店していてもおかしくない。でも、電力も通っていないようで、電球がともっていない薄暗い店はただただ不気味だった。
どこもかしこもそうだった。
特に酷いのがコンビニやスーパーだ。
黒く腐ったものがそのまま陳列してある。臭いなんてしない。乾燥してしまったそれらはもう十年もそのままだったようだ。そして不思議な事に虫一匹湧いていない。
ぞわりとはい上がる不快感。
言い知れぬ恐怖。それらを前に、私はひたすら記憶にある、実家へ走った。違う。きっと、どこかに隠れているだけだ。
そう自分に言い聞かせ。
そして実家は……十年前と何も変わっていなかった。ただ一つ、誰も人間がいないだけで。
まるで忽然と人間だけ消えてしまったかのように、衣服がリビングと廊下に落ちており、その上に埃が積もっていた。
使用人により毎日磨かれていたはずの室内には、衣服の上と同じように埃が積もっているが、蜘蛛の巣一つない。それはスーパーで見た光景そのままだ。人間だけではない。生き物の気配が何もないのだ。
私はその後どうしたのか分からない。正気を失い、泣き叫んだような気がする。気がするだけで、よく覚えていない。ただ師匠が私を家まで連れ帰り、各方面に連絡をした。
正気が戻り、ただぼんやりとした状態になったのは、あれから丸二日経った後だった。
結界の外にいた者たちで新しく立てた大統領はそれから一週間後に旧首都の状況を会見した。
結界内には生き残りは一人もいないと。
何故結界が突如現れ、内側にいた人がなくなったのかは、魔物が現れた事と密接なかかわりがあった。魔物が現れたのは幻想科学の一つの実験の失敗によるものだった。どうやら異界とこの世界にあった壁が壊れ、そこから魔物は出てきていたのだ。
そして都市には最も大きな穴が開き、そこから魔王獣と呼ぶ魔物より更に大きく強い者が現れようとしていた。このままではこの世界の生き物は全て駆逐されてしまうと考えた幻想科学者たちは、生き物の命というエネルギーを使って、空間の穴を塞ぐ事にした。ただし生き物の命は多量に必要で、世界の安寧と天秤にかけ、この国の首都の人口すべてを犠牲にする事を選んだのだ。
もしも失敗してしまった時を想定し結界をはり、研究者たちもまた、この世界を守るための人柱となった。
この多くの犠牲を伴う実験は結果的に成功。穴は塞がり、魔王獣が出てくることはなかった。
この事実が知られた事により、首都に住んでいた人は人々から恨まれた十年間から一転し、自分の命を犠牲にして世界を救った聖人たちと言われた。
そこに彼らの意志はなにもないけれど。
自らの命を犠牲にする事を知っていたのは研究者のみで、その研究者たちはそもそもこの世界に魔物をあふれさせた張本人で、自分の尻拭いをしたに過ぎないけれど。
それでも彼らが世界を守ったのだ。
「私は……」
私の復讐は不発に終わった。それどころか、復讐したい者に守られた者となった。それがたとえ、彼らの意思とは全く違ったとしても。
その現実は、私をひどく打ちのめした。
これから何をすればいいのかも分からない。
だって復讐だけを目標に生きていたのだ。他に何もない。
偶然でも助けられた私は、彼らを恨むことすら、周りはきっと不届き者だと言うだろう。今だって、彼らの功績をたたえる石碑を立てようという話となっている。
なら、私の苦しみは?
復讐しても幸せになれないと人はいう。でもそれが私にとって目標で区切りで……スッキリしなくても、復讐さえすれば次に進めると思ったのだ。
生きる理由が見つからない。
今から、自分の為に生きろと言われても、何もない。ただいままで通り、魔物を倒し、人の警護をしていく事だって出来るはずなのに……その気力がわかない。
「おい、入るぞ!」
突然玄関があけられたかと思うと、どかどか足音を立てて師匠が入って来た。玄関には結界がはってあったはずだけど、師匠なら簡単に解除もできるだろう。
「一週間も休みやがって。お前がいないと仕事にならねえんだよ」
そう文句を言うのは師匠の優しさだ。
五年前ならいざ知らず、今では皆師匠の実力を知っていて、彼の命令を聞かないなんて事はない。だから中卒でしかない私がいなくても、仕事は回っていく。
「……ごめん。もう、無理。仕事も辞める」
「辞めてどうするんだよ」
どうするのだろう。
分からないけれど、今の仕事は無理だ。復讐の為に頑張りすぎて……分からなくなってしまった。こんなことでは、危険な現場に出れば一瞬で魔物に殺される。別に死んでもいい気がするけれど、それは一緒に仕事をしている人も危険にさらす行為だ。絶対したくない。
……ああ。でも、死ぬのはいいかも。
なんだか……本当に、疲れてしまった。
「復讐、手伝ってやるって言ったら、もう一回立ち上がれるのか?」
「手伝うって……相手もいないのに、どうしろって言うの?!」
もう、いないのだ。
どれだけ文句を言いたくても、殴りたくても、ざまあとか言って嘲りたくても。
居ない相手に何もできない。
「それとも私が立派になれば復讐になるとかそういう精神論的な話?!」
「ああ。そういう方法もあるか。でも、それでも納得いかないんだろ? 将来的にそれで癒えるのかもしれないけど、相手がいないんじゃ、今立ち上がれないんだよな? でも俺はお前に、今ここで倒れて欲しくない」
師匠の言葉に、私はしぶしぶ頷いた。その通りだったからだ。
もしかしたらこの先長い時間をかければ、復讐を忘れられるかもしれない。でも今の私には必要だったのだ。
「【逆行】って言葉、聞いた事があるか?」
「……ぎゃっこう?」
「過去に戻ってやり直すという概念だ。ただし元あった時間は消える。仲良くなった奴ももう一度初めましてで、また仲良くなれるとも限らない。この世界の選択肢は無限にあって、ちょっとした差異が将来的に大きな差異に変わる事もある」
「ちょっとした差異?」
「そうだな。例えばコンビニで肉まんを買うつもりだったけれど、逆行したお前はあんまんを買う事にした。そのあんまんはそれで売り切れた。本来の世界で買う相手はそのあんまんを手に入れられず、何も買わなかった。でも本来の時間ではあんまんを買った人は、そのあんまんがあまりに熱くて火傷してしまい病院に行く羽目になっていた。その病院で当時看護師をしていた妻と出会うのだけれど、その出会いが消えてしまう。そして彼らが出会わなかったために結婚もなくなり、二人の間に生まれる予定だった子供が生まれないという具合だな」
……たとえ話が凄く馬鹿馬鹿しいところから、とんでもない着地点にたどり着いた。
でもそういう事なのか。例えば私が十年前に何かをやった出来事を全て完璧に同じ事ができるかと言われれば、絶対無理だ。全く覚えていないのだから。だから未来は同じ場所にたどり着かない可能性が高い。未来で起こる出来事を知っていればなおさらだ。
「それでも、逆行、したいか?」
できるの? と聞くのは愚問だ。できるから、師匠は言っている。
できなければこんな事言うはずもない。
「逆行したい。復讐を遂げる為に、あのクソ家族を助けたい」
復讐をする為に助けたいなん矛盾しているけれど、でも、私はもう一度歩き出す為にとても必要な事だった。
「分かった。ただし、約束しろ。逆行したら、真っ先に俺に会いに来い」
「師匠に?」
「10年前だからな。俺はまだ5歳で、いくら天才でも身動きが取れない事も多いんだよ」
「なるほど」
「というわけで、お前の婚約者にしろ」
……ん?
婚約者?
「はあ?!」
「お前、前妻の娘とはいえ、いいところの娘だろ。俺も親が子供の勉強にものすごく力を入れられる程度に裕福な家庭出身だ。魔物が出る前の世界だったら、金持ち同士なら幼少期に婚約関係を結んでいたって可笑しくないだろ?」
「いや、まあ。言われてみるとそうだけど」
今は養護施設育ちなので、婚約者が幼少期からいるなんてあり得ないという認識だ。でも元々は別に変でも何でもなかった。女性の方が年上と言うのは、多少珍しいが、5歳差なんて全然問題ない。
「どうする? それを呑むなら、復讐を手伝ってやる」
「……師匠は、私と婚約してもいいわけ?」
「別に。嫌だったら、そんな提案しない。俺は、お前に死なれたくないんだ。逆行するなら、それが条件だ」
私は師匠の言葉に頷いた。
「する。私は、師匠と婚約する。だから、復讐を手伝って!」
こうして、私は復讐を遂げる為の逆行をする為に、師匠と契約をしたのだった。
◇◆◇◆◇◆
――間に合った。
俺は俺との婚約を承諾した年上の弟子を見てほっとした。
それはようやく、俺の目的が果たせた瞬間だったからだ。
俺は既に逆行をして、二度目の世界軸にいる。一度目の世界軸では、この不肖の弟子はあろうことか復讐に失敗した事により、自死を選びやがった。
ずっと、ずっと、ずっと、俺は愛していたのに。
復讐だけを目的として生きていた弟子は、俺の想いなんて全く気が付かなかった。
彼女はある日会社を一方的に辞めて、慌てて俺が見に行けば、アパートで首をつっていた。そう。一回目の世界軸での彼女は、結局復讐以外何もなかったのだ。
俺も復讐を遂げればきっと自分を見てくれる余裕も出るだろうと思っていた。でも復讐ができなくなった瞬間、彼女は心のバランスを崩したのだ。
俺は嘆いた。
もっと早く、彼女をひっぱたいても復讐を止めさせていれば。
そう思った時期もあったが、でも彼女がギリギリで生きていられたのは、結局は復讐という目的があったからだ。ひっぱたいた所で、逆に心のバランスを崩してしまう可能性が高い。
結局は、彼女はクソな家族に囚われ続けている。
だから今度こそ、俺は彼女に復讐を遂げさせてやろうと思い、研究を続けて、逆行という方法にたどり着いた。しかし逆行しても、問題点があった。事件が起こった当時、俺は5歳。大人の知識があったとしても、何もできない。
結局は同じ行動を繰り返し、彼女と仕事場で再会することになった。といっても再会しているという認識は俺だけで、彼女は初めましてだ。
だから彼女に前よりも好意を持ってもらえるよう、信頼してもらえるように動いた。それでもやはり復讐に囚われた彼女は、やはり恋愛などする心の余裕はなかった。
そして再び彼女の心のバランスを崩すタイミングが来てしまった。
でも今回は【逆行】という方法を俺は知っていて、更に彼女が死ぬ前のタイミングを知っている。正直、行く前に自殺してしまわないかとひやひやしたけどな。
でも俺は賭けに勝った。
次は逆行した彼女と共に、幻想科学者の実験を妨害してやればいい。それが上手くいかなくても、結界をはって都市封鎖するのだけは阻止してやる。
5歳で何ができるか分からないけれど、でも絶対、今度こそ彼女の心を助ける。
「さあ、もう一度やり直そうか、婚約者殿」
俺は逆行をする為に、パソコンのEnterボタンを押し、術式を展開した。