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そして迎えた、フィルとのデート初日。
色んな人に頭を下げてどうにかこうにか休日をもぎ取り、私はエマ様の屋敷を訪ねていた。
「お洋服ーお洋服! セシリー様に似合うお洋服!」
歌を歌いながら、エマ様は服を選んでくれる。
「ねえねえビっちゃん! どの服がいいかな?」
彼女はポシェットに入ったウサギに声をかける。
だけど、ビっちゃんはめんどくさそうに耳を伏せてそっぽを向く。
「もう、ビっちゃんったら。わたくしの召喚獣なのに、どうしてこうもいうことを聞いてくださらないのでしょうか。わたくしがもっと優れた召喚士だったら言うことを聞くのに」
ぷくりと頬を膨らませるが、すぐに諦めがついたらしく、またニコニコと微笑む。
「今日はどこに行くか分からないですし、動きやすい格好にしておきますね!」
水色のロングスカートに、半そでブラウスの白と、夏が近づきつつあるこの時期によく見かける恰好にしてもらった。
「どうですかセシリー様。よく似合っていますよ」
部屋にある姿鏡を見せてもらう。
確かに服は爽やかで大人っぽい。多少動き回るにしても、これならそこまで苦にはならない。さすがエマ様なだけある。
だけど着ているのが私というだけで、どうしても安く見えてしまう。
(やっぱ服が良くても顔がこれじゃあね……)
なんて思いつつ、私は「そうですね。ありがとうございます」と礼をいう。
「こちらこそです! それと、魔法道具の宝石をご用意してっと」
持ってきてもらった布の袋に宝石をいれると、エマ様は「ようし」といってうでまくりをして、ポシェットのなかですやすや眠る白ウサギの体を軽く叩く。
「さっそく魔法をおかけしますね。ビっちゃん! お願い!」
白ウサギことビっちゃんは気だるそうに両手をポンポンと叩く。
すると白い光がビっちゃんの手の上に現れた。ビっちゃんはこれまためんどくさそうに光の玉をエマ様にひょいと投げる。
「よしっ! ありがとう!」
エマ様の指先が光る玉に触れると、玉は光輝き、一本の長い杖となる。
彼女の背丈より少し低いくらいの長さまで変じると、光は弾くように消え去り、そこには一本の杖が現れた。
これが彼女の杖らしい。正確にいうと学校指定の杖だ。低学年の生徒は皆これで練習し、高学年になると各々に合う杖で勉強をすることになっている。
エマ様には少々長すぎて重すぎるようで、杖に振り回されながら私に杖を向ける。
「ではでは、魔法をお掛けしますね!」
深呼吸をし、エマ様は詠唱をはじめる。
「『水よ水 ゆらゆら漂う水鏡
私の願いを映したまえ
その姿を変えたまえ』!」
エマちゃんが握っていた杖から、青の光が発たれた。
光は私に触れると水となり、身体を包み込む。
(うっ、二回目だけど慣れないな)
水は時にはゼリーのようにプニプニと、時には電気風呂に入っているかのようにチリチリと肌を刺激し続ける。その感覚がどうにも気持ちが悪くて気持ち悪くて仕方ない。
早く終われと祈りながら固く目をつぶること、数十秒後。
風呂の栓を抜いたときのように徐々に水がひけていき、足元まで水の感触がなくなると目を開ける。
視界に入っていたのはエマ様だ。彼女は私を足の先から頭のてっぺんまで眺めて、満足そうに頷く。
「成功です! 完璧に変装できていますよ!」
私も一応確認しようと、部屋にある鏡をちらりと見る。
そこには、女性の私でも感嘆してしまうほどの美人が立っていた。さっき着せてくれた服もマッチして、惚れ惚れとしてしまう。
(本当に綺麗よねえ……。普段の私とは大違い)
この姿が夜空に輝く星と例えるなら、いつもの私は廊下の端にたまる埃だ。そうに違いない。
「ではセシリー様、さっそくデート場所に向かいましょう! あ、その前に、宝石を持ち出すことをメイドさんたちに言い忘れていましたので、報告してきますね」
「ええ。急がなくても大丈夫ですからね」
「はい!」」
元気よく答えてつつ、小走りで部屋を去っていった。
(エマ様ったら。転ばないといいけど)
とことこ走るエマ様を想像すると、なんだか微笑ましい気持ちになる。
これがうちのご主人様だと、何か物を壊さないかとか、窓を突き破らないかとか、もしかしたら壁をぶち抜くかもしれないと怯えるというのに。
(まさに、信頼の差ね)
一人でそう思って、一人でくすりと笑う。
気持ちも明るくなったことだし、エマ様が帰ってくるまでフィルとのお出かけについて考えておこう。
(時間は夕方の一七時。夕食をどこかで食べて、どこか散策して解散って流れよね)
最初ということもあり、夕食を食べる場所や散策場所は前もって決めていない。向こうが用意してくれるかもしれないからだ。
ただ、だからといって何も準備していないわけではない。候補的なものはエマ様が用意をしてくれている。その先でどういう行動をするのかも、どういうスキンシップをするのかも、エマ様が全て用意してくれているから、大丈夫だろう。
(……ちょっと待って。私、もしかしてエマ様におんぶにだっこじゃ……?)
……じ、次回からは自分で考えるようにしてみよう。
「本当、エマ様に頭を向けて眠れないわね……」
自分のふがいなさに胸まで痛くなってきた。
ジンジンと、息ができなくなるかのように。
(……あ、あれ?)
いや、違う。
できなくなるようではない。
(い、息が、できない……!?)
胸をおさえてしゃがみこむ。
必死に呼吸をしようとしても、うまくいかない。
(くっ……!)
無我夢中で胸を叩く。
(まずい、どうして急に……!)
今日の行動を追ってみても、変なことは何もしてない。体調だっていつもよりも良かったのに。
そうこうしているうちに意識がだんだんと遠ざかってくる。
(これは本当にまずい……っ、誰かに助けを求めないと……エマ様っ)
声は出せないなら物音でっ!
傍にあった鏡が目に入る。
(ごめんなさい、エマ様っ)
鏡を倒そうと手を伸ばした、次の瞬間。
「……ごほっごほごほっ! はあ、はあ……」
短い咳の後、いつものように肺に空気が入る。
(あ……れ?)
じっと固まっていたが、その後も息ができなくなることはない。まるで先ほどのことが白昼夢であったかのように元通りになった。
「なんだったのかしら」
私は呆然とその場にうずくまっていると、扉が開いた。
「セシリー様! 遅くなりました! 行きま……あれ? どうしたのですか? そんなところに座って」
「え、エマ様、あのっ」
先ほどのことを言おうとした、が。
「わわっ、もうこんな時間! セシリー様、最初のデートは三十分前にはついていないといけませんよ!! ささ、早く行きましょう!」
「は、はい」
慌てるエマ様に急かされてバタバタと準備をする。その間、さっきのように息がつまることもなく、普通に動き回ることができた。
(なんだったのかしら……。疲れ? それとも魔法にかかるときって、こうなるものなのかな)
結局、一時的な不調だろうとそのときは納得してしまった。