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翌日の朝。私はエマ様を屋敷に招き、ことの詳細を説明する。私の話を聞いていたエマ様は、おそるおそる尋ねる。
「それで、どうお答えしましたか」
「フィルの誘いに乗りました。他の女性と関わるよりは、彼の身を守れると思いまして。……ですけど、これでよかったのでしょうか……」
「多分……。すみません。フィル様のお話にびっくりしてしまって、どう考えていいかわからなくなってしまいました……」
「私、彼のことは何でも分かっているって思っていました。ですけど、彼も色んなことを抱えて、悩みに悩んでいたんですね」
女遊びなんて汚らわしい。別れた女性が可哀そうだ。
そんな風に彼を責めていたし、軽蔑もしていた。
だけど、真実は違っていた。
彼は真摯に彼女に尽くしていて。
それなのにフィルが捧げる愛を否定され続けていたのだ。
彼がこんなに苦しんでいたというのに、私ときたら……。
「フィル様がご主人様の占いを信じなかったのも、そのせいかもしれませんね」
「え?」
「ご自身の命を奪いたいと思ってくれるような女性なんているわけないって、そう思っていらっしゃっているから信じなかったのかもしれません」
「……そうかもしれませんね」
つい、私はしんみりしてしまう。
そんな空気を壊してくれようとしたのか、エマ様は明るい声で言う。
「それでは、わたくしとセシリー様が協力して、フィル様に『好き』と感じてもらえるように頑張りましょう!」
「ええ!? さすがに難しいと思いますよ。それに、億が一にも好きになってくれたとしても、ずっと変装しているわけにはいきませんから結局別れることになりますし……」
「そこはビシっと正体をばらしてしまいましょう!」
「ばらすのですか!?」
「はい! 真実の愛に気づいたフィル様は、陰ながら支えてくれていたセシリー様に恋をして、そして二人は見事結ばれる! みたいなっ!」
「いやー……」
好きになった相手が私だったと知ったら、百年の恋だって億年の恋だって冷めてしまう気がする。
(だけど、もし、もしできるなら、フィルが『好き』を分かるきっかけづくりになれたらいいな……)
例え変装後とはいえ、中身は変わらず私でしかないからフィルは私のことをきっと……いや、絶対好きになってくれやしない。
だけど、私の存在が『好き』を知るきっかけになってくれたのならば。
本当に好きになれる女性と出会って、結婚して、幸せな家庭を築いてほしい。そんなフィルの姿を側で見守っていきたい。
それがフィルの姉として最後にできることなのではないか。
そう思うと、及び腰だった気持ちに火がつく。
「……よし、私も頑張ります。エマ様にはご迷惑をお掛けしてしまいますが、よろしくお願いします」
「任せてください!」
彼女は胸を張る。
その後、エマ様と私は今後の作戦についてせっせと話し合いを始めた。
○○○
ナディーヌ様はまさに波乱万丈、普通とかけ離れたお方である。しかし、彼女の住んでいる屋敷は一般的な貴族の屋敷とそこまでそん色はない。それはそうで、屋敷の家具をそろえたのは僕ことフィルとセシリーだからだ。
そういうわけで、食堂たるこの部屋も他の屋敷とあまり変わりがない。部屋の中央にはドンっと長いテーブルが置かれていて、椅子がひたすら並んである。
こんなに席があるなら広々と使えばいいのに、ナディーヌ様とエマ様は隣り合った席に座って食事を食べていた。
「あら、このお肉美味しいですわ!」
ステーキを口にして、エマ様は嬉しそうにほほ笑む。
「さすがフィル様なだけありますね!」
「いえ、とんでもございません」
丁重に礼をする。エマ様も食事をとるのは分かっていたので、いい食材を市場から調達していたし、仕込みも入念に行っていたので、そういってもらえると結構嬉しい。
だがしかし、うちのご主人様であるナディーヌ様は不満そうに唇を尖らす。
「もう、エマちゃんったら。フィルを甘やかしちゃ駄目だよ!」
「え? それはどういうことですか」
「ふふっ、つまり、油はのっているけど魂はのってないってやつよ!」
「たましい……? それは何かの食材なんですか」
僕はちょっとうんざりしながら答える。
勿論、僕をうんざりさせたのはエマ様ではない。ナディーヌ様だ。
「いえ、ありません。ナディーヌ様、また食事がおいしくないとおっしゃるつもりですか」
「そうそうっ! セシリーと喧嘩したでしょ。仲直りしなくちゃ駄目だよ?」
「セシリー様? セシリー様とご飯に何か関係があるんですか?」
「あるある! おおあり! なんだって、魂は魔法のおおもとなんだからっ!」
ナディーヌ様は自信満々でそう言い放つ。
(まーた訳の分らないこと言って……)
僕はナディーヌ様にばれないようにため息をつく。
実はこんな風に堂々としたクレームがご主人様からつくのは、今回が初めてではない。
セシリーとそれなりに大きな喧嘩をした後、ナディーヌ様に料理を出すと必ず「今日のメニューはおいしくなかった」「仲直りしなさい」なんて文句をつけてくるのだ。
だが、コック長として言わせてもらうと、セシリーと喧嘩した程度で料理に手を抜くことなんてしない。今回だって自分の舌で確かめ、念のために他のコックにも味見をさせて問題なかったから出している。味はいつもとは変わりがないはずだというのに、ナディーヌ様曰く「全く違う! 全然違う! 雲泥の差ってやつ!」らしい。
どこがどう違うのかはしっかりと言語化してくれというと、さっきのとおり『魂は魔法のおおもと』だというだけで話にもならないのだ。
きっとナディーヌ様のことだ。あまり考えずにしゃべっているのだろう。そう思って放っておけばいいのに、エマ様は首をひねってナディーヌ様の言葉を必死に解釈していた。
「えーっと、魂は魔法のおおもとというのは、魔法の発生原理の話ですよね? 魔法と呼ばれる力は、魂の力と自然の力を合わせてできたもの、でしたよね」
「え? そうなの?」
「はい! 魂の力は非魔法使いもありますが、自然の力と組み合わせる技術は魔法使いにしかできない、でしたよね!」
「へえ、そうなんだ」
ナディーヌ様はいかにも初耳といた様子で感心している。……おそらく本当に初耳なのだろう。もし僕がエマ様だったら呆れて弟子入り契約を破棄させてもらうが、エマ様は特にそんなことは思った様子もなく、得意げに言う。
「本来、魂の力だけを体外に出すことはできませんが、強い思いがあれば外の世界にも影響を及ぼします。つまり、フィル様は真剣に料理をなさっていますから、魂の力が料理にこもっている、そういうことですね!」
「ふっふっふ……。さすがエマちゃん。その通りだよ!」
「いやあ、ナディーヌ様の教え方がいいからですよ」
(……いや、エマ様の地頭がいいからでしょうに)
冷めた目で見ていたのは僕だけで、ナディーヌ様とエマ様は中良さそうに笑いあっている。
「……デザートを持ってきますね」
二人ともメインの食事が終わりそうだったし、それにさっさとこの場所から離れてしまいたい。
僕は食堂から出て、キッチンに向かったが、食堂とキッチンはすぐ隣にあるので、数秒でついてしまった。
(すぐ戻るのもなんだしな。アイスクリームを出そうと思っていたけど、もう少し手をくわえようか)
アイスクリームにあったかいチョコットソースとコーンブレイクをかける。クリームを上につけると、ミニパフェ風のデザートの完成だ。
(念のために二つ用意しておいたけど、ナディーヌ様はまた『おいしくない』っていうんだろうな)
気にしないようにするが、やっぱり料理人として美味しくないと言われるとちょっとショックをうける。しかも訳の分らない理由となると、努力の仕様がない。
どうせ時が経てばまた何も言わなくなる。それまでのらりくらりと過ごすしかない。
諦めを胸に抱きつつデザートを持っていこうとすると、キッチンの表口から誰かが入ってきた。食堂と直接つながっている扉はキッチンの裏口なので、ナディーヌ様やエマ様以外ではないだろう。
誰だろうかとそちらをみると、
「あっ」
そこにいたのはセシリーだった。
「……何の御用でしょうか」
ついつい声が冷たくなってしまった。いつもならそれだけでもセシリーは顔をしかめる。どうせ今回もそうだろうと思い、セシリーをちらりと見てみる。
だが、セシリーは、
にっこりと、微笑んでいた。
「よかった、こちらにいらっしゃったんですね! 昨日のケーキですが、他のメイドたちがおいしいっていっていました。私もいただきましたけどおいしかったです。御裾分け、感謝しています」
「……え? あ、はい……」
「それだけ言いたかっただけです。それでは」
それだけ言って、セシリーは鼻歌でもうたうような雰囲気でキッチンから出ていった。
(……え? それだけ言いに来たのか?)
それに、ずいぶん機嫌がよさそうだった。
どうしてだろうか? 何かいいことでもあったのか……?
(そういえば、昨日の夜セシリーも用事があるとかいってすぐに帰ったといっていたな)
彼女は勤務が終わった後も忙しく動き回る。だから退勤時間そうそう帰るなんて珍しいと、他のメイドたちが囁いていた。「もしかして恋人ができたのかしら!」なんて色めき立っていた。
(恋人……。いや、セシリーに限ってそれはないだろう)
休み中にいいことでもあったのだろう。どうせ汚れを綺麗にとれる薬剤を発見しただとか、そこらへんだろう。あの人は根っからの仕事人だし。
ひとまずさっさとデザートを運ばなくては。僕は食堂に急いで戻り、二人に軽く会釈をする、
「本日のデザートです」
「わあ! パフェですね! いただきますっ!」
エマ様は満面の笑みで「おいしい! あまい!」といって無邪気にはしゃぐ。
一方のナディーヌ様はというと、
「……ん? あれ? セシリーと仲直りしたの?」
ナディーヌ様は不思議そうに首を傾げる。
「え? いえ、していませんが……?」
「ふーん? ……まあいっか」
ナディーヌ様はアイスをすくうと、ぱくりと口に入れてにっこりと笑った。
「ん! おいしい!」