7
会場からかなり離れた人気のない廊下で、ようやく足を止める。
「あーもう、こんなんじゃ絶対駄目よね!? 終わりよね!?」
失礼なことをされたとはいえ、大声で怒鳴るなんて淑女としてあるまじき行為!
《エマ様ごめんなさい、こんな丁寧に変装させてもらったのに!》
エマ様の声が聞こえた瞬間に言葉をまくしたてる、が。、
《はい、こんばんは! こちらエマです。唯今、諸事情にて席を外しております。しばらくお待ちいただくか、再度かけなおしのほど、よろしくお願いします》
「あっ、はい、分かりました」
思わず馬鹿正直な返事をする。
(諸事情……? お手洗いかしら)
エマ様は真っ赤なルビーの宝石越しに私の連絡を受け取っている。持ち運びはしやすいものの、さすがにお手洗いの時には持っていきたくないだろう。
(後で連絡を入れて、もう帰ってしまおうかしら。ここからフィルを魅了するなんてできるわけないし)
それだったらもっと食事をとればよかった。
(最後に飲んだお酒は本当においしくなかったし。口直しに飲み物でも買おうかしら)
それなら出入り口まで戻らないといけないが、人がいない道を選んで進んでいたせいで、今いる場所がどこなのかもわからない。
(来た道を戻りましょう。誰にも見られないといいけど)
踵を返して戻ろうとするが、
(ん……?)
一瞬、胸の奥に鋭い痛みを感じる。心臓をつかまれる痛みに違和感を覚え、胸元に手を持っていったそのとき。
(あっ)
なぜか、膝から崩れ落ちる。
(え、ちょ、)
立とうとするが力が入らない。ついには座ることもできなくなり、冷たい床の上に倒れてしまう。
(なに、これ)
おかしい。急にこんなことになるなんてありえない。
(病気……? いや、最近体調よかったから違うよね。……もしかして、魔法のせい……?)
変装する前、エマ様がこう忠告してきた。
「そういえばセシリー様。魔法アレルギーはありますか」
「? なんでしょうか、それ」
「非魔法使いのごく一部の方が持っているらしいです。その方に魔法をかけてしまうと体に不調が起きてしまうとのことです。私も詳しくは分かりませんが……」
「うーん。おそらく大丈夫だと思います。普通に生活できていますから」
「それなら大丈夫ですね。では、変装魔法をかけさせていただきますね!」
その時はよく分からず、ふわふわとした回答をしてしまったが、
(……まさか、これってそのアレルギー……!)
早くエマ様に連絡しなければ。
そう思って宝石を握ろうとするが、力が入らずに手は空を切る。
それなら大声でも出して助けを求めようとするも、強烈な眠気が襲ってきて口さえも開けられない。
私の意志に反して、瞼が段々とおちていく。
(まずい、ここだと、誰にも見つからないかもしれないのに)
あらがおうとするも強烈な睡魔には勝てない。意識がだんだんと遠くなり、黒く塗りつぶされ、そして、
(……っ)
突然、刺激がする匂いがただよってきた。
「んっ」
ミントとよく分からない香辛料を混ぜたような嫌な匂いに、思わず目を顰める。逃れようと身じろぎして、はっと気づく。
(あれ、私動けるようになってる!)
気が付くと全身を襲っていただるさがなくなっていき、意識もしっかりしていく。
それと同時に、私の身体が暖かい何かに包まれているのに気が付いた。
(誰……)
眼を開いて顔を上げると、
「気が付きましたか?」
フィルが、そこにいた。
「ふぇええ!!?? え、え、えっ!? フィ、フィル!?」
思わず飛びのこうとするが、立ち上がれずに崩れ落ちてしまった。
「おっと。無理しないでください」
フィルは私を支えると、壁の方に座らせる。
「さっきまで魔法がかかっていたのですから」
「魔法……まさか本当に魔法のせいで!」
「気付いていましたか。ドラゴン仮面の男が、あなたに魔法薬を盛っていたことを」
「……へ?」
魔法薬……。魔法薬?
眼をぱちくりさせていると、フィルは苦笑する。
「ああ、気づいていなかったんですね。実は彼、かなりやんちゃさんでして。気に入らない人や気に入った人に薬を盛っていると噂されているのです」
「それでは、先ほど私が倒れてしまったのも……」
「おそらく薬のせいかと。それで気付け薬を使わせていただきました」
「ああ、そうでしたか……」
とにかく、今すぐ命の危機に陥るような病気ではなったらしい。
私はほっとして、彼にぺこりと頭を下げる。
「助けてくださってありがとうございます」
「いえ、あなたが無事でよかったです。階段で気を失っていないか心配していました。薬を盛った本人は会場でうろたえていて、あなたを探しに行こうともしていませんでしたから」
「ああ……。そうですか」
確かに階段やらベランダやらで気を失っていたら危なかっただろう。なんて考えていると、フィルはくすりと笑う。
「それにしても、先ほどのあなたはかっこよかったですね。ドラゴン仮面の彼に啖呵を切っていて。意外と武闘派ですか?」
「うっ……。あれは、そのー」
ここで、『腹が立ったからやっちゃいました』なんていったら、ただただ感情をコントロールできない人だと思われてしまう。
(なんとか、清楚っぽく答えないとっ!)
だが、何と言い訳しようか全く思い付かない。考えに考えて、捻りに捻って、私は小さな声で言う。
「い、いつもはもう少しおしとやかでして……」
「へえ、いつもはあんな風に怒らないと」
「ええ……」
(どうかしら、だ、騙せたかしら……?)
おそるおそるフィルを見上げると、彼はプルプルと震えている。笑いをこらえていると気づいたとき、フィルは吹き出して笑いはじめる。
「ふっ、ふふっ、変な嘘つくね君。そんな嘘ならつかない方がまだましだよ。はははっ、」
ツボにでも入ったのか、無邪気にコロコロと笑う。
私はバツが悪くてそっぽを向く。
「そんなに笑わないでください。……す、少し嘘ついてしまいましたけど、普段からあそこまで怒りません。あんなに怒ったのは、」
「仮面のために、でしょ? 大丈夫。君を責めるつもりはないよ。むしろ僕は憧れちゃったんだし」
フィルは嘘偽りのない笑みで言う。
「大切なもののために怒れる君は、とっても素敵だと思うよ」
その笑顔は暖かくて、心地よくて、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような気がして。
「……」
きれいだと、思ってしまった。
(な、なに考えてるんだろう私!? お、落ち着いて、おちつくのよ。そ、そういえば壊れちゃった仮面の破片はなくしてないよね)
ポケットを探ると、ちゃんと破片はあった。ほっとして半分になった仮面も探す。
……が、見つからない。
「あ、あれ」
「どうかしたの?」
「いえ、仮面のもう一方がなくて……って、ああ!」
私はさっと血の気が引いてしまった。
「か、仮面がっ!」
転んだ拍子に持っていた仮面を落としてしまったのだろう、床に落ちた片半分の仮面は無惨にも三等分になってしまっていた。
「ああ、ほんとうだ。ごめん、気づかなかった」
「いえ、落としちゃったわたしが悪いんですから。うう……」
これではどう頑張っても直せやしない。
しょんぼりとしていると、フィルが仮面の破片をじっと見つめる。
「その、君が良ければなんだけどさ。この仮面を少し預かってもいいかな」
「え?」
「僕の知り合いに、こういうのを直すのが得意な人がいるんだ。ちょっと頼んでみるよ」
「ですけど、それだとご迷惑をお掛けしてしまいますし」
「気にしなくてもいいよ。これもまた巡り合いだからね」
そういって、フィルはにこりとほほえんだ。
「……それでは、よろしくお願いします」
「うん。ちょっと時間はかかるかもしれないけど。そうだ、連絡先だけ教えてくれる?」
「連絡先……。連絡先……。えーっと、」
本当の連絡先はいえない。なんだって、私の住んでいる場所はフィルと同じでナディーヌ様のお屋敷だからだ。さすがにいえない。さすがにばれる。
「そのー、な、内緒なんです。ですから、フィルさんの連絡先を教えていただけませんか」
「僕の?」
「ええ。ちょうど良さそうなタイミングで連絡しますから」
「うん、オッケー。そうしようっか」
フィルはあっさり頷いて、連絡先ををおしえてくれる。もらったメモにはナディーヌ様の屋敷の住所と、フィルの所属と役職が書いてあった。
「……あの、頼んだ私が言うのもなんですが、そうひょいひょい連絡先を渡したも大丈夫なんですか」
素性も明かせない人なんて相当危ない気がするのだが……?
しかし、フィルは思い悩むそぶりも見せず、ニコッと笑います。
「まあね。多分、君は僕のことを知ってると思ってたからね」
「え?」
「さっきから教えてもないのに僕の名前呼んでいたし。それに、その住所と所属をみても驚いてないみたいだからね。普通は驚くものだよ。僕が使用人でコック長なんだって分かると」
「……」
一瞬で私は青ざめた。そういえば話す内容を考えすぎていて、うっかり彼の名前を呼んでしまっていたような気がする。
「え、えーっと、そのー、こ、小耳にはさんだ、とか?」
何とか誤魔化そうとするが、フィルは苦笑する。
「はい、ダウト。君ってさ、嘘つくのすごく下手くそだよね。大体、もし本当ならそんなにおどおどしないって。それで? 本当の理由は?」
「……えっと、そのー」
ど、どうしようか。さすがに「あなたのことを誘惑するためにー」なんて言えないし……。
「ひ、秘密とか?」
「うーん。いつもならそれでもいいけど、とある人に『女性には気を付けてね』って言われたから、警戒しておきたいんだ。君には悪いけど是非とも聞かせて?」
「……」
なるほど、フィルもフィルで『どきどき! ナディーヌ様占い』の結果を一応は気にしているようだ。
(だったらここに来なきゃいいのに!! どうしてこういうときだけ占いを気にするのよ!)
どんなに心のなかで不平不満をいったところで状況は変わらず、逃げ場なんてなかろう。
(ええいもう! どうにでもなれ!)
私は何も考えずに答える。
「あなたを誘惑するためですよ!!」
「……ゆうわく……誘惑? え?なんで?どうして?」
「あなたを想って、誘惑しているだけですっ!」
これなら嘘偽りもない。
どうだと胸を張っていると、ぽかんとしていたフィルは吹き出す。
「そっか、そうなんだ。ふうん、僕を想って、ねえ」
「ええ!」
「ということは、君は僕のことを好いているってことね」
「す、す、す、好いてる!?」
いやまあ、好きか嫌いかといったら……すっ……
「き、嫌いではない!! 嫌いではないです!!」
「大丈夫? 顔、真っ赤だよ」
「ま、真っ赤なんかではないです!!」
「ふふっ、そっか、好きなんだねえ、僕のことが」
「いやですから、私はっ!」
「じゃあさ、賭けをしない?」
「……か、賭け……?」
「うん、賭け」
途端、彼はまじめな表情に変わる。
「僕さ、悩みがあるんだ。何年もずっと悩んでいること」
なんだなんだ突然。
私もつい真面目に聞く姿勢になる。
「……実はさ、僕」
一拍置いて、フィルはいう。
「人をさ、好きになったことがないんだ」
「……え? ですけどフィルさんって」
「女好きっていわれているね。実際のところ、付き合ってくれる女性はたくさんいてくれる。彼女たちは僕のことを大切に思ってくれるし、僕だって僕なりに大切に思っているつもりだったんだ。……だけど、いつも向こうから別れを告げられるんだ。同じような台詞を言ってね」
「……どんな、お言葉をかけられるのですか」
「……『私はあなたのことを愛している。だけど、あなたは私のことを愛してくれない』。大体そんな感じのことを言われる。僕はしっかりと愛していると、彼女たちに伝えているはずなのに」
「……」
思ってもみなかった。
フィルがこんなに悩んでいることがあるなんて。
それも、私から見るとうまくできているように思っていた、女性関係で。
「だからさ、賭け。君が許す限り、僕を好きなように使ってもらっても構わない。嫌になったら別れてもいい。仕事しているから完全には自由になれないけど、出来る限り君が会いたいといったら会いに行く。だから、」
彼は笑う。
寂しそうに、笑う。
「僕に、『好き』を教えてほしいんだ」