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私は胸元の宝石をぎゅっと握りしめて、エマ様に助けを求める。
《エマ様!! コック長の奴、全然こっちきません!!》
《なっ! そうなのですか!》
エマ様の驚いた声が脳内に響く。
《お、おかしいですね。フィル様なら綺麗な女性を連れてきたらすぐに近づいてくると思ったのですが……。もしかして、わたくしの変身魔法がうまくできていないとかっ!》
《いえいえ、魔法はしっかりきいていますよ!……そうでなければ、こんなに男性に話しかけることもないですし》
「ねえ、君、お名前はなんていうの?」「ここの学生?」「彼氏はいるの?」「どこに住んでいるの?」
怒涛の質問攻撃を懸命に答えていく。
「リリーと申します」「いいえ、友人がここの学生でして」「彼氏はいません」「……西の国境あたりです」
時としてエマ様と打ち合わせていた内容を、時として宝石ごしのエマ様に助言を求め、どうにかこうにかやりすごす。
こんなに一生懸命やっているというのに、肝心のフィルはかなり遠くで女性たちと楽しくおしゃべりをしているのだ。
(くっ! 近づいてもこないなんて……!)
元々の作戦では、こうなっていた。
1、私がエマ様の魔法で華麗に変身
2、魔法道具の一種であるエメラルド(通信機能付き)を使って、エマ様が私の様子を聞けるようにする
3、変装後の私に惚れたフィルが尻尾を振って近づいてくる
4、私と、宝石越しのエマ様が協力して彼を魅了する
5、彼から告白されたときに私の正体をばらし、「誘惑されたんだから、約束通り言うことを聞きなさい」といって、屋敷から出ないようにする
作戦をエマ様から告げられた時、私は不安でいっぱいだった。
特に4のフィルを誘惑するなんて、自分にはできないのではないかと、エマ様の力を借りたとしても難しいのではないかと、かなり弱気になっていた。
が、前段階ですでにつまづいてしまった。
エマ様もさすがにこんな展開は予測していなかったようで、慌てふためく声が頭に響いてくる。
《えっと、どうしましょう。まずは近づかないとですよね! そうしたら向こうから話しかけてくるかも!》
《そうしたいのはやまやまですが、周りの男性たちが邪魔で動けません……》
《なんですって! 何名に囲まれちゃっていますか》
魔法道具越しには映像が見えないらしいので、周りの状況を説明する。
《六……いや、十人ですね。どういうわけかお酒ばかりを勧めてきます》
断っても次から次へとアルコールを手渡される。仕方ないから飲んであげているが、もうやめてほしい。
《お酒を勧めてくる? それってまさか、男女関係の進展に用いられるといわれている送り狼理論! 送り狼理論ではありませんか!!》
《送り狼理論?》
《送り狼理論……。その歴史は古く、実に百万年前から続いておりまして》
そこからエマ様の話は長かった。歴史の授業かと突っ込みたくなるほどに長かった。途中で犬猫と男女の対比関係なんて語り始めたあたりから話を聞き流してしまった。
数分後。
《つまりですね、アルコールで女性を弱らせて男性の思うがままにすることです!》
間の話いらなかっただろとは突っ込まない。これが仕事人の余裕というものだ。
《なるほど。確かに女性の人ってアルコール苦手な人多いですからね。ですが安心してください》
私はもらった飲み物を一気に胃に流して、顔色一つ変えずテーブルに置く。
《私、アルコールには強いですから》
これには男性たちもどよめき始める。
「おい、あれ何杯目だよ」「十は余裕でいっているぞ」「ただの美人じゃないぞ……!」
男性たちからは恐怖と敬意が入り混じった視線で見つめられ、女性たちも軽蔑の視線を和らげて驚きと畏怖の視線を送られる。
エマ様もエマ様で、素直に褒めてくださった。
《す、すごい……! さすがセシリー様! かっこいいです!》
《こういうのは体質ですから。私としてはいらない特技ですけどね。アルコール好きではありませんし》
嫌いなものがほとんどない私の、唯一嫌いなものがアルコールの入った飲み物だ。
アルコール特有のにおいが苦手で苦手で、少しだけお酒の香りがするケーキやチョコレートでさえも眉をひそめてしまう。
今だって「おいしくない」「捨ててしまいたい」と心の中で文句を言いながら、渋々流し込んでいる状態だ。精神的に大分しんどい。
なので、エマ様にアドバイスをもらうこととする。
《とにかく、コック長とコンタクトがとれなくてはいけませんね。ですけどどうやって話し掛けましょうか……》
最初の一声、難しい。
エマ様は少し考えて、ある提案をする。
《フィル様がお食事しているときに話しかけるのはどうですか?》
しかし、私は首を横に振る。
《エマ様。その方法は止めた方がいいと思います。コック長は自分が何か食べているときに話しかけられるのをすごく嫌がりますので》
舌に神経を集中させたいのにそれが出来ないから嫌だと、他のコック仲間に話していたのを耳にしたことがある。
《あら、そうなのですね。それなら、お水を洋服に少しこぼしてコンタクトをとる、なんてどうでしょうか!》
《あー、飲み物食べ物をこぼす人は好きじゃないって、この前メイド仲間に話していたような……》
《うう。なら、おいしいお酒を持っていってお渡しするのはいかがでしょうか!》
《コック長、お酒駄目な人でして……》
《……》
エマ様は考え込むように一拍置いて、はっとしたように言う。
《もしかして、フィル様はかなりめんどくさいお人なのでは……!》
《そうでなければ、あんなに女性と別れていないですよ》
顔と人当たりはいいのだが、知れば知るほど腹が立ってくるタイプではある。
エマ様はうなりながら絞り出すように話す。
《セシリー様が近づいてみて、向こうから話しかけてくるのを待つしかありませんね。他にいい案がありましたら、連絡を入れます》
《お願いします》
エマ様との連絡が切れたのを確認し、宝石から手を離す。
(よし、まずは近づいてみましょう。その前にこの人をどうにかしなくては)
エマ様と連絡をしている間にも男性たちはひっきりなしにこちらに来ては質問をする。
ごくまれに肩や腰に手を伸ばしてくる方もいて、少し困ってしまう。
特に、私の目の前にいる男性はひどかった。
不味い酒を押し付けてきただけではなく、肩を触ったり腰に触ったりしてくるのだ。
「あの、ちょっと……」
眉をひそめて抗議するが、彼は「いいだろ」と言っておしゃべりを再開する。
「あんた、お酒強いんだな。顔も全然赤くなってない」
なんていいながら、彼は私の頬を撫でる。
「っ! ちょっと、」
私は彼を睨みつける。
おそらく、彼はいいとこのお坊ちゃんなんだろう。銀色の髪の毛はワックスでベタベタに固めて、無理矢理上を向けている。調子がよさそうにしてはいるが、紺色の目からは軽薄そうな色が隠しきれていない。
彼は悪びれる様子もみせず、ニタニタと笑う。
「あんたは綺麗だからいいけど、最近の女の子はお酒強いですアピールがすごいからさ、ちょっとそういうの引くんだよね。その点あんたは謙遜していて立派だよ」
謎の上から目線で褒められ、ついイラっとする。
(なによこの男! 偉そうに!)
それなりにいい服を着ているから貴族の御子息か何かなのだろうが、あからさまに性格が悪そうだ。
つい言い返したくなって、ぐっと堪える。
(駄目、駄目よセシリー! フィルを誘惑するためには清楚で弱弱しい女性を演じ切らなければ!)
しかしそんな私の決意を試すように、彼は畳みかけるように話しはじめる。
「そういえば鳥が好きなの?」
彼は私の頭についている鳥の仮面に視線を送る。
この仮面は小さい頃に孤児院でもらった仮面だ。子供用で素材もそんなに良くないせいか、使い古した見た目をしている。
それでも、私にとってはとても大切な思い出の品だ。
本当は壊れないようにそっとしておきたかったが、今回仮面が必要とのことで仕方なく持ってきていた。
だというのに、彼はばっさりと言い捨てる。
「こういってはなんだけど、全く似合ってないよねその仮面。ぼろっぼろでさ。綺麗な君に合ってないよね」
「……」
「ちなみに俺の仮面はドラゴンの仮面さ。こうみえて結構すごい魔法道具なんだ。俺の家は昔から続く魔法使いだから、たくさんの魔法道具があってね。あんたの持っている仮面よりも美しい仮面がたくさんあるよ。どう? うちに来ない?」
「……いえ、大丈夫です」
洩れそうな言葉を抑えつけて、私は無理矢理笑う。
「私、お手洗いにいってきますね」
腰に回っていた腕をそっとどけようとする。
しかし、彼は腕こそ離してくれたものの、代わりに手を伸ばして、
「あっ!」
私の仮面を奪い取った。
「本当だ、魔法の力はないね。それにしてもぼろいなあ……。すぐ壊れそう」
彼はぶんぶんと仮面を上下に振る。
「ちょ、ちょっとっ!」
取り戻そうと手を伸ばした、が。
「あっ……」
彼の手の中で、仮面が割れてしまった。
欠片の一つは床に落ち、バラバラに砕けてしまう。
「わ、悪かった。でもまあ、結構ボロボロだったし、仕方なかったよな。俺が代わりの者をかっておいておこう。いい店を紹介してやるよ」
「……いらないです」
「そんなに遠慮しなくてもいいよ。金なら俺が持って」
「そういう問題ではありませんっ!」
ぽかんとする彼に、勢いそのままで言い放つ。
「この仮面は私にとって大事なものなんです。他に代わるものなんてありません」
我が国最大のお祭り、<灯ノ祭>。
この祭りでは、子どもは仮面をつけなくてはならないルールがある。
どうしてそんなルールになっているかは全く分からない。だけど、孤児院の子たちはこのお祭りが好きだった。
小さい子は、単純に楽しいから。夜まで遊べるから好きだった。
大きくなった子たちは、仮面を被れば孤児でもそうでない子でも関係なく平等に楽しめる、親がいない可愛そうな子供だと、寄付で食べていくなんて乞食のようだと、後ろ指を刺されなくても済むという理由で、このお祭りが大好きだった。
だから子どもたちは我さきへと孤児院からお祭り会場である国立公園へと向かっていく。
だけど、私は行きたくなかった。
祭りに行こうとしない私を、あの子は、フィルは心配そうにのぞきこんできた。
「どうしたの、おねえちゃん。おまつり、行かないの」
「いかない」
「どうして?」
「……さむいから、いかない」
本当は寒くなんてなかった。大体<灯ノ祭>は夏に開かれるお祭りだ。その日も暑かったことだろう。
……行きたくない理由は たった一つ。
暗闇が怖いから。
暗いのは、嫌だった。
どうしてだか分からない。もしかしたら、孤児院に捨てられた時が真夜中だったからかもしれない。単純に物語に出てくる魔物が怖かっただけかもしれない。
とにかく外に行きたくなかった。
「お祭りは楽しいよ」なんて言ってきたが、私はぶんぶんと首を横に振って拒否をする。
「でも……」
「みんなと行ってきなよ。わたしは、……一人でいいから」
毎年こうなのだ。まだ歩けない乳幼児の世話をして、他の子のお土産をもらう。だから寂しくない。
……寂しくなんかない。
なのに、彼は祭りに行こうとはせず、困ったように立ちつくす。
「私のことはいいから。行っていいよ。ずっとお祭り楽しみにしてたでしょ」
「……」
彼は意を決したように足を踏み出す。
外ではなく、私の方に。
「いこう、おねえちゃん」
「いや、だから私は」
「さむいなら、ぼくの手であっためてあげる。だから、ね?」
彼は強引に私の手をつかむ。
「いこう」
手はとっても暖かくて、フィルの笑顔はほっとしてしまって。
つい、私は引かれるがままついていった。
その日の夜は、少し怖くて、でもとても楽しくて。
おかげで、私は夜が怖くなくなった。
夜が大好きになれた。
この仮面には、そんな記憶が残っている。つらいことがあったとき、悲しいことがあったとき。仮面を眺めていると勇気が出てくる。
だから、
「別の代用品なんていりません。結構ですっ! その仮面を返してくださいっ!」
私は仮面をひったくり、下に落ちてしまった仮面のかけらも拾う。
(ああ……。ここまで壊れちゃったらもう直せない……)
私が落ち込みに落ち込んでいると、ふと、違和感を覚える。
(あれ? どうしてこんなに静かなのかしら)
さっきまで聞こえていた談笑が全く聞こえず、ダンス用の軽快なBGMが妙に大きく聞こえる。
不思議に思い辺りを見渡すと、なんと、会場の人たちの視線が私に集中しているではないか。
(え!? すごい注目されてる!?)
そういえば、怒りが爆発してしまい、ついつい大声で喋ってしまった気がする。
ただでさえエマ様の変装のおかげで人だかりができてしまっていたのだ。そんな私が怒鳴り声を出していればこうなるなんてわかっていたのに、つい怒りに任せて声を張り上げてしまった。
(ど、ど、ど、どうしよう。な、何か言わないとだよね!?)
このままではフィルを誘惑するどころの話ではない。みんなが楽しむ場で突然怒鳴りだすただの迷惑な人になってしまう。
(取り繕わないと、で、でもどうやってやればいいんだろうっ!?)
仕事上のトラブルだったらすぐに解決方法がわかるのに、こういうときに限って頭が全く働かない。
「え、えっと……」
真っ白な思考の中、必死に考え、考えに考え。
そして、
「……私、お手洗い行ってきます」
私は、勇気ある撤退を選んだ。
(もうこうなったらヤケよヤケ! エマ様、相談もせずにこんなことをしてしまって申し訳ありませんっ!)
私は小走りで会場を出て、どこか落ち着ける場所を探しに早足で去っていった。