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ああ、まただ。
私はため息をつく。
また、私は暗闇の世界に閉じ込められてしまった。
一体、いつになったらこの世界から逃れられるのだろうか。
(ああ、怖い。寂しい。寒い。暑い。……苦しい)
今回は歩けるようだ。だから光を探してさまよい続ける。
しかし行けども行けども真っ暗闇。
何もない、音もない。
自分の存在さえも分からなくなりかけ、慌てて口ずさむ。
「私はセシリー。私はセシリー。フィルが教えてくれたじゃない。忘れちゃ駄目」
あのとき助けてくれたフィルという男の子は、今回は来てくれない。
それでもあの子のことを思い出すたびに勇気が湧いて、また一歩一歩と歩みだせる。
「ここから帰って、またフィルと一緒に遊ぶんだもの。そう約束したんだから」
決意を言葉にするが、それを妨げるように暗闇が口を開く。
《本当に、彼と遊べるの? ほら、思い出してセシリー。あなたはフィルとそういう関係でさえなれない》
「……っ」
途端、私の頭に。ある映像が浮かんでくる。
フィルが怒りをこめて私を睨んでいる、そんな映像が。
《もう彼との恋は忘れなさい。そんなことをしても意味がない。それどころか、あなたを苦しめることになる》
「……」
そう、私は苦しんでいた。
リリーの時に見せてくれる笑顔と、私の時に見せてくれる表情は全く別物だった。
いつまでたっても彼との壁は崩れず、むしろ高くなる一方だった。
暗闇は深くなり、私の頬をなめるようになでる。
《そう。可哀そうな子。もう彼のことは忘れなさい》
「……」
その誘いに乗ってしまったら、自分がどうなるのかは直感的に分かっている。フィルと二度と会うことはできない、遠く遠くの世界に行ってしまうのだ。
(でも、それもいいかもしれないな)
そうしたら、フィルが怒る姿を見なくても済む。他の女性と付き合ってしまうとやきもちする心配も、私には見せてくれない笑みを垣間見てしまうこともなくなる。
《さあ、覚悟を決めて。あなたはどうしたいの?》
暗闇は笑う。よく見ると、ソレは私とそっくりな姿をしている。
……いや、それは私なのだろう。
全てを諦めてしまいたいと願う、私自身。
「……私は、」
……この暗闇からも抜け出せるのなら。
私は暗闇の手をとる。
瞬間、いろんな思い出が浮かんでは消えていく。
リリーの手紙をフィルに出そうとしたとき、フィルに怒鳴られた思い出も。
彼がぶっきらぼうに手作りのハートキャンディーをくれた思い出も。
リリーのときに食べさせてくれた美味しいサンドウィッチの思い出も。
小さなフィルと初めて行った灯ノ祭りの思い出も。
次々と思い出しては、シャボン玉がはじけるように消えていく。
(ああ……。なんだろう。懐かしい)
意外と私は充実した人生を送っていたのかもしれない。フィルとは結局最期まで仲良くなれなかったけれど、私がいなくなっても彼は楽しく過ごしてくれるだろう。
なんて充実感に溢れていたそのとき、思い出の中のフィルがじっと私を見つめてきた。
「セシリーお姉ちゃん」
彼は寂しげに、すがるようにいう。
「いかないで」
「っ」
私は、思わず闇から手を離す。
《いまさらどうかしたの》
暗闇は呆れるようにつぶやく。
《もう残っている記憶なんて一つもないのに》
「……」
確かにそうだった。
今の私には、自分の名前も、大好きだった彼の名前さえも覚えていなかった。
だけど、悲しそうに私を見つめる少年の姿は、私の頭にこびりついて離れない。
理由は分からない。だけど私は、あの子に泣いてほしくなかった。
そう思った、次の瞬間。
暗闇の世界に突如、光が現れた。
「……?」
それはランタンだった。見つめているだけで心があったかくなる光を放っている。光は段々と明るくなっていくと、誰かの人影があらわれる。
暗闇ではない。私とはまた違う、別の存在。
「セシリーっ」
その人は叫ぶ。
背丈が高くて、髪の毛はふわふわとしている。泣きほくろが特徴的な彼は、嬉しそうに目を細める。
「よかった、無事だったんだな」
私は首を傾げる。
「……あなたは、誰?」
「……」
彼は一瞬絶句する。だが、小さく首を横にふると、私の手をぎゅっと握った。
「僕はフィル。君はセシリーだよ」
「フィル……。セシリー……」
「ねえ、セシリー。君に渡したいものがあるんだ」
彼は私の手を広げると、何かを手渡した。視線を下げると、そこには赤いハート型のキャンディーがあった。
少しいびつな姿をしているけど、不格好だとは思わなかった。むしろ綺麗だと思った。
「それ、食べてくれたら嬉しいんだけど。……もしかしたら、美味しくないかもしれないけど」
気弱な彼が面白くて、ついくすりと笑う。
「いいよ。食べてあげる」
私はキャンディーを口の中に入れた。
砂糖の優しい甘さに加えて、飴に込められた彼の気持ちが私の心にあふれ出す。
優しくて、甘酸っぱい思い。時折苦みも感じるけれど、全ての味の根源はたった一つの感情からできていた。
「え、」
その感情は、私には信じられないものだった。
「これは……。そ、そんな、まさか、そんなはずは。だって、フィルは私のこと嫌いなんじゃ」
「僕がセシリーのことを嫌ってる?」
フィルは呆れたように肩をすくねる。
「そうだったらセシリーと一緒の職場で働かないし、あんなに怒ったりしない」
「で、でも」
「セシリー」
フィルは私をじっと見つめる。
いつものヘラヘラした笑顔なんかではない、本気の眼差し。
「ずっと、気づかなかったんだ。もしかしたら気づこうとしなかったのかもしれない。それに気づいて、セシリーが僕の気持ちを受け止めてくれなかったら、きっと僕は生きてはいけないと分かっていたから。でも、僕の身勝手でセシリーに辛い思いをさせちゃったよね。……ごめん。本当にごめん」
「……フィル」
「セシリー」
彼は、泣きそうな顔になる。小さなフィルの顔がフラッシュバックする。
「僕を置いてかないで。先に逝かないで。嫌なんだ。君がいないと僕は生きていけない……だって、僕は君のことがっ」
彼は一息つき、私を見つめる。
「……好きなんだっ」
途端、闇が晴れる。
真っ白な空間で、舞い散るのは赤の花びら。
……灯ノ花。
一点の迷いもない、赤の花びらが私を包む。
それは、今までで見た何よりも美しかった。
私は一度目を閉じて、ゆっくり開く。目の前の彼が消えてしまわないことを認識すると、私は小さく囁く。
「私も、大好きだよ。フィル」
赤の花びらは私達を包み込む。
私達を祝福するように。
そして私は瞳を閉じる。
今度は、目を覚ますために。




