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実際にオブジェを目の前にすると、その大きさに驚いてしまう。私の身長の四倍はあるに違いない。次に驚くことといったら、その美しさだろう。。
灯ノ花のつぼみは、一つの巨大な真っ白の石を削って作られているらしい。
だが、削りあとの一つもなく、元々その形だったと勘違いさせてしまうほどにすべすべとしていた。人の手で作ったとは思えない神々しさを秘めている。
咲く花の色さえも分からないつぼみは、純粋無垢な子供のような危うさを感じる。ふと、私の頭をよぎったのは、幼い頃の自分とフィルの姿だった。
お互いの気持ちが手に取るように分かって、全てのことが通じ合っていると思っていた自分たち。
この時間が一生続くと疑いさえしなかった、あの頃の自分たち。
(もしもあの頃に戻れたら……。いや、そんなことを考えるのは止めよう)
むなしくなるだけだから。
私は調子を戻して、たわいもない質問を投げかける。
「ここって有名なオブジェなんですよね? それにしては、意外とすいていますね」
全く誰もいないということもなかったが、肩が触れてしまうほどの人だかりではなかった。不思議に思っていると、フィルは笑いながら答えてくれる。
「あと十分くらいで展示が終わるからね。これがお祭り始まったあたりだったら身動き取れないくらい混んでいたよ」
「そういえばこのオブジェは中に入れるんでしたね」
前にフィルが話してくれた気がする。
「そうそう。灯ノ花の花びらが散っているんだって。愛し合った人同士が入ると、花が真っ赤に染まってすごい綺麗らしいよ。そうじゃなかったら……ほら、ああいうふうになる」
フィルが指さす先には、金切声を上げる女性とおろおろとする男性の姿があった。土下座でもしそうな勢いで男性が頭を下げるが、彼女の怒りが収まる様子はない。ついには彼女の平手打ちが男性に炸裂、女性は怒って帰ってしまった。
「あれは……。度胸がいりますね」
「オブジェのせいで別れることになったって批判の声も結構あったから、来年からはこの展示をやめにするんだってさ」
「へえ。では、これが見えるのも今日までなんですね……」
オブジェが見えるのも今日まで。
そして、こんな機嫌がいいフィルと一緒にいられるのも今日まででだ。
運命めいたものを感じて、勝手にオブジェへ親近感がわく。
「ねえ、フィルさん。もう少し近くで見てみましょうよ」
「ああ、そうだね。ちょうど展示終了のセレモニーもあるみたいだから、それ見たら解散にしよう」
「セレモニー? へえ、そういうのもあるんですね」
「みたい。僕もさっきここを通りがかったときに、スタッフが話しているのを聞いたんだ。いつもそんなことしないけど、このオブジェも今年最後だからサプライズのつもりかもしれないね」
「へえ、ならもっと近くに行かなくちゃですね」
私はぎゅっとフィルの手を掴む。
「行きましょ、フィルさん」
「うん、そうしよっか」
近くまでいくと、スタッフの学生がバタバタと走り回り、慌ただしそうにしている。ただ単に展示の見学を終わらせるだけにしては異様な騒々しさに、人々は不審げに、かつわくわくした様子で立ち止まっている。
彼らの後ろにつくと、スタッフの一人が集まった人たちの前に立った。
「えー、お集まりのみなさま、こんばんは。魔法学園の灯ノ祭実行委員会委員長でございます。このような遅い時間に我らが展示物を見に来てくださいまして、まことにありがとうございます。本展示は皆さまに大変なご好意をいただき、今年で三回目の展示を迎えました」
そこから、そもそもこの展示を作るに至った背景や、作る過程での困難を語りはじめる。彼らは彼らなりに、お祭りを盛り上げつつ、灯ノ祭本来の伝統も尊重する企画を作ろうと努力していたとのことだ。
「ですが、残念なことにこちらのオブジェの展示は今年で最後となってしまいました」
涙声になる委員長。つられて涙を流すスタッフと観客たち。
私もついついうるっときてしまう。
委員長は涙を袖で拭って、声を張り上げる。
「このオブジェにせめて有終の美を飾ってあげたい。そう思いまして、私たちは準備して参りました。それでは、ご覧ください。灯ノ花、最後の開花です!」
彼はバトンほどの長さの杖を振る。
すると、灯ノ花に変化があった。
なんと、石の置物であるはずの灯ノ花は、徐々に動きはじめたではないか。
息をのむ観客の前で、石の花はつぼみを開いていく。
完全に開花されたそのとき、花から真っ白に光り輝く花びらが舞い散った。
花弁はひらひらと宙を泳ぐ。そのうちの一枚をフィルが手のひらに乗せると、花びらは星々のような黄色に染まった。
「これは……。本物の灯ノ花……?」
灯ノ花は祭りを楽しむ者たちに触れて、それぞれの色に染まっていく。
赤、青、黄、緑。
一つ一つが誰の心を映しているのかは分からない。
だからこそ、道行く人は妙な心配もせずに目を真ん丸にさせて美しい光景に見入る。
私もその一人だった。
「きれい……。虹の空を泳いでいるみたい」
思わず呟くと、フィルも頷いてくれた。
「うん、綺麗だね。花も、君も」
フィルは私を見つめ、罪悪感に満ちた表情をする。
どうかしたのかと尋ねると、フィルは視線をそらす。
「君に触れた花びらがさ、……すごくきれいな赤色だったから」
「……ああ」
(そういえば、フィルの前で灯ノ花に触ったことなかったな。それに……)
私は思い出す。
今まで私は、フィルに自分の想いを告げていない。
(ふふっ、私ったら。フィルのことは分からない分からないなんて言っておきながら、自分の想いすら口に出してなかったじゃないの)
結果は分かり切っている。
でも。
いや、だからこそ。
私はそっとフィルの手のひらを包む。
「ねえ、フィルさん」
「……うん」
「……返事はいらないですからね。私の自己満足で言うだけですから」
卑怯な逃げの手を打ってから、私はにっこりと微笑んだ。
「私、フィルのことが大好きで」
思えば、恋をつかさどるトモシビ様のお祭りの場で、逃げに逃げた末のしょうもない告白をしてしまったから、バチが当たったのだろう。
それとも、フィルのことで頭一杯になってしまって、今の自分が危うい状況だということを分かっていなかったせいか。
結局、私は最後まで卑怯な告白を言うことさえできなかった。
「リリーちゃん?」
フィルは私を怪訝そうに見つめる。
「どうしたの? 顔色が悪いみたいだけどって、リリーちゃん!?」
私は力なくその場に倒れこんだ。
口から吐き出すのは、真っ赤な血。胸の奥から針で突かれているような痛みにもがき苦しむ。
「っ……! っ……!」
「どうしたの!? 血がっ」
仮面の隙間からわずかに見えるのは、慌てふためくフィルの姿。
遠くなっていく耳から聞こえるのは、道行く人のどよめきと、エマ様の叫び声。
それさえも認識できなくなり、そして、私は、
暗い夢の中に、突き落とされた。




