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 夜が深まるにつれて仮面をつけていた子供の姿が見えなくなり、次第に大人たちばかりを見かけるようになった。


 屋台の品物に『売り切れ』の文字がついているのも珍しくなくなりはじめ、通行人から香る酒臭い匂いにも慣れてくるとき、ようやく灯ノ花オブジェまでたどり着く。


「意外と時間がたってしまいましたね。もう八時ですよ」

「ああ、そんな時間なんですね。なんだか眠くなってきました」


 ふわあ、とエマ様はあくびをする。つられてビっちゃんも小さくあくびをする。


「すみません、こんな時間まで付き合わせてしまいまして」

「わたくしも楽しいから大丈夫ですよ。ではではっ、わたくしは仮面を探しに行っていますね! オブジェのところで待ち合わせで!」

「あっ、待ってください。一人で行くと危ないですよ」

「ふふん、ビっちゃんがいるから問題ありませんよ!」


 エマ様は誇らしげにポシェットを軽く叩く。ビっちゃんは迷惑そうに細い目を開き、すぐに閉じる。


「ではではっ!」

「ちょ、エマ様」


 止める間もなく、彼女は走って仮面が売っている屋台に行ってしまった。


(エマ様ったら……)


 きっと、エマ様は私にオブジェをじっくり見てほしいと気を使ってもらっているのかもしれない。


 だけど正直言って、ビっちゃんの言葉が気になったから見に来ただけで、すぐに引き返すつもりだったのだ。


 エマ様がもっと見ていたい遊んでいたいというならともかく、私一人でオブジェを見たところでむなしく時間が過ぎるだけだ。


(私もエマ様と一緒に仮面を見に行こうかな。今時どんな仮面が売っているか気になるし)


 私がエマ様の元に行こうとした、が。私は足を止めて、目の前にいるある人物の背中に釘付けになっていた。


(ど、どうしてここに……!?)


 青ローブの魔法使いさんを見かけたときよりも、もっと驚いてしまった。


 ふわふわとした黒髪に、しっかりとした体つき。

 振り返ってくれれば、赤みがかった茶色の瞳で私を見つめてくれるのだろう。


 そう、そこにいたのは私が恋焦がれ、失恋してしまった彼、フィルだった。


 瞬時に私の頭に浮かぶのは、軽蔑したように私を睨む、彼の姿だった。


 フィルは私の方に気づいていないようだが、誰かを探しているようだ。


 フィルは周りを注意しながら、街灯にもたれかかっている。


(誰を探しているのかしら。……もしかして、もう他の恋人を見つけて、その人とはぐれた、とかかしら)


 そんな予想を考え付いてしまい、気分が落ち込んでしまう。


(もしそうだとしたら、フィルに見つかりたくないな)


 ましてや、彼の新しい恋人なんてのも見たくない。


 私は仮面をしっかりとつける。これでもし振り返ってきたとしても、フィルは私だと気づかずにスルーしてくれる。


 万全の準備をしたうえで、私はそうっと後ろに下がる。どこに逃げようかとキョロキョロしていると、長蛇の列を作っている屋台が目に入った。のぼりには、『はーときゃんでー』と書いてある。


(屋台の裏を回っていけば、あの列がうまく私を遮ってくれるはず。それでフィルをやり過ごして、エマ様のとこにいこう)


 彼女と合流したらさっさと帰ってしまおう。フィルと会ってもいいことなんてない。あの冷たい目で睨んでくるに違いない。


(そうっと、そうっと。物音立てないように……)


 あちらにこっちの足音なんて聞こえるわけがないが、ついつい足を忍ばせて、じりじり、じりじりと後ろに下がる。

 不審そうな通行人の目なんか気にする余裕なんてない。ともかく、一秒でも早く屋台の裏まで行かなくては。


 フィルの背中を見ながら少しずつ下がり、下がり、下がって、

 ちょうど屋台の裏が見える位置まで下がりきると、私は大きく息を吸い込む。


(ここまで来たら、全力疾走よ。行くわよセシリー。三……二……一……!)


 ゼロ、と心の中で呟いて走りだそうとしたその時。


「そこの仮面のお嬢ちゃん! どうしたんかい! もしかして、足でもくじいたんか!」


 突如、知らないおじさんが大声で話し掛けてきた。


「わっ! い、いえ! なんともないです!」

「はっはっはっ! そうかいそうかい! なーんか青い顔してたからな! どうしたんだろうっと思ってな? って、仮面だから顔見えないじゃないかーい! ってか? はっはっはっ!」

「……はあ……」

「それじゃ、祭りを楽しんでな。はっはっはっ!」


 パンパンっと肩を叩いて、おじさんは去っていった。


「な、なんだったのあの人……」


 呆然と立ち尽くしていると、とんとんっ、と肩を叩かれた。


(……まさか……)


 ああ、私が思い浮かべた人がそこにいませんように。

 普段は全く信じない神様に願いを込めて、振り向く。


 残念ながら、神なんていなかった。


 そこにいたのは、まぎれもなくフィル本人だった。


 彼はやけに機嫌よく顔をほろこばせる。


「ここで会えるなんて、奇遇だね。リリーちゃん」

「……」


 ぽかんと、私は立ちつくす。


(え? い、今、私のことをリリーって呼んだ?)


 混乱していると、フィルは戸惑ったように私を見つめる。


「あれ? リリーちゃんだよね? その仮面、僕と君が出会ったときにつけてた仮面でしょ?」

「あ、仮面……」


 とっさに私は仮面に触れる。その反応が仇となってしまった。フィルは安心したように微笑む。


「そっか、やっぱりリリーちゃんだったんだ」

「……よ、よく私だって分かりましたね。今はちょっと風邪気味だから、声も低くなってるのに」

「え?あ、本当だ。僕としたことが、君と会えたのが嬉しくて全然気づかなかった。大丈夫?どこかで休む?」

「い、いえ。大丈夫です」


 フィルはじっと私をみる。


「……いわれてみれば、声が全然違うね。けど、雰囲気は同じだよ。うんうん!」


 フィルはふんわりと微笑む。リリーとデートしていたときから変わらない、いつものフィルの姿だ。


(……私がセシリーだってばれたら、そんな顔みせてくれなくなるんだろうなあ……)


 そう思うと、ちくりと胸に釘が刺さる。


「……それで、フィルさんはこれから何をされる予定だったんですか」


「特に用事はないんだ。……だからさ、」

 フィルは不安げに私を見つめる。


「もし君がよかったら、少しだけでもいいから僕と付き合ってくれないかな?もちろん、お祭りだけでいいからさ」


 フィルは不安そうに私を見つめる。


 どういうつもりで誘っているのかは分からないが、どうせ暇潰しかなんかだろう。


 だけど。


「……そうですね」


 ちらりと、自分がさっきまで立っていた場所を見る。まだエマ様は来ていないようだ。


(エマ様には悪いけど、少しだけ……少しだけなら、フィルと一緒にいてもいいよね)



 もう優しい笑顔を向けてくれる彼と、一生会うことはない。


 セシリーの私には、ほんのかすかな笑顔さえも向けてくれないのだ。


 こんなことをしても、自分の傷口に塩を塗るようなことだと理解していたけど、ほんのひと時だけでも、フィルと一緒にいたいと思ってしまった。


「少しだけ、ほんの五分だけになってしまいますけど、お願いしてもいいですか」


 フィルは何の問いも発さず、にっこりと頷く。


「こちらこそ、お願いします」


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