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それから私は、『どきどき! ナディーヌ様占い』のことについては考えないようにして、日常の業務に勤しんだ。
洗濯物を畳んで、窓を拭いて、手紙の仕分けをして。
ナディーヌ様が仕事場に行くというので馬車を手配して。
「私は歩いていくんだ」といって屋根伝いに仕事場へ向かってしまったため、来てくれた馬車業者に頭を下げてチップを渡したり。
無我夢中で、いつもよりもハイスピ―ドで仕事をこなす。
そうすれば、悩み事も何もかも忘れて仕事に集中できるからだ。
だけど、いくら仕事を頑張っても、いくらナディーヌ様が訳の分らない行動をとったとしても、頭の中にはフィルの占い結果がちらついて離れない。
時には彼の無残な姿さえも浮かんでしまって、そのたびに胸が苦しくなる。
(私、こんなズルズル引きずらないタイプなのに……)
ナディーヌ様や部下には悟られないようにはしているが、一人になるとつい弱気になってしまう。
(どうしたらフィルのこと、止められるのかしらね……)
普通に言っても無理。それこそフィルを誘惑して止めるでもしないといけないんだろうが。
「誘惑って、どうするのかしらねえ……。露出度の高い服でも着ればいいのかな」
なんて呟いていたそのとき。
「誘惑!? セシリー様、どなたを誘惑なさるのですか!!」
メイドの声でもない、ましてやフィルやナディーヌ様でもない声がした。
振り返ると、そこには一人の少女が目を輝かせていた。
クリーム色の長い髪の毛は綿あめのようにふわふわとしていて、ストロベリーのように鮮やかな瞳はキラキラと期待に輝いていた。
肩にかけているポシェットの中には、白いウサギが入っていて、すやすやと眠っている。
いつもは可愛らしいワンピースを着ているのだが、今日は黒のローブを着ている。確かこの国唯一の魔法学校の制服だったはずだ。
もしかして学校帰りかと尋ねると、彼女はこくりと頷く。
「ええ! 本日は学校が早く終わる予定でしたので、ナディーヌ様に魔法の勉強をみていただくことになっていたのです、けど……」
「ああ……。ナディーヌ様はお仕事に行ってしまいまして……毎度毎度、うちのご主人様が申し訳ありません」
「いえいえ! とんでもありません! むしろ、お忙しい身でありながらわたくしの稽古をつけてもらっていて、お姉さまには感謝しかありません!」
約束をふいにされたというのに、しかも両手で数えられる以上に忘れられているというのに、エマ様は責める様子もなくナディーヌ様への敬意を示してくれる。
(さすが、あのナディーヌ様に弟子入りしているだけあるわね)
エマ様はナディーヌ様にあこがれて、色々と魔法を教えてもらっている。
教えるとはいっても、ナディーヌ様は教師ではない上に教えるのもそんなにうまくなく、「こうバーンとやって、ゴーンとやれば、サーっとできるよ!」なんて、擬音だらけで分かりにくい伝え方をしている。
絶対それでは分からないだろうと皆が皆思うのだが、なんとエマ様は「分かりました、お姉さま!」と元気よく答え、教えられた魔法を上手に使いこなせてしまう。
そんな優秀で真面目、私のような使用人にも親しく接してくれる彼女だが、今は年相応の表情で私に問いかける。
「それでそれでっ! どちらの方を誘惑なさるのですか! もしかして、フィル様だったりしますか!」
「うっ」
思わず図星という表情をしてしまい、エマ様のテンションが高まってしまう。
「本当ですか!! お二人とも、とうとうお付き合いすることになったのですね!! おめでとうございます!!」
「エマ様、それは違います。本当に違いますからっ!」
慌てて否定し、彼女に説明をする。
「実は、ナディーヌ様がフィルを占ったみたいなのですが、結果が大凶だったようでして……」
「え!? 大凶、ですか……」
事の重大さが分かってくれたようで、エマ様はまじめな表情に変わってくれる。
「ええ。女性関係で大変なことになるらしいです」
「……なんだかフィル様らしいですね」
「お恥ずかしいながら……」
私やフィルよりも一回り年下なエマ様にもそう言われてしまうって、どれだけ噂を流されているのだろうか……。
「コック長がしっかり気を付ければ済む話なのですが、ナディーヌ様の占いを全く信じていないようで、今日も舞踏会に出席するといって聞かないのです」
「ええ!? す、すごいですね。命尽きるその時まで女性遊びをやめないとは……。その意気込み、恐れ入ります」
「エマ様。そんなことであいつを敬うことはありません」
あと、命が尽きるかどうかも決まっていませんよ……。
そんな突っ込みはとりあえずおいておき、小さくため息をつく。
「コック長に女性遊びをやめるように説得したのですが、『自分を誘えるくらい魅力的になったら考えてやる』なんて感じのことを言われまして……。もうどうやったら止められるんですかね。鎖にでも繋げないとダメなんでしょうね」
ちょっとした愚痴をもらすと、エマ様は烈火のごとく怒りだす。
「そんなことおっしゃったのですか! フィル様は!!」
「へ? ええまあそうですけど」
「セシリー様はとっても魅力的ですよ!! 優しいですし、仕事も丁寧ですし。わたくしのお屋敷にお招きしたいくらいですもの!」
「……エマ様……」
エマ様の優しさが心がじんわりと染みわたる。
それと同時に、フィルが冷たく私をこきおろしたことを思い出して、胸が締め付けられる。
「ありがとうございます。……ですけど、フィルはそう思わなかったんでしょうね……」
フィルの隣にいる女性はいつもきれいな人ばかりで、性格も良さそうな品のいい人ばかりだった。
「もっと私が綺麗な見た目をしていたら、フィルも言うことを聞いてくれたのかもしれませんが……」
自分で言っていて悲しくなってきた。
あまりに悲しくなってきたので、冗談交じりでこんなことを言ってみた。
「いっそのこと、私が変装してコック長のことを誘惑してみましょうか。そうしたら案外言うこと聞いてくれるかもしれませんね」
受け狙いの発言だった、が。
「いいですね、セシリー様!」
彼女は私の手をがっしりと掴む。
「私も協力いたします! フィル様を誘惑して、セシリー様の本当の魅力を見せつけてやりましょう!」
「……へ?」
「早速今夜!! いかがでしょうか!!!」
……エマ様は、基本的にはいい子だ。
身分が低い使用人にも優しいし、約束を反故にする自分の師匠も許してあげている。
それに自分がやりたいことにはまっすぐで、ナディーヌ様の弟子になるときも連日屋敷に通い詰めて見事ナディーヌ様の許しを得たほどだ。
が、しかし、そんなまっすぐなところも欠点となる。
例えばこういう時。
自分の考えが正しいと信じて、こちらのことを考えずに引っ張ってしまう。
「え、いや、ですけど……」
「お仕事休めますか! なにかとんでもないトラブルは起きていませんよね」
「それは起きていませんが」
「なら行けますね! いきましょうやりましょう! いざ! フィル様を見返し、フィル様を救うために!!」
「ちょ、え、エマ様……!」
私の制止の声は彼女の耳に入ってはくれなかった。
みるみううちに手続きを勝手にされて、休みをとらされ、
そして、私は……。
今晩、フィルを誘惑するため変装することとなった。