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私が意識を取り戻したとき、最初に感じたのは、異様に頭が痛んでいたことだった。
(ん……。なんだろうこれ)
まるでこん棒で殴られたような痛さだ。
私は頭を撫でようとする。が、そもそも手が動かせなかった。
(どうしたのかしら、私。そもそも、いつの間に寝ていたんだろう)
昨日は、フィルとデート行って、別れを切り出して、それから……。
(そうだ、途中で倒れちゃったんだ。そうなると、ここはどこだろう。もしかして天国? いや、それは違うか。天国なら痛みを感じなさそうだし)
それなら、ここはどこだろうか。
私はそっと目を開く。
すると、そこにはエマ様がいた。何やらひどく落ち込んでいるようだ。
「……マ、さ……」
彼女の名前を呼ぼうとするが、なぜか口が回らない。動物のような鳴き声を発するばかりだ。
それでもエマ様は気づいてくれた。
「せ、セシリー様……」
彼女は立ち上がって、瞳に涙をためた。
「セシリー様!! よかった、よかった! うわああん!!」
(……へ?)
私を抱きしめると、彼女はわんわんと涙を流す。
「どう……たの、」
(ああもう、うまく喋れない……!)
他に誰かはいないのかとあたりを見渡す。
(あれ、この部屋、エマ様が良く使っている客間よね)
私がフィルとデートする前にベッドメイキングした部屋だった。
(ということは、ここはナディーヌ様のお屋敷?)
そう見当がつくと、タイミングよく扉があいた。
「セシリー!」
ナディーヌ様はほっとした笑みをもらす。
「よかった、意識が戻ったんだね。はい、お水」
手を伸ばそうとするが動けず、困惑した表情を向ける。ナディーヌ様も察してくれたようで、私の体を起こして水を飲ませてくれた。
「ありがとう……ございます」
水のおかげで声が出るようになった。
「あの、ナディーヌ様。私、どうしてここにいるんでしょうか。急に息ができなくなってからの記憶がなくて」
「そっか、倒れたときの記憶はあるんだね。セシリーが倒れていたところをたまたまフィルが通りがかって、屋敷まで運んでくれたんだ。そこから私が治療したってわけ」
「そうだったんですか」
意識を失う寸前に見た彼の影は、幻想か何かではなかったらしい。
(そっか、フィルが助けてくれたんだ……)
きっとフィルは倒れている同僚を見捨てられず助けてくれたのだろう。
分かっていたとしても、フィルが助けてくれた事実だけでうれしくなってしまう。
恋っていうのは、相当厄介なものだ。
なんてのんきに考えていたのは、数秒だけ。
ナディーヌ様とエマ様の何とも言えない重い雰囲気に、私は怪訝に思い尋ねる。
「あの、お二人とも、どうなさったんですか」
「……あのね、セシリー。よく聞いてね」
ナディーヌ様は、彼女らしくない深刻な表情で告げる。
「実はね、セシリーが倒れた原因は、エマちゃんの変装魔法のせいだったの」
「えっ……!」
「もっというと、エマちゃんの魔法とセシリーの体質が合わなかったせい」
「えっ……?」
最初の「えっ……!」は、魔法副作用のせいだとエマ様にばれてしまったことへの焦りから、次のえ……っ?は、純粋に驚きから発せられた。
エマ様は重い口を開く。
「……セシリー様は、魔法への拒否反応を示す体質だったんです。いわゆる、魔法アレルギーというものです」
「魔法アレルギー……」
どこかで聞いたことがある。確か、私がエマ様に魔法をかけてもらうときに、魔法アレルギーかどうかと尋ねられたことがあった。
「で、ですけど、最初の方は魔法にかかっても何もありませんでしたよ」
しかし、エマ様はゆるゆると首を横に振る。
「最初から発症なさる方もいらっしゃいますが、、魔法がかけられるたびに蓄積されて、段々と症状が強くなる場合もあるんです。セシリー様もそのようなパターンだと思います」
「蓄積……。あの、実は、エマ様に魔法をかけてもらったとき、息が出来なくなる時があったんです」
「え! そうだったんですか!」
「はい。数秒で収まるからほっておいても大丈夫だと思っていたんですけど、まさかそれが魔法アレルギーの症状……?」
ナディーヌ様は頷く。
「うん、セシリーの言う通り。そのことはエマちゃんには言ってなかったんだね」
「ええ。ですけど、まさかこんなことになってしまうとは……。ナディーヌ様にもエマ様にもご迷惑をおかけしました。本当にごめんなさい」
エマ様は首を横に振る。
「いいえ、セシリー様は悪くありません。そういう危険を考えずに魔法をかけていたわたくしが全て悪いんです」
「そんなことありませんよ! 私がしっかりと言っていれば……!」
二人の会話に割って入るように、ナディーヌ様が口を開く。
「……いや、エマちゃんだけが悪いんじゃないよ。セシリーだけが悪いわけでもない。私も十分悪かった。教えるにしても、どうやって使えばいいかとか、どういうふうに注意すればいいのかとか、そういうとこもちゃんと教えたほうがよかった。師匠失格だよ」
ナディーヌ様はしょんぼりと落ち込んでしまった。
「今回も、フィルが助けてくれなかったら危なかったから」
「……彼にはお礼を言っておかなくてはなりませんね。たまたま通りかかってくれなければ、最悪私は……」
ナディーヌ様もこくりと頷く。
「うん。それもあるし、小っちゃいフィルがいてくれたのもあるね。あの子がいなかったら本当に危なかったよ」
「……?」
何のことだろうか? 小さいフィル……?
ふと、何かの記憶が頭をよぎった。だがすぐに消えてしまって、どうにも思い出せない。
ナディーヌ様がよく分からないことを言うときは、たいていエマ様が不思議そうに首を傾げて、『お姉さま、それってどういうことですか』と尋ねてくれる。
それを期待していたが、エマ様はひどく落ち込んでしまっていて黙ったままだ。ナディーヌ様もナディーヌ様で沈んでしまっていて、空気がかなり重々しい。
なんとか空気をかえようと、私は明るい口調で言う。
「そういえば、今って何時ですか。首が動かせなくて時計が見えないんです」
エマ様はキョロキョロと時計を探して、教えてくれた。
「えっと、お昼の三時です」
「三時……。あ! 今日、クリーニングに出したシーツをとりにいく日でしたよね!? 誰かメイドを呼んできてくれませんか。指示を出したいんで!」
そこのクリーニング屋は時間にかなりうるさい。少しでも引き取り時間に送れるとグチグチ文句を言ってくるのだ。腕がいいから我慢して利用しているが、一度でも遅れるとその後何か月も根に持ってくるので非常にうっとおしい。
そして今日の引き取り時間は二時から四時までの間だ。今から行ったらギリギリ間に合う。
(でもどうしよう。誰に行ってもらおうか。そもそも今日の仕事がどこまで進んでいるのか分からないし。ああもう、どうして私は倒れてたのよっ!)
焦りながらナディーヌ様にお願いするが、なぜか彼女はきょとんとした表情を浮かべていた。
「シーツ? それなら三日前に誰かとりにいってたよ」
「へ? そんなはずありませんよ。だって、私が倒れた日の三日前にクリーニングに出したんですから」
すると、エマ様はおそるおそる私に話しかける。
「あの、セシリー様。実はセシリー様は倒れてから四日間眠ってしまっていたんです」
「……へ? 四日?」
ナディーヌ様を見上げる。ナディーヌ様も同意するように頷いた。
「よ、四日も寝ていたんですか私! ほ、本当に申し訳ありませんでしたっ」
その間、ナディーヌ様や他のメイドたち、コックたちにどれくらいの迷惑をかけてしまっていたことだろう。
(ああ……。私がもっと体調が悪いこと早く言っておけば、こんなことにはならなかったのに。ナディーヌ様にも、エマ様にも、他のメイドたちにも、それにフィルにも迷惑をかけちゃった……)
あとで色んな人に頭を下げに行かなくては。
その前に動けるようにならなくちゃいけないけれど……。
(……あ、ちょっと待って)
四日間眠っていた、ということは、私がリリーとしてフィルとデートする日まであと三日しかないではないか。
「……あの、ナディーヌ様。魔法アレルギーの人は魔法をかけてもらったら駄目なんですよね」
「そうだね。特にセシリーはギリギリのところを踏みとどまったから、しばらくは絶対駄目」
「……分かりました」
この状況で、変装魔法をかけてもらうのは無理だと、さすがの私にも分かった。
(そっか。そうなると、もうフィルとは会えないのね……)
……最後の日、灯ノ祭りだけでも、二人で見て回りたかった。最高の思い出を作りたかった、のに。
(……後で、手紙書かなくちゃ)
仕方ないことだし、さすがに命をかけて変装したいとまでは思わない。
だけど、寂しいと告げる私の心は、嘘偽りのないものだった。
(どうせなら、最後の挨拶だけはしたかったのにな。……なんて思っちゃう私は本物の阿呆なのかもね)
目覚めてから、今に至るまで実に様々なことを頭に詰め込んだ。
私はもう魔法をかけてもらえないこと。
ナディーヌ様とエマ様の反省と後悔の言葉。
私自身の後悔。
リリーになれないこと。
恋人としてフィルと出会えなくなってしまったこと。
いろんな思いと、考えと、感情が一気に詰め込まれて、私の疲労はピークに達してしまった。
「すみません、少し寝ても大丈夫ですか」
「うん、いいよ。おやすみなさい」
ナディーヌ様からの返事を待たず、私は瞼を閉じる。
睡魔はあっという間に私を襲い、世界は真っ黒に塗りつぶされた。
(ああ、またあの時の夢が見られたらな)
真っ暗な夢ではない、優しい、白い夢。
その内容は全く覚えていなかったけど、私は心の底から望んで瞼を閉じる。
結局、私の望んだ夢は見ることもなく、次に目を覚めた時には全て忘れ去ってしまった。




