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 そこから先は無我夢中だった。


 気が付くと屋敷の前にいて、門番にナディーヌ様の行方を問い詰めていた。

 僕のものすごい剣幕に相手はひどく怯えてしまっていたが、それさえも気づけないほど動転していたところに、ナディーヌ様が現れた。


「へ? どうしたのフィル。何かあったの?」


 ナディーヌ様はパジャマ姿のまま、目を真ん丸にさせていた。

 僕は背負っていたセシリーを横に抱き、ナディーヌ様に叫ぶ。


「セシリーが息をしてなくてっ」

「……息を、してない……?」


 ナディーヌ様は気の抜けた声で呟き、僕の腕の中にいるセシリーに視線を落とす。彼女を一目見ると、顔色が蒼白になった。


「セシリー!? ど、どうして、こんなことに……!」

「医者に連れて行ってください! お願いします!」

「駄目! 医者は駄目。そんなことをしたら、本当にセシリーは……っ 私がみる。セシリーをどっかの部屋に運んで! 手が空いている人は毛布と、私の部屋からかたっぱしから本を持ってきて!」

 

 細かい指示を出すナディーヌ様の横を通り抜けて、入り口から一番近い客間に入る。エマ様がよく使われている部屋だけあって、丁寧に清掃がされており、一人用のベッドもしっかり整えられている。

 

 慎重にセシリーをベッドの上に寝かせる。顔は青白く、生きているのかと不安になるくらい動きがない。

 最悪な状況が頭をよぎり、恐れからとっさに彼女の手に触れる。

 しかし彼女の手は温く、僕よりも暖かい温度を保ってくれていた。


(……よかった……)


 彼女の手を握りしめていると、何かが彼女の手から滑り落ちた。無意識に目で追って、それを掴む。

 どうやら青のストライプタイプのハンカチのようだ。女性が持つタイプのものではなく、男性が使っていそうな柄だった。身の回りの雑貨に興味がないので確信は持てないが、僕も何枚か持っていたような気がする。


どちらにせよ、セシリーは持っていなさそうなハンカチだった。

 

 疑問を感じるその前に、扉が開いてナディーヌ様が駆け寄ってきた。


「ありがとう、フィル。ちょっと下がっててね」


 ナディーヌ様はセシリーの枕元まで近づくと、彼女の頭のてっぺんからつま先まで余すことなく確認して、手をかざした。


 すると、セシリーとナディーヌ様の周りに光輝く花びらがはらはらと舞いはじめた。


 赤や黄に青、緑から紫、橙色と、花は色を変えて、意志を持っているかのように優雅に漂う。


 あまりの美しさに僕でさえも何もかも忘れて息をのんでしまった。


 ナディーヌ様は花びらの一つ一つを見つめて、セシリーをみつめて、ほっと息をつく。


「よかった。フィル、大丈夫だよ。このくらいならなんとかなる。明日の朝までには回復するよ」

「明日の朝までに!? 本当なんですか!?」

「うん、勿論。なんだって、私は天下のナディーヌ様だからね」


 ナディーヌ様はウインクをする。


「ともかく、フィルはセシリーの無事を願っていればいいから」


 いつものふざけた気配は全く感じられない、慈母のような優しいまなざしで僕を見つめる。


「……分かりました。お願いします。何かつまめるものをご用意いたしましょうか」

「いや、飲み物用意してちょうだい。冷たいやつ」

「承知しました」


 ナディーヌ様の実力ならばセシリーも何とかしてくれるのだろう。そう頭では分かっているけれども、暗雲とした気持ちはどうしても晴れない。

 

 脳裏に浮かぶのは、暗がりの中で苦しそうに表情を歪めながらのたうち回っていたセシリーの姿だった。


「……っ」


 震える手を握りしめて、ひどく痛む頭を横に振る。


(……ともかく、今は自分に出来ることをしなくては)


 まずは飲み物を取ってこようと、廊下を早足で歩く。

 しかしどんなに必死に飲みものをこしらえても、他の用事で屋敷中をかけずりまわっても、不安と恐怖と、……苦しむ彼女の幻影からは逃れられなかった。


 ともかく、目を覚ましてほしい。それだけを一心に思って、動いて、動いて、動きまわる。


 だが、魔法を少したりとも使えない僕は今この状況では役立たずに過ぎない。

 ある程度準備が整うと、やることもなくなってしまった。


 それでも自室に戻る気力になれず、客間近くの廊下で壁を背に立ちつくしていた。

 他の使用人たちもそうしているようで、不安そうにオロオロしたり、時折思い出したかのようにひそひそと会話をしていた。


「メイド長、どうなさったでしょうか。最近様子がおかしいとは思っていましたが、まさか御病気だったとは……」

「それにしても、急に息ができなくなるなんて、どんな恐ろしい病気なんでしょうか」

「ご主人様は『移るタイプの病気じゃないから安心して』とおしゃっていましたが、それなら一体なんでしょうか……」


(病気……。本当に、何の病気だろうか)


 セシリーはいたって丈夫で、風邪一つもひかない女性だ。

 過去、働きすぎて道端に倒れてしまったことはあるけれど、それ以外はどんな大変な仕事でも苦しい顔一つ見せずにこなしてしまう。


そんなセシリーが体調不良なんて、違和感しかない。


 それに、気になることがある。


 最初、セシリーを医者へ連れて行ってほしいとナディーヌ様に頼んだ時、彼女は全力で拒否をした。医者に見せることがセシリーにとってむしろ悪影響だと言いたげな慌て方をしていた。


(きっと、普通の病気ではないのだろうが。だとしたら一体どうしてセシリーは倒れてしまったのだろう)


 疑問が頭にもよぎっていたとき、客間の扉が重々しく開かれた。


 部屋から出てきたのは、疲れた表情をしたナディーヌ様だった。

 緊迫した視線が集まっていると気づき、ナディーヌ様は疲れ切った表情をわずかに緩めた。


「そんな怖い顔しなくても大丈夫。あともうちょい休めば目を覚ましてくれるよ」


 その言葉に、張り詰めていた空気が和らいだ。使用人たちは互いに目を合わせてほっと溜息をつく。

 だけど僕はどうしても直接セシリーの姿を見ないと気がすまなくて、ナディーヌ様に直訴しようと一歩足を踏み出した。


 その時、玄関の入り口がノックもなく開き、コック姿の青年が屋敷に入ってきた。

 彼はナディーヌ様のところへ駆けて、こう報告した。


「ナディーヌ様のご命令通り、彼女を連れてきました」

「うん、ナイスタイミング。ありがとう」


 ナディーヌ様は、彼に続けて入ってきたある人物を真っすぐ見つめる。彼女はナディーヌ様の姿を見つけると、飛びつかんばかりの勢いで走ってきた。


「お姉さま!」


 エマ様は血相を変えてナディーヌ様を見上げる。


「セシリー様は無事でしょうか! わたくし、ナディーヌ様の弟子として懸命に助力させていただきます!」

「いや、もうセシリーは良くなりそうだよ。まだ気絶はしているけどね」

「え! そうなのですか!」

「うん。あとね、今日エマちゃんを呼んだ理由は手助けしてほしかったからじゃないの」

「へ? それなら一体どうして」

「……ねえ、エマちゃん」


 ナディーヌ様は、真剣なまなざしで問う。


「セシリーにさ、上位魔法をかけていたでしょ」

「……えっと、そのー、イヤ、カケテナイデスケド」


 エマ様の視線が泳ぎ、口を開けたり閉めたりする。  


 そこにいる誰もが嘘だと気付けるくらい分かりやすい仕草だ。それでも人の嘘に気づかないのがナディーヌ様のはずだが、今回は違った。


「いや、使っているね。それも、水魔法系。……変装魔法とかかな?」


 びくりと、エマ様の肩が揺れ、目を大きく見開いた。


「ど、どうしてそれを……!」

「んー、なんとなく? セシリーの体からそんな気配がしたからね。でもやっぱりそうなんだ」

「……そうですか。さすがはお姉さまですね。セシリー様には秘密にしてほしいとお願いされていましたけれど、そこまでばれてしまったなら仕方ありません。ナディーヌ様のおっしゃる通りです。確かにわたくしはセシリー様に変装魔法をかけていました」


(そう、だったのか)


 それなら、あの仕事が人生なセシリーが休みをとっていた理由がわかる。

 きっと、エマ様の魔法の練習台となっていたのだ。だから最近エマ様と一緒にいるのをよく見かけていたのだろう。それなら納得がつく。


 僕は抱え込んでいた疑問が解消されてすっきりするが、ナディーヌ様はそうではないらしい。信じたくなかったとでもいいたげに、ぽそりと呟く。


「……やっぱり、そうだよね……エマちゃん」

「はい、なんでしょうか」


 ナディーヌ様はひどく言いづらそうにためらうが、意を決して口を開く。


「セシリーが倒れた原因、息が出来なくなった原因は、エマちゃんの魔法が原因だよ」

「……え……?」


 その言葉は、小話をし始めていた使用人を黙らせる力があった。


 静まり返る廊下。

 

 静寂の中、エマ様は取り乱したように叫ぶ。


「そ、そんな、どうしてっ! わたくしの魔法が下手くそだから、副作用でこうなってしまったんですか!」

「ううん、そっちじゃないよ。そうじゃなくて、体に合う合わないってやつ」

「……まさか、魔法アレルギー……!」


 僕も聞いたことがある。魔法を浴びると過剰反応して、最悪の場合死に至る病気のようなものだ。いわゆる食物アレルギーと同じようなものだったはずだ。 

 

 しかし、まさかセシリーがそんなアレルギーを持っていたとは。


「そ、そんな……。で、ですが、セシリー様は魔法アレルギーをもっていないとおっしゃっていましたよ!」

「私の推測なんだけど、多分ね、アレルギーに気づけるほど魔法を浴びていなかったのよ。そうだよね、フィル」


僕は一瞬考え、小さく頷く。


「ええ。普通の人なら学校や職場で魔法に触れる機会が少なからずありますが、私たちは孤児ですから学校もろくにいけていませんし、ここの仕事でも魔法道具は使っていません」


つまり、セシリーは自分の特性に最後まで気づかず、こんなことになってしまったということになる。


「そ、そんな」


 エマ様は膝から崩れ落ちる。


「それなら、セシリー様はわたくしのせいで、こんなことに……! わたくしがセシリー様の異変にもっと早く気づいていたら……!」


 彼女は手で顔を覆う。指の隙間からはぽたぽたと涙が落ち、肩は震えてしまっている。


 広い玄関で、彼女の嗚咽まじりの泣き声だけが響く。


 泣き崩れるエマ様に、ナディーヌ様はオロオロと戸惑うばかりで、彼女に声をかけることはできなかった。


 誰も何もしゃべれず、尋ねられない、そんな中。


 僕は、エマ様に尋ねた。


「すみません、エマ様。一つお聞きしてもよろしいでしょうか」

「……なんっでしょう、か」


 エマ様は涙混じりで僕を見上げる。

 いつもの僕だったら何かしらのフォローでも入れるのだが、このときばかりは違った。


「メイド長に変装魔法をしていたとおっしゃっていましたが、一体どうしてそんなことをしていたのですか。ただ単に、魔法の実験台にしたいからですか」

「ちょ、フィル! 言い方!」


 ナディーヌ様が慌てて僕を叱る。

 しかしエマ様はゆっくり首を横に振る。


「いいんです。フィル様がそう思っても仕方ありません。未熟な魔法使いなのに、教えてもらったばっかの変装魔法を使ってしまったんですから」

「で、でもさ、エマちゃん」


 エマ様をフォローしようと、ナディーヌ様が口をはさんだ。


「練習のために変装魔法をかけたんじゃないんでしょ?」

「それはまあ、そうですけど」


 僕は冷たい声で言う。


「では、一体どうして魔法をかけていたのですか」

「だからフィル!」

「いいんです、お姉さま。……ですけど、理由についてはわたくしの口から言えません」

「……」


 きっと、セシリーが口止めを頼んでいたのだろう。だがそういわれても、僕は真実を知りたかった。

 

(セシリーが誰にも言いたくないと思うこと、なおかつ変装魔法を使わなくてはならないこと、か……)


 ふと、僕は懐にしまっていたハンカチを思い出した。


 どちらかというと男性が持っていそうな柄のハンカチ。


つまり、セシリーがこのハンカチを持っているとしたら。


「……もしかして、男と会うために変装魔法をかけていた、ということではないですか」

  

 エマ様は目を大きく見開いた。


「どうして、フィル様がそれを! もしかして、セシリー様から相談されていましたか!」

「いいえ、かまをかけてみただけですよ」

「かまをかけた……あ、」


 自分が失言してしまったと、エマ様が気付いた時にはもう遅かった。


 セシリーの秘密事が今ここにいる人に伝わってしまった。さすがにこの雰囲気でざわつきこそしなかったが、それでも使用人たちは驚いたように顔を見合わせる。


 僕は、ぽつりとつぶやいた。


「そうですか」


 セシリーに男がいて、


 彼と会うためエマ様に頼んで魔法をかけてもらい、


 そして、


 セシリーは倒れてしまった。


「……そう、ですか」


 彼女は、変装までしてその男に良い印象を持ってほしかったのだろう。

 好きな男といるとき、彼女はどんな顔を向けていたのか。


 商店街で、公園で、彼の部屋で。

 セシリーはとろけるような笑みを宿して、男に腕をからませていたのだろう。

 

 僕には向けることのない、笑顔で。


「……」


 僕の心の奥底で、どろりとした気持ちがうごめく。


 破壊衝動にも似たそれは、なぜか今も眠るセシリーに向けられていた。


(……なんだろうか、この気持ちは)


 鍋の底にこびりついた焦げのように、この感情はしつこくねちっこく僕を捕らえる。


(……考えるのは、よそう。今はともかくセシリーの無事を祈らないと)


 もうこれ以上考えるのは止めようと、僕は固く目を閉じる。


 しかし、そううまくはいかず、結局、セシリーが目覚めるのを待つ間、僕は訳の分からない暗い気持ちと戦わざるを得なかった。


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