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セシリーが孤児院を出て働きはじめたころ、僕も外に働きに出ていた。
場所は今の屋敷ではない。どこかのレストランで働いていた、気がする。
そこで料理の基礎を教わったはずだが、どういうわけかどこで働いていたのかは覚えていない。
それもそのはずで、その時の僕は精神的にかなりおかしくなっていた。
孤児院の施設長いわく、仕事はするが他のことは全くするやる気がない。食事さえもとらず、酒を飲んで空腹を紛らわせ、ベッドに寝っ転がっても睡眠はとれず、朝を迎えて働きにいく生活をしていたらしい。
そんなことさえも覚えておらず、『寂しい』と思い続けていたことだけは覚えていた。
今にして思えば、慣れない一人暮らしをしていたせいで、ホームシックになってしまっていたのだろう。
孤児院には常に誰かがいた。年の近い遊び仲間もたくさんいたし、……セシリーだって、喧嘩はするけれど、存在はしっかりと感じられた。
それが一変したせいで追い詰められていたのだろうが、そんな自分の状態も理解せず、倒れる一歩手前の状態で生きていた。
そんな日々が一変したのは、ある日の孤児院でのこと。
その日、僕は孤児院を訪れていた。別に行きたくて行ったわけではなく、孤児院の施設長が僕のことを心配して呼びつけてきたらしい。ぼんやりとしながら孤児院について、あまりにやせ細った僕を見て施設長が驚き、僕を叱りつけていた、そのとき。
「君!!!」
突如、謎の魔術師が孤児院を訪ねてくると、鬼気迫った様子で僕の手を握った。
「来て!!」
それから抵抗もする間もなく連れ去られ、たどり着いた先は彼女、ナディーヌ様の屋敷だった。
「それじゃあ君はコック長ということで!! なんか作って!!!」
ただっ広く人っ子一人いないキッチンに放り込まれ、理由も何を作ればいいのかさえも伝えず、ナディーヌ様は慌ただしく去っていった。
「……へ?」
その時の衝撃は、おそらくこれから更新されることはないであろう。
しばらく呆然としていたが、時が過ぎようとも別に事態は改善する様子はなかった。
今にして思えばさっさと逃げてしまえばよかったのだろうが、ともかく何か作ろうと、冷蔵庫の中を開けていた。
それから僕は、ナディーヌ様の屋敷で働くこととなった。その日々は驚きと苦労の連続だった。
最初の驚きは、雇っている使用人の少なさだ。
僕を雇った当初、なんと、使用人は二人しかいなかった。
新築とはいえ、三階建て・部屋の総数も二十前後はあるこの屋敷で、その使用人数はありえない数だった。
さすがに二人では回しきれなかったので従業員を雇い、必要な備品もせっせと購入し(よくよく見てみたら、キッチンにフライパン一つととお玉一本しかなかった)来客が来てもどうにか体裁を整えられる程度のレベルまで引き上げられた。
それに加えて、ナディーヌ様の訳の分からない突然の思い付きにぶんぶんと振り回され、必死に対応をしていった。
すると、忙しさのせいか段々と僕の体調も良くなっていって、気が付くと私生活も楽しめるくらいの余裕がでてきてこれた。
……いや、忙しさのおかげではない。
認めたくはないけれど、きっと、彼女の存在が大きかったのだろう。
僕よりも先にナディーヌ様のもとで勤め、メイド長として僕以上に頑張っていた、彼女。
……セシリーの存在が。
どういうわけか知らないが、ナディーヌ様が最初に雇ったのは僕の幼馴染ことセシリーだった。
彼女が過労で倒れてしまっていたところをナディーヌ様が助けて雇い入れたようだ。
さすがに同じ孤児院出身の二人をたまたま見つけて仕事を任せたなんてことはないだろう。
なんかしらナディーヌ様に考えがあったのだろうと尋ねてみると、『セシリーが元気なさそうでちょっと危なかったから、魂の繋がりあっていたフィルもひっ連れてきたってこと!』と、いつもの訳の分らないことを言われたので、結局よく分かっていない。
ともかく、顔を合わせたらいつも喧嘩してしまうとしても、毛嫌いされていたとしても、セシリーと自分はずっと小さい頃から一緒にいたのだ。だから、僕もどこか安心できたのかもしれない。
それからの僕はいたって順調に仕事はできていた。
しかし、私生活、とくに女性関係はどうしてもうまくいかない日々が続いていた。
最初の彼女も、前の前の彼女も、前の彼女も、同じような台詞で別れを切り出されていた。
『あなたは他の人を愛している。私のことは愛してくれていない』、と。
僕はそんなつもりはなかった。最初の彼女も、前の前の彼女も、前の彼女だって、自分なりに愛していた。
だけど決まって灯ノ花は黄色に染まって、みんな僕のもとを離れてしまう。
リリーちゃんも、一緒にいてすごく楽しいと感じられたけれど、同じような言葉で別れを告げてきた。
そうなるかとは思っていた。最近のリリーちゃんはどこか追い詰められていたし、どこかぼうっとしていた。
だけど、言われたら言われたで気持ちは沈む。
リリーちゃんから別れを告げられた後、僕は適当なバーで喉を潤した後、屋敷へと帰宅していた。
ナディーヌ様の屋敷がある場所は高級住宅街の一角だからか、人通りはほとんどない。たまに横を通ったとしても、どこかのお偉いさんを乗せた馬車や、夜の買い物を任された使用人程度だ。
これが祭りの日となると、普段は静かなここも賑やかになることだろう。
(……祭りの日が、リリーちゃんとデートできる最後の日か……)
他の歴代彼女とは違って、彼女はどこに住んでいるか、どんな仕事をしているのかが全く分からない。
だから、きっと祭りの日が過ぎてしまったら彼女と会うことはなくなるだろう。
(寂しいけど、仕方ないよな。リリーちゃんがそう望んだのだから)
そういえば、祭りといえば、ナディーヌ様がぶつぶつと文句をいっていたような気がする。
というのも、ナディーヌ様はお祭りにいきたのに、国の行事ごとに参加する義務をおってしまっているからだ。
散々いきたくないと喚いていたところをせっせとみんなで慰め、お土産を買うからといってなんとか説得に成功できた。
(お土産は何がいいんだろう。いまいち良し悪しわからないし、セシリーにでも買ってもらおうかな)
他のメイド伝いに知らせておいたら、きっと彼女もお使いに行ってくれるだろう。
(……本当は、直接言えればいいんだけど)
……残念なことに僕と彼女はそんな仲ではない。むしろ最近は悪化の一途をたどっている。
(……どうしてだろうな……)
俯きながら、僕は街灯の下を歩く。
時間がもう少し早ければセミの鳴き声でも響いていたのだろうが、セミも寝てしまい静寂につつまれていた。
だからだろうか、
低く呻く誰かの声が、僕の耳に届いた。
「……?」
風でも拭いて葉っぱでもかすれたのかと、そちらを視線を向けた。
途端、僕は立ちつくした。
「……セシリー……?」
道から少しはずれ街灯の光が届かない場所で、彼女は首を抑えつけてのたうち回っていた。
「セシリー!? どうした!?」
青白い表情で彼女は僕を見上げる。すると彼女はほっとしたように口元を緩めて、瞳を閉じる。
「セシリー、セシリー!!」
体をゆすっても、ピクリとも動かない。手を彼女の口元でにもっていっても空気の流れを一切感じられない。
「医者……、いや、間に合わない……!」
ここら辺に医者はいない。屋敷お抱えの医師ならいるかもしれないが、いちいち屋敷を訪ねて探し回るなんて真似していたら、それこそセシリーの身体が危ない。
「……そうだ、ナディーヌ様のところに連れていけば……!」
下手な医者よりもなんとかしてくれるに違いない。
「セシリー、頼むから耐えてくれよ……!」
彼女を背負い、僕は屋敷へと全速力で走った。




