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帰り際、エマ様の屋敷によって。事の次第を説明する。
「そういうわけで、あと二回だけお願いできますか」
「……わたくしは別に構いません。ですけど、セシリー様はよかったのですか」
「ええ。これが最良の選択ですよ」
「いっそのこと、リリー様の正体がセシリー様だってばらしてしまってもよろしいのではないですか。もしかしたらそうすることで、セシリー様に好意を持つかもしれませんし」
「そうだったらいいですけど、そうでない可能性の方が高いですから」
都合よく運ぶのならば、エマ様の意見に大賛成だ。……でも、もしそれがうまくできなかったら、それこそ職場で顔を合わせられない。フィルを裏切ったことにもなりかねないし。
私の意志が揺らがないと諦めたのか、エマ様は落ち込みがちで頷く。
「分かりました……。あと二回だけですけど、わたくし、全身全霊をかけて魔法をかけさせていただきます!」
「お願いします、エマ様」
「はい!!」
エマ様は元気よく返事をしてくれる。
思えば、彼女のおかげでフィルと一時的に恋人関係になれたのだ。エマ様には感謝してもしきれない。
(すべてが終わったら、エマ様に何かごちそうしてあげなくちゃね)
そんなことを考えていたら、落ち込んでいた気持ちに整理がついたような気がした。
「それではエマ様。お屋敷に帰らせてもらいますね。また来週にお願いします」
「ええ! よろしくお願いしますね」
エマ様は無邪気に手を振って、私を見送ってくれた。
そんなそぶりをみていると、やっぱり彼女は年相応の女の子なのだと実感する。
(魔法の技術なんかは大人顔負けだけどね。もしかしたら、そのうちナディーヌ様を追い越してしまうかもしれないわ)
そうなったとき、ナディーヌ様はどういう反応を示すだろうか。
悔しがるか、それとも尊敬するのか。
(どちらにしても、結局は褒めてあげそうだけどね)
是非ともその日が見たいものだと、そんなふうに思いながら帰路につく。
外に出ると、痛いほどの日差しを発していた太陽も沈み、空には星が瞬きはじめていた。街灯が次々とついて光を発し、道をほんのりと明るくしてくれる。
普段はデートのときのフィルを思い出しながら楽しく帰るところだが、今回はそうにもいかない。思い出してしまうのは、黄色に染まった灯ノ花だった。
(……やっぱり、そうよね。フィルは私のこと……好きではないわよね)
理解はしていた。
こうなることは分かっていた。
だけど実際に灯ノ花が黄色に染まってしまって。
ただ単に思い出しているだけだというのに、その時のことを頭に思い浮かべた途端、瞳から涙が一筋流れ落ちる。
(……私、何泣いているんだろう)
「あーあ、やっぱり、駄目ね。私……」
バックからハンカチを出そうとして、ふと気が付く。
(これ、フィルが貸してくれたハンカチ。……返し忘れてたな)
別れを告げたとき、涙を流してしまった私に貸してくれたハンカチだった。それを握りしめるだけで、また涙が頬を走る。
「……あとで返さないと、いけないよね」
もし、フィルが都合よくハンカチのことを忘れていたら。
……もらってしまいたい、なんて、そんな盗人たけだけしいことさえも考えてしまaう。
(……私、恋するのに向いていないのかもしれないわね)
今まで仕事でつらいこともたくさんあった。
それはそれで何とか頑張って乗り越えてこれた。
だけど、恋なんてものはどうしようもなくうまくいかない。今まで培ってきた仕事のスキルが全く役に立たない。そこら辺にいるカップルたちのことを尊敬のまなざしで見つめてしまいたいくらいに、うまくいかない。
「……もう恋するのは止めよう。フィルへの恋心も忘れてしまって、いつも通りに戻って、ナディーヌ様に振り回される暮らしに戻りましょう」
自分を説得するようにつぶやいて、軽く頬を叩く。
それでも苦しい気持ちは変わらない。胸がしめつけられるような、息ができなくなるような……。
(……あ、あれ? ま、まって)
息が出来なくなるような、なんてもんじゃない。
本当に、息が出来なくなっている!
(え? な、なんで、変装魔法の後遺症!? どうして今!? で、でも、それなら少し我慢していれば収まるはず……!)
だが、いくら待とうとも、喉に栓がついているかのように息ができない。
(っ、収まらない……! 誰か……!)
頭にもやがかかったように視界が白くなり、意識が遠ざかっていく。
薄れゆく意識の中で、私はぼんやりと思い返す。
(……ああ、前もこんなことがあったよね……)
睡眠薬を飲まされた私に、手を指し伸ばしてくれたのはフィルだった。
(……フィル……)
霞みゆく風景の中で、ちらりと見えた人影。
それが現実か、それとも幻なのか。
それすらも分からず、世界は真っ白に塗りつぶされていった。




