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外は暑くなっているというのに、彼女は青の長袖ローブを身にまとい、汗ひとつかいていない。どうみても庶民の格好ではなく、魔法使いが好んで着る服装だ。それに、かなり家柄も良い魔法使いなのだろう。真っ白な長い髪は丁寧に手入れされているし、紺の瞳からはお金持ち特有の余裕が感じられる。
ナディーヌ様のお知り合いかと一瞬考え、即座に否定する。今の私はセシリーではない、リリーなのだ。ナディーヌ様との繋がりなんて身の知らずの人には分からないだろう。
結局いくら考えても分からなかったので、素直に尋ねてみる。
「あの、失礼ですがどちら様でしょうか?」
不審そうに見つめていると、彼女は表情を緩めてみせる。
「そうよね、急に話しかけてしまってすみません。大丈夫ですよ、私とあなたは初対面です。あなたのお連れさんとは旧知の仲ですけど」
「お連れ……。フィルさんとお知り合いなんですか?」
「ええ。元カノです。それも、あなたの前の」
あっさりと、とんでもない爆弾を投下してきた。
(も、元カノ!? フィルの!?)
元カノが今カノの私を訪ねてくる。
それすなわち……。
(女と女のガチバトル!?)
彼女は私の頬をはたいて、こう言い放つのだ。『あなたなんかフィル様にふさわしくない。消えてくださいます?』と!
(そうに違いないわ……! よく演劇でそんなシーンみるもの! ど、どうしましょう。先手必勝? だけど相手は魔法使いよ!? 勝てるわけがない……! きっと私は石像にされて粉々に砕かれるのよ!)
なんて怯えていると、青ローブの女性はくすりと笑う。
「そんなに警戒しなくてもいいですよ。彼と私は円満に別れましたし、私も違う男性とお付き合いしていますから」
そう言うと、彼女は右手の甲を私に見せてくれる。真っ先に目に入るのは、薬指にはまった小さな指輪だ。指輪には海のような青い宝石がこしられており、上品な輝きを発していた。
どうやら戦闘はしなくてもよさそうだ。ひとまずほっとする私だが、それだとどうして声をかけたのかが分からない。
「もしかしてフィルさんに何か物を貸していて、それが返ってきていないとかですか? 本人に直接は言いづらいから私に聞いてほしい、みたいな」
一番可能性のありそうな答えを言ってみるが、残念ながら間違いであったようだ。彼女はきょとんとした後、ニコニコしながら首を振る。
「惜しいですけど違いますよ。貸してもらっていたものをお渡ししたいのはあっていますけど。ですがその前に、ちょっとしたおせっかいを焼かせて下さい」
「……おせっかい、ですか」
「そう、おせっかい。だから別に私の言葉なんか忘れてしまってもかまわない。一つ、彼の先輩彼女としておせっかいな忠告」
彼女は微笑む。
少し寂しげに、こういった。
「あなたが本気で彼のことが好きだと思うなら、早く別れたほうがいいわ」
「……え?」
唐突な彼女の言葉に、私は呆然としてしまった。もしかしたら『あなたなんかフィル様にふさわしくない』云々かんぬんの台詞が来るかと思ったが、どうやら彼女にそういう怒気は感じられなかった。むしろ申し訳なさそうに眉を八の字にする。
「あなた、フィルさんのことが大好きなんでしょ」
「へ!? そ、それは、その」
「分かるわよ、目を見ていればね。私もそうでしたから。彼のことが好きで好きでたまらなかった。彼といると、まるでお姫様になったような気がした」
「……」
確かに、そうだ。
フィルはリリーである私にとても優しくしてくれる。
私が傷つくことは言わず、褒めてほしいときに褒めてくれる。
彼の隣にいると、この世界の主人公になれた気がした。
「だけどね、本当は違うの」
彼女は言葉を続ける。
「あの人はあなたのことを愛せない。どんなに努力しても変わらない。だって、彼が愛している女性は別にいるのだから」
「……え?」
恋人のことを愛していない云々は私にも理解できる。だが、後半部分のことは、初耳だった。
「待ってください、フィルって好きな人がいるんですか!」
そんなことフィルから聞いたことがないし、見たこともない。
「その人って一体誰なんですか」
「誰かは分からないわ。彼は恋人と一緒にいるときに他の女性の話はしませんから。だけど、肌で感じてしまうの。あの人は恋い慕う女性がいるって。あなたも注意してみていればきっとわかるはずですよ」
「……フィルさんは、そうは言っていないんですよね。他に好きな人がいるとか、付き合っている人がいるとか」
「ええ。だから私が勘違いしているのかもしれない。だから、おせっかい。あなたがそう思わないなら、聞かなかったことにしてもらっても構いませんよ」
彼女はひらりと手をふって「それではさようなら」と言うと、お店の方に戻っていった。
反射的に追いかけるが彼女の姿はどこにもない。まるで霧になって消えてしまったかのようにいなくなってしまった。
「……変な人……」
不穏なことだけ一方的に伝えて自分はとっとといなくなってしまった。貸したものの話も結局しなかったし……。
唐突な彼女の発言に、頭の中が混乱してしまってどうにもうまく考えがまとまらない。
(そうだ、エマ様に相談してみよう)
先ほど通信を切ってしまったフォローもしなくてはならない。私はもう一度宝石を手に持ち、エマ様と回線を繋げる。
《エマ様、すみません突然切ってしまって》
《いえ、それは別に構いませんが、どうなさったんですか》
《実は……》
エマ様に彼女の様々な発言を告げる。
《そういうことがあったんですか……。ふむふむ、青のローブの女性……。もしかしたら、水魔法の達人として有名な方かもしれません》
《え? お知り合いなんですか》
《ええ。魔法学校の卒業生でしたよ。かなり優秀な人で、たまに教師として私達に魔法を教えてくださることもあります。前にフィル様と付き合っていたという噂がありましたので、おそらくその方かと》
《そんな噂がエマ様の耳に入っているんですね……》
《ふふん、恋愛話ならお手の物ですから!》
エマ様は自慢げにそう言った。さすがお年頃の女の子。エマ様よりもフィルの側にいたというのに、私はそんなこと全く知らなかった。
それにしても、フィルの噂はどこで立っているのだろう。まさかエマ様の同級生たちがこそこそ話しているのか……?
そんなことを考えているとき、ふと、先ほどの女性の言葉が頭によぎった。
(もしかしたら……。エマ様なら『フィルの想い人』のことを知っているかも)
《それで、フィルに好きな人がいるって話ですが、エマ様的に心あたりがある方っていらっしゃいますか……?》
知ったところで、私はどうするつもりだったのだろうか。自分でもわからないまま、衝動的に質問をする。
《セシリー様以外ですものね? うーん、わたくしも分からないです……。その魔法使いがセシリー様とフィル様との仲を嫉妬しているだけではないでしょうか? フィル様との関係を悪くさせるようなことをいって、陰でほくそえんでいる、とか。……あまりそういうタイプの方とは思えませんけど……》
《……そうかも、しれませんね》
口ではエマ様に同意しているが、しかし腑に落ちない。
(あの人から、そういう悪いオーラを感じないのよね……)
今の彼氏からもらったと満面の笑みで話していた彼女からは、その気持ちに嘘偽りは感じられなった。
それに、フィルも前の彼女とは特にトラブルなく別れたと話していたのだ。そう考えると、青の魔法使いの忠告は嫉妬の現れというよりも、彼女の言葉を借りるなら、おせっかいと呼んだ方が正しい気がする。
だけどエマ様にはそう言い返すつもりもなかったので、そのまま自分の胸中に収めておくこととした。




