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ハートキャンディーをもらった礼として、ひとまずキッチンだけは綺麗に掃除しておいた。さすがにフライパンはこびりついていてちょっとやそっとでは落ちそうにもなかったので、熱湯につけたまま放置しておく。
バタバタと忙しく動き回っていたせいで、いつもよりも疲れてしまったのだろう。自室に帰るとついついため息をついてしまう。
「はあ……。今日は色々あったわね……」
フィルと付き合いはじめてから、一日の時間が濃厚になった。変装していることもあって、まるで一人で二人分の時間を過ごしている気分になる。
特に今日は本当に濃厚だった。
私の些細で大きなミスをしたせいでフィルに叱られて。
リリーの時の私に優しくしてもらって、元気が出て。
フィルのことを根掘り葉掘り質問して。
帰ってきたら帰ってきたで、フィルが作っていたお菓子を奪い取って。
(ああ、もう寝てしまいたい。でもその前に、花瓶の水を変えないと……)
ふかふかベッドの誘惑を振り切って、ミニテーブルの上にある花瓶を確認しにいく。
花瓶には二本の灯ノ花が生けてある。
そのうち一本は、フィルがくれた灯ノ花だ。真っ黄色な花弁は、見事なまでに友情を示してくれている。
もう一本は、まだつぼみの灯ノ花。いつかフィルに使ってもらうために取ってあるものだ。
毎日水を変えているだけだが、二本とも元気そうにしている。
(案外持つものなのねえ)
花瓶の水を変えようと、手に持っていたハートキャンディー入りのタッパーを花瓶の横に置く。半透明のタッパーの中には、不格好な飴がコロコロと転がっていた。
(それにしても、どうしてフィルはお菓子を作っていたのかしら? 孤児院の子のために、だなんて絶対に嘘だし。ならナディーヌ様のため……。いや、ナディーヌ様は飴をあまり舐めない人だし……。そういえば、デートの時に甘いものがどうたらこうたらって話していたわね。えっと、なんだったけ)
フィルの悩み事を知りたいと駄々をこねたとき、フィルは『悩みというほどでもないが、アドバイスがほしい』と言ってきた。
(確か……。嫌いな人にもらっても嬉しいものは何かって話しだったわね)
それで私は甘いものがいいって答えて。
「……ん?」
それから、私はハートキャンディーをもらった。
リリーではなく、セシリーの私が。
「……い、いやいや。関係ないわよね。だって、子どもにあげるって……いうのは、嘘だろうけど……。そ、そうだわ。他のメイドさんに上げるために作っていたのよ! うん! そうにちがいない!」
だが、他のメイドはフィルにメロメロだ。フィルもそれくらい分かっているだろうから、嫌いな人にもらって嬉しいものであるハートキャンディーを渡す道理はなかろう。
「……で、でも、ほら、フィルは私がハートキャンディーを好きだなんてこと知らないだろうし。」
しかし、小さい頃からハートキャンディーが好きで、祭りのたびに食べていたから、常にそばにいたフィルは覚えてくれているかもしれない。
「……ど、動機がないわよ。どうして私なんかを、喜ばせようと……」
もしかして、瓶を割ってショックを受けている私を慰めようとしてくれていたのかも。
「そ、そんなわけないそんなわけない! だって、瓶を割ったときに邪魔だって言ってきたのはフィルよ!」
でも、パニックになっている私を引き離そうとしてくれていたかもしれない。
もし本当に邪魔で邪魔で仕方ないなら、応急手当なんかしてくれないだろう。
「……周りの目があったから、してくれたのよ。新人ちゃんがいたから」
私は怪我をしてしまった方の手に視線を落とす。傷はあまり大きいものではなかったので、傷薬を縫って包帯を巻いて生活している。
鋭利な破片での切り傷なので、このまま安静にしていれば傷もすぐにふさがってくれるだろう。そう思って出来る限り使わないようにしているが、運悪く傷を負ったのは利き手の方だったので、意識をしていないとうっかり使ってしまいそうになる。
(……あれ? そういえばあのとき……)
フィルがキャンディーを作ったフライパンを隠していた時、私は是非とも中を見たいと強引に手を伸ばしていた。確かその時、フィルは私の手を掴もうとして、……それを止めた。
どうして抵抗しなくなったのだろうかと、そのときは不思議に思っていた。だけど、あまり覚えていないけど、もしかしたら、フライパンに手を伸ばしたときにうっかり利き手を使ってしまっていたのではないか。私の手に触ると傷が開いてしまうと思って、何もしなかったかもしれない。
「……」
そんなことはない、フィルはそんなことをする人ではない。セシリーの私を彼は嫌っているはず。
自分の淡い期待を必死に否定しようとして、……それがうまくできなくて。
「……あの飴は。……この飴は」
私は、飴の入った袋を手にもつ。
「私に、喜んでもらうために作ったの?」
それが本当だったら、本当だったら、私は。
きっと、そのときの私は一種のパニックになっていたに違いない。手に入れることなんて絶対にないと諦めていた彼の優しさに触れてしまって、慌てていたのだろう。
そのせいで、私はうっかり灯ノ花の花瓶を傾けてしまった。
「わあ!?」
床に叩きつけられる寸前、慌てて花瓶をキャッチする。そのおかげで花瓶は割れなかったが、水は床に飛び散り、花も滑り落ちてしまった。
「もう私なにやっているのよ! えっと、ふきんふきん! その前に花を上にあげなくちゃ!」
黄色い<灯ノ花>を上にあげ、それからつぼみの<灯ノ花>を持った。
その瞬間、私は自分の過ちに気が付いた。
「あっ、しまった……!」
つぼみの灯ノ花は、色が変わってしまうのを防ぐため、茎の中心部分がテープで巻かれている。
いつもはそこに触るよう注意をしていたが、そのときは、うっかりテープが巻かれていない箇所を触ってしまった。
(やってしまった……)
フィルのためにとっておいたのに……。
自分の不甲斐なさにため息をつきながら灯ノ花をみて、絶句してしまった。
「……へ?」
つぼみは徐々に花開く、
その色は、黄色でも、青色でもない。
まるで暖かな暖炉の火のような、ランタンに灯された光のような色。
真っ赤な、色だった。
キラキラと輝くその花は、この世のものとは思えないほどの美しさで。
私は、呆然と見つめる。
「……赤?」
灯ノ花は、不思議な不思議な魔法の花。
花を持つと、特定の人物が頭に浮かぶ。
その人のことを自分がどう思っているのかを、鏡のように教えてくれる。
私が花を持った時に浮かんだ人は、フィルだった。
赤い灯ノ花は、赤色になる意味は、
「……私、もしかして」
気付いてしまった。
自分でも気づかなった、いや、きっと気づかないふりをしていた真実に。
「私、フィルのことが、」
……好き、なんだと。




