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 私。セシリーはベッドの中に寝転ぶ。今日はフィルとのデートの日だから、エマ様のお屋敷に行かなくてはならないのに、気力が全くわかなかった。


(……よりによって、あの瓶を割ってしまうなんて)


 あの瓶は安定性が悪く転がりやすい瓶だったので、細心の注意を払って掃除をしていた。。

 だけど後輩の指導をしていたことと、……フィルのことで悩んでいたせいで気が散って、箒の柄に当たってしまったのだ。


(おまけに後の処理に手間取っちゃって、フィルに迷惑をかけて)


 邪魔だと切り捨てられて、役立たずのように扱われてしまった。


「……なさけないわよね、私」


 瓶自体はナディーヌ様の魔法で直していただいた。「エマちゃんに魔法をみせるいい機会だったから、気にしないでね」と慰めてもらい、エマ様には「わたくし、階段のところからこっそり聞いていましたが、やっぱりフィル様の言い方はひどすぎますよ!」と真剣に怒って、「わたくしもよく色んなものを割ってしまっていますから、元気出してください!」と彼女なりにフォローを入れてくれた。


 二人とも私のためを思ってくれているのは分かるし、すごいありがたい。だけど、私の気は全く晴れずに、落ち込むばかりだ。


(今日のデート、病気だっていって休んでしまおうかしら)


 ふとそんなことを考えてしまうほど、私は落ち込みに落ち込んでいた。


(……当日に変更なんて、無理に決まっているのにね)


 リリーである私とフィルは手紙でやり取りをしている。とはいってもフィルが住所を教えてくれただけで、フィルからは私には連絡が出来ない。

 どちらにしても、当日でキャンセルしたいなんて連絡はできない。使用人用ポストに入れるだけだと郵便局の消印がないので不審に思われるに違いないからだ。


(……とりあえずフィルに恋を教えるだなんだは一旦忘れよう。まずはこの暗い気持ちを何とか切り替えなくちゃ。ずっと沈んでたら、フィルに心配をかけちゃうし)


 だけど、あの察しのいいフィルのことだ、きっと気づいてしまうだろう。

 それでも隠す努力をしながらエマ様と会い、魔法をかけてもらい、副作用に苦しみ、なんとかフィルと顔を合わせたが、


「久しぶり、リリーちゃん。すごい暗い顔しているけど、どうかしたの?」


 会った瞬間にばれてしまった。


「……さすがフィルさんですね。ばれないようにしていたんですが」

「リリーちゃんは分かりやすいからね。そういうところはいいところだと僕は思うよ」


 セシリーのときには絶対に聞けない声色で、フィルは優しく誉めてくれる。


(ああ、駄目駄目。セシリーの時の私は一旦忘れなさい。今はフィルの恋人、リリーちゃんなんだから)


 何とか笑顔を作って、フィルに微笑む。

 

「ごめんなさい、フィルさん。今日はどちらに行きましょうか。前に話していた劇場ですか? それとも、商店街に行ってみますか」


 両方のパターンを考えて、事前にエマ様とは打ち合わせをしている。「何かあったらまた宝石に聞いてくださいね」と言ってくれているし、用意は完璧だ。


 フィルの返答を身構えていると、彼は少し悩むように「うーん」と唸る。そして、彼はポンと手を叩いた。 


「そうだ、公園にいこうよ」

「……公園ですか?」

 

 思ってもみない返事がきた。


「今は灯ノ祭の準備をしているから、賑やかで楽しいとよ」

「……分かりました。では、そうしましょう」


 フィルが行きたいというのなら、別にかまわない。

 私が頷くと、フィルは「ありがとうね、リリーちゃん」といった。


 フィルの言う通り、中央広場では祭りの設営を行っていた。タオルを頭にまいた人たちが大声を出してテントや舞台を作っている。


「灯ノ花のオブジェもできているねえ、ほらあれ」


 会場の中央で組み立てられている、白いつぼみのオブジェを指さす。

 オブジェは案外大きく、十人の人が手をつないで囲めるほどの大きさだった。高さもそれなりで、普通の家の天井より少し低いくらいだった。


 それだけだったら大きいオブジェだと思うだけだが、オブジェには不自然な白い扉がついていた。ドアノブだけは虹色になっていて、異彩を放っている。


「あのオブジェ、中に入れるようになっているのですか?」

「そうそう。中に入ると真っ白な花びらが舞っていて、それに触れると灯ノ花と同じように色が変わるんだ。つぼみの中の花びらが全部赤く染まるとそれはそれは綺麗だって話だよ」

「ああ……。恋人たち専用の出し物ですか」

「そんな感じ。祭りの当日はカップルだらけだよ」


 もしかして、フィルは過去の女性と一緒にオブジェを見に行ったのだろうか。それは幸せな記憶とは限らない。そうでなかったら、私とこうして一緒にいることにはならないのだから。


 だというのに、フィルは弱音も吐かず、何ともないように振る舞っている。


(……私とは全然違うわね)


 落ち込んでしまっていると、フィルが私の顔をのぞきこんだ


「……ねえ、リリーちゃん。ちょっとベンチに座ろうか」


 特に否定する気もなかったので、頷いて席に座る、

 しばらくは二人して祭りの設営を眺めていた。設営者は汗をタオルで拭きながら元気よく作業を続けている。そのうち魔法学校の生徒も加わり、オブジェの調整を行い始めた。杖を振り、緊張した表情で打ち合わせている。


 ぼんやりと彼ら彼女らを眺めていると、フィルがおもむろに口を開く。


「もし話したくないなら別に構わない。君は隠したいことがいっぱいあるみたいだからね。だけど、」


 何のことだろうかと顔を上げると、私をじっと見つめる赤茶の瞳と目があった。

 真剣なまなざしで、彼は言葉を続ける。


「……だけど、君の気が晴れるなら、相談に乗るからね。うまいアドバイスができるかどうかは分からないけど」


 あまりに深刻そうに言うものだから、私は思わずくすりと笑ってしまう。


「私って、そんなに落ち込んでいるように見えていますか」

「うん、すごく。心配になるくらい。話せないならそれでいいけど、なにかあったか聞いて良いかな?」

「別に大丈夫ですよ。……仕事で大きいミスをしてしまったんですよ。誰のせいでもない、私一人の不注意のせいで」


 ぽつぽつと、事の内容と、私がしでかしてしまったことを話しだす。


 大変重要で価値のあるものを壊してしまったこと、


 後始末もうまくできず、職場の同僚に心底嫌われてしまったこと。


 みんなに慰めてもらったけど、その優しさが余計につらいこと。


 実を言うと、私は弱音を吐くのはあまり得意ではない。他の人に愚痴を聞いてもらうなんて申し訳ないと思ってしまうからだ。

 だけど、このときばかりは、どうしてだか話してしまった。

 正体がバレる危険も考えず。エマ様に通信して助力を求めることもせず。


「……そっか。そういうことがあったんだね。ありがとう、教えてくれて」

「いえ、こちらこそぺらぺら話してしまってすみません」

「いいよいいよ、僕のことは気にしなくていいからね。それよりもリリーちゃんだよ」


 フィルはにこりとほほ笑む。


「そうやって悩めるってことは成長できる証拠だって、僕の先輩が言ったことがあったんだ。きっと君も、これをバネにできると思う。……ともかく、今日はお疲れ様」


 包み込むような柔らかい口調でいい、頭を優しくなでる。

 すると、先ほどまで重りを科せられたかのように沈んでいた気持ちが、ふっと軽くなるではないか。


(あれ、どうしてだろう……)


 彼に触れてもらっている部分からじんわりと熱が広がって、心の中もポカポカになってくれる。

 そんなこと、今までなかったのに。


 戸惑う私を知ってか知らずか、彼は「よしっ」と声を張り上げて、地面に膝をつき、私の手をとる。


「それじゃあ、今日は君が本当にやりたいことをいっぱいしよう? 今日の僕は君の従者。君は僕の王女様。それでどう?」

「ど、どうって……。反応に困りますよ」

「ふふっ、そう? 困らせてしまい申し訳ありませんでした、リリー姫君?」


 芝居がかった彼の台詞に、思わず笑ってしまった。


「フィルさんって実は愉快な人なんですね。私、知らなかったな」

「案外ちゃらんぽらんですから」


 フィルはおどけたようにウインクをする。

 だけど、私には彼がただのちゃらんぽらんなんかではないと分かっている。きっとフィルは落ち込んでいた私のためを思ってそう演じてくれているのだろう。


(フィルがこんなに女性に優しいなんて、変装しなかったら気づかなかっただろうな)


 セシリーに対しては、こうはいかない。

 本来の私の時には、彼はこんなことはしない。冷たい目で私を睨み、冷たい言葉で攻撃してくるだけだ。

 

(ああ、やっぱり寂しいな……)


 この寂しさは、慣れることはないだろう。

 だから、その感情と向きあうことはせずに、私はフィルにこう言った。


「それじゃあ、フィルさんの話を聞きたいです」

「僕の話?」


 フィルは目をぱちくりさせる。


 このリリーの姿は、いつまで続けるかは分からない。

 フィルに正体を気づかれた時点で終わってしまうし、エマ様が忙しくなったり、フィルが本当に好きになれる相手を見つけてしまっても、この関係は終わってしまう。


 これは、神様が見せてくれるほんのひと時のボーナスタイムのようなもの。

 その間に、セシリーでは聞けないことをたくさん聞いておきたい。 


 そんな本心は言えないから、冗談まじりでこう言おう。


「フィルさんのことをもっと知りたいですから。ほら、先ほど私も悩み事を打ち明けましたから、フィルさんも悩み事をぶっちゃけてくださいよ」

「悩み事か……」

「あっ、さすがにベンチに座ってくださいよ。膝が汚くなってしまいます」

「そうだね。さすがにそれはね」


 フィルは苦笑してベンチに座り、うんうんと唸る。


「悩み……悩みかあ。……悩みってほどのものは今のところないかな」

「あら、そうなんですか……」


 つい、「職場で大変な事とかありませんか」と聞いてみたくなったが、そこで「実はね、同僚のメイド長がうざいんだ」なんて言われた日には悲しみで爆発をせざるをえなかったので、そこは口を閉ざす。


「それでは何を聞こうかしら……。うーん」


(嫌いな食べ物はハートキャンディーだったわよね? なら、好きな食べ物でも聞こうかしら)


 なんて思って口を開くが、その前に、彼が言葉を発する。


「……悩みってほどのものじゃないけどさ、リリーちゃんにちょっとアドバイスしてほしいことがあるかな」

「え? ああはい、大丈夫ですよ」

「……えっとね、リリーちゃんが一番嫌いな人を想像してみて」

「嫌いな人ですか?」


 よく分からないが、精一杯想像してみる。


(嫌いな人……。嫌いな人といったら、そうね、しつこい訪問販売の人かしら)


 この前に来た、高級家具を押し売りしようとしてきた髭ずら男を頭に浮かべる。


「もしその大嫌いな人から何かものをもらうときに嬉しいものって何かな」

「もの……? なんでもいいんですか?」

「うん、目に見えないものでもいいよ」


 押し売り業者からもらっても不愉快だと思わないもの……。

 それは、もちろん、


「現金ですね」

「……リリーちゃんって、絶対お嬢様じゃないでしょ」

「え!? そうですか!? ですけど、現金って嬉しくないですか?」

「普通のお嬢様は現金程度では喜ばないよ」

「……そういうものですか」


 確かに、エマ様が現金をもらって喜ぶ姿はあまり想像がつかない。


「それじゃあ現金以外でもらって嬉しいものにしよう。何がいい?」

「現金以外ですか……」


 少し時間をとって考えてみて、ようやく絞り出した答えを告げた。


「……甘いもの、ですかね。それなら喜んで食べれます」

「甘いものかあ……」


 そう言うと、彼はぼうっと公園の木々を眺めはじめた。

 その横顔を見て、私は、ある違和感を覚えた。


(なんだろう、フィルが急に遠くに行っちゃったかんじがする……?)


 そんなわけはない。さっきまで私のことを慰めてくれていたし、私とフィルは肩と肩が触れ合うような距離にいるのだから。


 でも、そう感じてしまった。


 その原因を探ろうとするその前に、彼はこちらを見てニコリと笑う。


「ありがとう、あとはリリーちゃんが自由に質問をしてくれて構わないよ」

「……はい、分かりました」


 さっきの違和感は気のせいだと思うことにして、私はフィルに色んな質問をする。


 好きな劇場の演目だとか、

 好きな季節だとか、

 好きな服だとか。


 きっとフィルは、どうしてそんなことを聞くのかと内心首を傾げていることだろう。

 もし私が同じ立場だったらそう思う。


 だけど、私は幸せだった。


 いつもそばにいて、だけど心は遠く離れてしまった彼のことを知ることが出来て。

 

 満足感にひたりながらも、私の気持ちはやはり重い。


 だって、結局はフィルがこうして色々と話してくれているのも、優しくしてくれるのも、


 私ではなく、リリーなのだから。

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