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ここは、山と海に囲まれた小国。
戦争もなく、内紛もなく、魔法が使える者も使えない者もそれぞれのんびりと生活していた。
そんな平和な国の、平和な首都の、とある屋敷にて。
「メイド長。どうしてキッチン掃除をせずに他の仕事をしておられるのですか? 昼からケーキを作るのですぐに掃除してほしいとお願いしたはずですが」
「コック長こそ何をおっしゃっているのですか。ご主人様が絨毯の上にスープをひっくり返してしまわれたのはご存知のはず。そちらの対応を早急に行わなくてはならないのですよ」
「そうならそうと報連相してください。あなたはいつも言葉が少ない」
「報連相するためにこうしてキッチンに来ているんでしょうが」
周りにいたコックとメイドたちはこそこそと喋る。
「またあの二人言い争ってるよ」
「飽きないよねえ、セシリー様も、フィル様も」
あるものはめんどくさそうに、あるものはやじ馬精神で眺める。
そんな中、私は本気の本気でコック長ことフィルを睨む。
「スープがこぼれた絨毯をシミ取りしなくてはなりませんので、キッチン掃除の時間を調整してほしいのですが、できますよね?」
「いいえ、できません。昼のうちにやらなくてはなりませんから」
「コックだけで出来ないですか?」
「残念ながら私達はこれから買い出しにいかなくてはなりません。ご主人様が今朝、突然ケーキを食べたいとおっしゃったのですが、材料が全く足りていませんので。ですが、」
彼はメイドさんたちに優しく微笑みかける。
「メイドさんの誰かが買い出しを手伝ってくださるなら、余ったコックに掃除させましょう。どうでしょうか。女性目線の意見もお聞きしたいですし、何よりも皆さまと一緒にいられると私も嬉しいですから」
彼はぱちりとウインクをした。
なんてわざとらしいキザな態度だと鼻で笑いそうになるが、なんと他のメイドたちはキャーキャーと黄色い声を上げて次々と志願の手をあげていく。
「ええ……。あなたたち、どんだけやる気あるのよ」
そりゃ彼はイケメンの中に入るっちゃあ入ることくらい、私にでも分かる。
黒一色の髪の毛はふわふわとしていて柔らかそうで、赤みがかった茶色の瞳は優しそうに細められている。鼻筋もすらりと高く、高身長と、もてる要素をふんだんに抱えている上に、右目の下の泣きぼくろがセクシーだと巷の女子には評判らしい。
観察眼に優れているメイド曰く、『さすが肉体労働なだけあって、筋肉のつきもしっかりしているわね。触ってみたいわあ』とのことなので、しっかり鍛え上げられた体もしているのだろう。
その上、二十代でそれなりに大きい屋敷のコック長を勤めていて、性格も謙虚で優しいとなったら、女性なんてよりどりみどりにならざるをえない。
だが、彼には大きな大きな欠点があった。
私はフィルを睨みつけて、堂々と言い放つ。
「付き合っている人がいるのに、そうやって他の子に手を出すのは良くないですよ、この浮気男……!」
そう!! この男は彼女を絶やすこともなく! そのくせ他の女性とも仲良くしている下衆な男なのだ!!
軽蔑の眼差しを彼に向けていると、フィルは不機嫌そうに目を細める。
「いっておきますが、私は浮気なんて真似はしませんよ。そのときに付き合っている彼女を一途に想います。他の女性には挨拶こそすれど、一緒に出掛けたりはすれど、心は真っすぐ彼女に向きますので」
「心が真っすぐでも行動が真っすぐじゃないですからね。ほんと、そんなんだから女性に捨てられるんですよ」
「捨てられる相手すらいないあなたには言われたくないです」
「なんですって!」
(ほんと腹立つわ! いや真実だけど! 年齢イコール付き合ってない歴ですけど!)
フィルとは違って積極的に出会いを求めていないだけだから、私のどこかが悪いから付き合えないとか、そういうのではない、と思いたい……。
じ、自分でいうのもなんだが、顔のレベルは平均的なレベルのはずだ。
可愛い子特有のぱっちりお目目ではなく、線のように細い目ではあるけれど!
美人の代名詞である金髪青目ではなく、庶民の代名詞な茶髪黒目だけれど!
水仕事だのなんだのしている上に肌の手入れができないので、顔も手もぼろぼろだけれど!
(……私って、平均より低い気がするわ……)
……なんだか悲しくなってきた
こうなったら対フィル最強文句を吐いてやろう。私はこれみよがしにため息をつく。
「あーあ。小さい頃のあなたはあんなに可愛かったのに。お姉ちゃんお姉ちゃんっていって、後ろをついてきてくれたのになあ!」
「……いつまでその話を出すつもりですか」
フィルの不機嫌そうな声に、私はもう大満足! ふふんと鼻を鳴らす。
「いつまでも引っ張りますよ。なんだって私たちが幼馴染だってことは揺るぎない事実ですからね」
私とフィルは一緒の孤児院で寝食を共にしていた、いわば幼馴染だ。そのときはそれなりに仲が良く、一緒に楽しく遊んでいた。
しかしちょっとしたことで仲たがいをしてしまい、ここまで険悪な仲になってしまった。昔のことが懐かしくなる時もあるが、過ぎたことは仕方ないので堂々と攻撃材料にしている。
どうしてだか知らないが、彼はこの話題を出すと何も言えなくなる。私と楽しく遊んだ日々を黒歴史にしているからだろうか。そんな気がする……。
(いけないいけない、これ以上考えると自分が傷ついてしまうわ)
今は目の前の口論に集中をしようと彼と向き合う、が。
「スプラッシュ!!!!!! ヘイセーヘイセー!!!」
突然の叫び声と共に、激しい音を立てて窓がぶち破られた。
「きゃあ!!」「な、なんだ!?」「鳥か!?」「いや魔物が入ってきたか!?」
新人のメイドとコックは慌てふためく。しかし長年ここで働いている人たちは「またか」と言わんばかりにうんざりした表情をする。
私とフィルもげっそりとしてしまうが、窓を突き破った本人は悪びれなくカウンターの上に立つ。
「やっほー!! みんな大好きご主人様こと、ナディーヌ様だぞ!」
可愛らしい桃の髪に青々とした若葉の瞳、子供の様な笑顔を振りまく彼女は、我らがご主人様ことナディーヌ様だ。彼女は魔法使いとしてはかなりの実力を持ち、二十代三十代くらいの年齢ながらこの国一番の大魔法使いと称されている。 しかし普段の彼女は子供の様で、よく言えば無邪気、悪く言えば考えなしに動き回る。
そう、今のように。
「ご主人様。一旦そこから降りてください」
「あれ? セシリー、どうしてここに? もしかしてケーキでもつくってくれるとか!」
「ケーキは今夜お食べになるんでしょう?」
「え? そうなの? やったあ! ちょうど食べたかったんだよね! さっすがセシリー! 察しがいい!」
「察しがいいもなにも、ご主人様がコック長に頼んだんですよね」
「あれ? そうだっけ? そうだっけフィル?」
「残念ながらそうですね。ともかく、ご主人様。そこから降りてくださると大変ありがたいです」
「メイド長としてもお願いします。そこは料理を置く場所ですので土足で上がらないでください」
言われて気づいたようで、ナディーヌ様は「ごめんごめん」と軽い調子でキッチンから降りる。
カウンターくっきりと残るは、ナディーヌ様の足跡。
(ああ……。掃除しなくちゃいけない場所が増えた……。窓も業者に依頼して直してもらわないと……)
虚ろな目でカウンターと窓を見ている中、フィルはナディーヌ様と話をし始める。
「それでご主人様。何か御用でもありましたか。もしかして、夕飯のメニューの変更でしょうか」
「あー、いや、そうじゃなくて……。その、ちょっとフィルと二人で話したいことがあるんだけど」
(ん? ナディーヌ様、どうなさったんだろう)
先ほどまでの明るさが消え、深刻そうな声色をしている。
フィルもいつもとは違う何かを感じ取ったのだろう。茶化すこともせずに頷く。
「分かりました。他のコックに指示を出しますので少々お待ちください。メイド長、ここの掃除はそちらに任せても構いませんか」
「ええ、分かりました」
「すみません、ありがとうございます」
律儀に礼を言うと、フィルは他のコックたちへ食料調達に行くよう命令を出し、ナディーヌ様の後をついていった。
私もメイドたちを集め、諸々の指示を出す。
「キッチンの掃除は私がやっておきます。シミがついた絨毯は洗濯屋に出してください。それ以外の人たちは残った仕事を片付けて、終わったらキッチンの手伝いをお願いします」
他のメイドも集めるように指示してそれぞれの場所に散らし、すぐにキッチンの掃除道具をそろえる。
(まずはカウンターね……)
片手に薬剤を装備して、足跡がくっきり残るカウンターとの戦いを始めることとした。