沼の主
そのとき、遥か後方で声が上がった。
「――お兄様! 下です!」
シュウゴは辛うじて聞こえたメイの叫び声に反応し下を向く。
「なに!?」
沼に巨大な影が出来ていた。
シュウゴはすぐに察した。
強い気配の正体はこの沼の下に潜んでいたのだ。
シュウゴは急いで旋回し、メイたちの元へ戻るべくバーニアを噴射する。
次の瞬間、沼の中から緑色の鱗に覆われた蛇が一斉に飛び出してきた。
それらの狙いはシュウゴただ一人。
「ちぃっ! どけ!」
シュウゴは順々に迫りくる蛇たちを避け、行く手を塞ぐ個体を大剣で斬り捨てた。
蛇の数は数十体といったところだ。
ジャブジャブと水しぶきを上げながら、次から次へと現れる。
左足に噛みつかれるが、右足のブーツ裏からバーニアを噴射し蹴り飛ばす。
前方から三体が迫るが、肘のバーニアで変則的な機動をとり回転して回避。
そうこうしているうちに背後の蛇たちに追いつかれる。
しかしシュウゴは冷静に、肘とブーツの側面からバーニアを噴かし、旋回しつつ全方向を薙ぎ払った。
ようやく沼の岸にデュラとメイの姿を捉えた。
デュラがメイを背にかばいながら盾で蛇の突進を受け止め、ランスで迎撃している。
苦戦はしているが二人とも無事そうなので一安心だ。
「二人とも引くぞ!」
シュウゴが叫んだ次の瞬間、沼で盛大な水しぶきが上がる。
シュウゴは慌てて反転し音の発生源を見た。
蛇たちが沼の水面上に引っ込み、緑の沼の中から現れたのは、
「ナ、ナーガだって!?」
巨大な蛇女だった。
上半身は裸の女だが白目をむき肌は緑色。
腕は六本あり、それぞれに斧のような巨大な剣を握っているのが二本、残りはその腕の上下に一本ずつ大蛇が生えている。
下半身は緑色の硬質な鱗に覆われた大蛇であり、腹部の下から沼に浸かっている。
シュウゴが知るゲームのモンスター『ナーガ』のようだった。
沼の上で滞空しているシュウゴの額に冷や汗が流れる。
(こいつがこの沼の主か……けど、ナーガなら高い知能を持っているはず)
シュウゴは一縷の望みに賭け、ナーガの目の前に躍り出た。
メイが慌てたように「お、お兄様っ!」と呼び止めるが、今は気にしていられない。
「あなたの住処を荒らしてしまって申し訳ない。私は人間族のシュウゴと言います。私たちはあなたに危害を加えるつもりはありません。どうかこの先へ通していただくことは出来ませんか?」
シュウゴはナーガの目を見て語り掛けた。
しかしナーガは特に反応を見せることなく――
「ダメか!?」
シュウゴの頭上から剣が振り下ろされた。
シュウゴは側面への噴射でなんとか回避するが、斬撃の風圧で吹き飛ばされる。
なんとか態勢を立て直すと蛇たちが再び動き出していた。
シュウゴは思考を逃走に切り替え、メイたちの方へ飛ぶ。
デュラとメイも洞窟へ向かって走り始めた。
緑の沼から離れると蛇たちも追ってはこれず、三人は間一髪で逃走に成功したのだった。
無事に町へ帰還したシュウゴたちは、すぐにバラムへ沼地でのクエストの結果を報告した。
コカトリスの討伐、広い洞窟の出口に毒沼が広がっていたこと、その先にあるエメラルドグリーンの沼に瘴気の蛇神『ナーガ』がいたこと、そしてその先には新たなフィールドが広がっている可能性が高いことなど。
バラムは嬉しそうに満面の笑みで頷いていた。
報告が終わると明日にはヴィンゴールへ報告をするよう言われた。
そこで今回の罪の件も許しを請うという。
翌日、三人は領主の館に訪れた。
前回と同じく真ん中の絨毯の奥にヴィンゴールが立ち、その両脇に対照的な雰囲気の側近が二人、絨毯の脇に討伐隊、文官のキジダル、バラムらが並んでいた。
シュウゴたちはヴィンゴールの前に立つ。
ヴィンゴールはバラムから渡された報告書を読み、興味深そうに目を細めた。
「ほぅ、コカトリスを倒したか。よくやってくれたな。それに毒の沼を進み、強大な魔物の存在まで暴くとは……なんとも勇ましい。これも君の言っていた特性のおかげか?」
「その通りでございます」
シュウゴはヴィンゴールの問いに間髪入れず答えた。
それに続けてバラムが口を開いた。
「いかがでしょうか? 彼らの力が今後のカムラの発展に必要であることは明白。何卒、今回の罪については寛大な処置をお願いしたく存じます」
バラムが仰々しくこうべを垂れる。
シュウゴたちも「よろしくお願いいたします」と深く頭を下げた。
「……いいだろう。シュウゴ、デュラ、メイ、君たちによる討伐隊業務妨害への容疑、不問とする。異論のある者はいるか?」
ヴィンゴールが厳かに告げ、臣下たちを見回した。最後にキジダルへ問う。
「そなたはどうだ? なにか問題は?」
「滅相もございません。領主様の賢明なご判断に従うのみでございます」
キジダルは以前の挑戦的な雰囲気を出すことなく頭を下げていた。
彼は物事の判断基準は厳しいが、真に良しとしたことにケチを付けるような人間ではないようだ。
その点にシュウゴは好感が持てた。
シュウゴたちはヴィンゴールに深く礼を述べると、領主の館を去った。
家に戻ったシュウゴはデュラに席を外すよう伝え、メイに向き直った。
メイはシュウゴの神妙な表情からなにかを悟り、怯えたような表情になる。
「ごめんメイ。君には辛い思いをさせてしまったね。これがハンターなんだ」
「今回の戦いでよく分かりました。辛いお仕事なんですね」
「でもよく耐えてくれた。これでもう、君がハンターなんてする必要はなくなったよ」
「え? それはどういう……」
突然告げられた言葉にメイは戸惑いの声を上げる。
シュウゴはこれからのことをゆっくり話し始めた。
「今回はメイの存在を皆に認めてもらうために、やむを得ずとった手段だった。君の意志も確認せず勝手に進めてしまって本当に申し訳ない。でもそれが上手くいった今、君に戦ってもらう必要はない。君は自由を手に入れたんだ」
シュウゴは笑みを浮かべ楽しそうに声を弾ませる。
だがメイは、浮かない顔をしていた。
「自由、ですか?」
「そうだよ。まずは家を探そう。商業区に不動産屋があるから、安い家を紹介してもらおう。次は仕事だけど大丈夫。教会の運営する孤児院の手伝いとか、商業区の雑貨屋の販売員とか、意外と色々あるから」
シュウゴがどんどん話を進め、メイの表情はどんどん曇っていく。
その理由に思い当たったシュウゴは笑いかけ安心させようとする。
「それまでのお金のことなら心配いらないよ。一人で稼げるようになるまで、俺が工面するから。今回のことでメイには色々と助けてもらったから遠慮はいらない」
「違うんです。私は別に自由なんて……これからもお兄様たちのお手伝いが出来ればそれでいいんです」
「いいんだメイ。君はもう戦わなくていい」
「え?」
メイは不安そうな顔を向ける。
その瞳は揺れており、まるで見捨てられた子犬のようだ。
だがシュウゴも譲れなかった。
コカトリス戦でメイの優しさを垣間見たからこそ、彼女を戦わせてはならないと思っていた。
「俺らと一緒にいたって戦ってばかりだ。メイが不幸になるだけなんだぞ」
「そんなこと、やってみなければ分かりません。なにが私の幸せかは私にしか分からないんですから。だから私、戦います」
「だからって、無理をすることは――」
「――一人はもう嫌なんです」
シュウゴは言葉に詰まった。
メイにかつての自分が重なったのだ。
今のメイにとってのシュウゴ。
それは、かつてシュウゴがこの世界で目を覚ましたばかりの頃、ひたすら求めてきた……『手を差し伸べてくれる存在』だった。
(まさか、な)
シュウゴは大きく深呼吸し、肩の力を抜いて頬を緩ませるとメイに手を差し伸べた。
「分かった。君をもう独りぼっちにしないと誓うよ」
メイは差し伸べられた手をまじまじと見つめ、感激したように目を潤ませる。
そして勢いよくシュウゴに抱きついた。
「はい! よろしくお願いします! お兄様ぁっ!」
(やれやれ、また甘えん坊なパーティーメンバーが増えたな)
シュウゴはメイの頭を優しく撫でながら、外で待機しているデュラを思い浮かべ苦笑するのだった。
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