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竜の血

　ヒュドラの九つの頭は、それぞれが独自の動きをしながらも、激しく体をうねらせ断末魔を上げて倒れた。次々に地響きを鳴り響かせ砂塵を巻き上げると、やがて静寂が訪れた。

　しかしまだ油断はできない。

　少しでも九体を倒すタイミングがズレていれば、また復活する。

　シュウゴは気を抜くことなく、慎重に周囲を見回しながら滝つぼの周辺を歩く。仲間たちも固唾をのんで倒れたヒュドラを凝視していた。

　異様な緊張感が場を満たし、滝の音が静寂を乱す。あまりに張り詰めた空気に、シュウゴが息苦しさを感じていると――

「――あ、あれを見てください！」

　上空でキュベレェが叫んだ。

　彼女の指さす方を見ると、滝つぼの下から黒い鱗で覆われた巨躯が浮かび上がってきた。その首は九つで、すべてがヒュドラの頭に繋がっている。

　そして、紫雨が降り止んだ。数十年間一度として止むことのなかった紫雨が。

「……やった、のか？」

　シュウゴが信じられないというようにボーっと呟くと、隣にハナが並んだ。顔の仮面は外して頭に乗せており、その表情は明るい。

「シュウゴくん」

「そう、だな……みんなっ！　ヒュドラの討伐を確認した！　俺たちは勝ったんだ！！」

　シュウゴがそう告げると、各々表情を輝かせ、勝利の余韻に浸った。

　シュウゴも不死王の力を無理に使った反動で頭痛が酷いが、今はそれよりも喜びが勝った。

　しかしまだ重要な問題が残っていた。

「――ニア！」

「ニアちゃん！」

　ヒュドラの猛毒を体中に浴びてしまったニアは、たとえヒュドラが倒れようと、体が毒が抜けはしない。

　シュウゴが慌ててかけ寄り、メイが介抱しているニアの様子をうかがう。

「……ぅぅ…………っ……」

　ニアは額に大量の汗をにじませ、苦しそうに顔を歪ませ唸っている。呼吸もかなり荒く見ているだけで辛い。

　キュベレェが彼女の横に膝をつき、加護の力で治そうとするが、

「ダメです。ヒュドラの毒が強すぎて、私の余力では緩和すら……」

「なにか手はないのか……」

　シュウゴの焦りが募る。

　ニアは今にも死にそうなのだ。肌には青黒い斑点が浮かび上がり、顔も真っ青。

　キュベレェは眉を寄せ、神妙な面持ちで長考したのちに、一つの案を口にした。

「竜人は竜種の血を飲めば、その特性や力を引き継ぐことができると聞いたことがあります」

「そんなことができるの？」

「間違いありません。フリージアに竜種がいたことだってあるんです。聖域を統治する者として、亜人種や獣族、竜族に至るまで、あらゆる知識は持っています」

「でも、竜種の血なんてすぐには……」

　そこまで言いかけてシュウゴはハッとした。滝つぼの方へ目を向ける。キュベレェも目を向けている。

　いた。

　ヒュドラは竜種の怨念が集まって生まれた魔獣だ。

　もしその血を飲むことで、ヒュドラの毒への耐性ができるのだとしたら、やってみる価値は十分ある。

「やるしかないのか」

　シュウゴには迷いがあった。

　これは一か八かの賭けだ。下手すればニアに毒を盛ることにもなりかねない。だが悩んでいるうちにニアの容態も悪くなっていく。

　他に選択肢はなかった。

　そんなシュウゴの迷いを察してか、キュベレェが無言で頷いた。

「今は時間がありません。少しでも彼女を救える可能性があるなら、やってみるべきです。私を信じてください」

　キュベレェは自信に満ちた表情でそう言った。

　シュウゴは「分かった」と頷き、アイテムポーチからポーション瓶を取り出して中身を捨て空にすると、ヒュドラの頭の元へ駆け寄る。

　キュベレェの加護による浄化を受けながら、ヒュドラの死体から血を採取する。

　ある程度の量を瓶に詰めると、すぐに苦しむニアの元へ行きそれを飲ませた。

「頑張ってくれ、ニア！」

「ニアちゃん！」

　シュウゴとメイが必死に呼びかけ、キュベレェ、ハナ、デュラが周囲で静かに見守っている。　

　ヒュドラの血の効果はすぐに現れた。

　ニアの体中の血管が浮き出し、苦しそうにもがき出したのだ。

　彼女はジタバタと激しくもがき、鋭い爪が宙を裂く。

「ニア！」

　その爪がメイを傷つけそうになったので、シュウゴはニアを抱きしめ押さえた。ニアの爪はシュウゴの背をひっかき傷をつける。

「うっ」

　シュウゴは痛みに顔を歪めるが、今は気にしていられない。

　徐々に彼女へ変化が訪れ、爪は黒くなり肌は黒い竜鱗を浮き上がらせ、溶けた翼は再生し漆黒に染まる。

　やがて落ち着き、ニアは意識を失った。

　焦ったシュウゴが彼女の体を見回すと、黒くなった鱗や爪、翼は引っ込み普段の状態に戻っている。

「お兄様、ニアちゃんはっ！？」

　メイが不安そうに瞳を揺らしながらニアの顔を覗き込んでくる。

　ニアは気を失ったものの、穏やかな寝息を立てていた。

　顔も血色(けっしょく)を取り戻し、浮き上がっていた斑点ももう消えている。むしろ、溶けた爪や鱗が再生すらしている。

「良かった。上手くいったようですね」

　キュベレェが声をかけ、ようやくシュウゴは安堵のため息を吐く。

　メイも目の端に涙を浮かべ、「本当に良かった」と震える声で言った。

　それからシュウゴたちはカムラへの報告のため、ヒュドラの素材を回収すると、引き返すことにした。

　ニアはデュラが抱きかかえ運ぶ。

　シュウゴも周囲の様子を見てからデュラたちの後ろに続こうとするが、滝つぼの前で立ちつくしているキュベレェに気付いた。

　歩み寄ると、彼女はゆっくりシュウゴへ顔を向ける。その目からは涙を流し、満足そうに頬を緩ませていた。

「やっと、倒したんですね」

「ああ」

「これでやっと、苦しみ続けた仲間たちを助けてあげることができる」

　今までは、エルフたちの洗脳を解こうと仮面を強引に外しても、結局は紫雨に侵されているためすぐに死んでしまう。だから助けようにも助けられなかったのだ。自らの手でトドメを刺してしまうことになってしまう。

　だがそれもこれで終わりだ。

　紫雨はついに降り止み、頭上には虹がかかっていた。

　キュベレェはシュウゴへ深く頭を下げた。

「本当にありがとうございました」

「いや、お互いさまだよ。俺のほうこそ、命を助けてもらった。カムラの人々を救ってもらった」

「シュウゴさん……」

　キュベレェは瞳を潤ませシュウゴを見つめる。

　彼女はこれから、この密林に残る仲間たちを救うという戦いが待っている。

　シュウゴはできる限りそれを支えようと誓うのだった。

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