兆候
「ご主人さま起きてください」
そんな声が聞こえて、肩をとんとんとやさしくノックされる。
昨日は確か夜遅くまでデスクで仕事をしていたから、そのまま寝てしまったのだ。
メイリには奴隷用の部屋へと案内したので、一緒には寝ていない。
確か朝早くに起こしにくるように言っていたか。
「ああ、メイリか」
俺は目を開けメイリのほうを見る。
木の椅子に座りながら、うつぶせの状態から顔だけを向ける。
すでにメイド服に着替えているようだ。いつも同じ服だが、メイド専用の服が何百着もあるので問題ない。
「もしかして、ベッドにお戻りにならず、夜遅くまでこちらで仕事をなさっていたのですか」
メイリは驚いたような顔で俺を見ていた。
それもそうだろう、昨日は一日中俺のそばにいたんだ。
彼女はこのデスクに座って仕事をしている姿しか見ていない。
まあ、仕事というと大げさで、ただゲームの中に転生したことにたいしての現状把握や、今後の動き方などをひたすら考えていただけだからだ。突然こんな状況に追いやられては、アドレナリンが出まくりで、とてもじゃないが寝れる状況ではなかったのだ。正直、昨日は心臓のバクバクが一向に収まらなかった。
もちろん、そんなことをいうわけにもいかない。なぜなら、俺はベインだからだ。
「当たり前だ。俺を誰だとおもってる。いづれこの国の王になる男だぞ」
「そう……ですね」
メイリは視線を下げて小さく口にした。
そういう反応になるのも仕方がない。というか、俺はあえて彼女が落ち込むようなことを言ったのだ。彼女はわが国に戦争で負け、奴隷落ちしたお嬢様なのだ。本来なら王女になるために厳しい訓練を受けていたのだろう。そんな彼女が、敵国の将来の王に仕えているのだから。内心とても屈辱的に思っていることだろう。
「そんなことより、朝食を取りに行くぞ」
俺は立ち上がり、食堂へ向かう。
メイリもなにもいわずについてきた。
大きな扉を開いて中にはいると、いつもはいるはずの父の姿が見えない。
「メイリ、今日はお父様から何か聞いてないか」
不思議に思ってメイリに聞いた。父が俺に専用として奴隷をプレゼントしたんだ。なにか伝言があれば、メイリに話していてもおかしくない。
「はい、今日は多忙なので、朝食をとることはできないと聞いています」
「そうか」
一言だけ返して、ひとまず定位置に座る。料理はすでにテーブルに置かれていた。俺はしばらく手を付けずに考え込んだ。転生してからベインの過去の記憶も俺にはあるが、基本的に朝食は一緒に取っていたはずだ。これは、なんらかの異変が始まったとみていいのかもな。
右手を唇に当てながら、思考している俺を、メイリはじっと見つめているのに気が付いた。
「なんだ、お前も食べたいのか。今は食欲がないのでやるぞ」
「い、いえ、私はすでにいただきましたから」
メイリは慌てたように、両手を交差するようにふり、拒否する。
まあ、奴隷とはいえ俺専用なのだから、それなりの扱いは受けているのだろう。
そのまま、食事をとり、部屋に戻った。
今日はメイリが、わが国に対して、どのように思っているのか試してみるか。
「メイリ、お前に今から教育してやる」
えらそうに、腕を組み俺はソファに背中を預けながら言う。
すると、彼女はとても緊張した顔をして、何をされるのかとおびえている様子が見て取れる。
「教育ですか……はい、奴隷兼メイドである私がベインさま直々に教えてもらえるなんて光栄です」
俺の機嫌を損ねないように言葉を選びながらメイリは答える。彼女は頭がいいから、俺から教わることなど何もないと思っているのだろう。むしろ、知っていることでも始めて知ったかのような態度をとらなくてはならないとでも思っているのかもしれない。
「教育というのは言い過ぎか。まず、お前の国のことを話してもらう。お前の住んでいたのはどういう国で、今の状況はどうなっているのか話せ」
これは、メイリに対して嫌がらせも兼ねている。思い出したくもない記憶を強制的に自分の口からはかせるのだ。
そう問うと、彼女はしばらく沈黙した後にこたえだした。
「はい、私の住んでいたのはセイドラという国でベインさまの国であるベンドラ国の隣に位置しています。緑が豊かで農作に適した地が多くあるそんな場所でした。人はそれほど多くはいないけれど、みんな幸せそうに暮らしていました。私はその国で将来は王女になることが決まっていました。だけれど、ある日、前触れもなくベンドラ兵がやってきて、何もかもが壊されてしまいました。王城が占拠され、私がとらえられてからは、どうなっているのかわかりません」
静かに、何かを堪えるような表情のまま答えた。
なるほどな、これもゲームの設定と同じだ。今まではまだ、心のどこかでこの世界はゲームの世界と似ているけれど、まったく違う世界の可能性もあったが、その線はこれで消えた。
「そうか。もういいぞ。じゃあ悪魔について何かしっていることはあるか」
ちょっと踏み込んだ質問をしてみた。このゲームのラスボスである悪魔について、どういう認識をもっているのか気になった。
「悪魔ですか……。私たち人間とは次元が違うところで暮らしており、けっして干渉はできないと聞いています」
そう、悪魔とは、そもそも暮らしている次元が違うのだ。精神体のようなもの。そこにいるけど、そこにはいない。そんな存在がこのゲームにおいての悪魔だ。
だが、悪魔の中にも特殊な能力を持っているのがいて、本来干渉できないはずの人間の精神を汚染して、人間を乗っ取ってしまうのだ。まあ、その悪魔に父が乗っ取られる兆候はすでに見せている。
メイリが持っている特殊な能力にはこの様子だとまだ気づいていないのだろう。
「お前の知識レベルがよくわかった。もういいぞ」
あえて、落胆したかのような顔をし、突き放すように言う。こうすれば言外に馬鹿だと言っているようなものだ。
だが、これでいい。こうやって少しずつメイリを傷つけていく。
「ご主人さまの期待にそえられず、も、申し訳ございません」
メイリは、自分の無知さを恥ずかしみながら、頭を下げる。
そんな彼女を無視して、俺は外に出ることにした。
この世界にきて、まだ魔法を使ったことがない。もちろん、使えるのは知っているが。学園にいくまでに自分のものにしとかないとな。
俺は王城を出て、初めて外観を見た。横に広い2階建てだ。とはいえ、1階の天井が高いから、そんなふうには見えない。王城は丘の上に立っていて、周りは木に囲まれている。
そのまま、広大な庭まで足を運ぶ。端っこには使用人が手入れをしている。
「なにをするのですか?」
しばらく立ち止まっていると、後ろからついてきていたメイリから聞かれた。
俺は、後ろを振り返り、毎日やっている日課だと思わせるように当たり前のように答えた。
「なにって、見てわからないのか。今から魔法の訓練をするんだよ」
「訓練ですか。てっきり何か遊ばれるのかと」
メイリはこれから一緒に外で遊ぶのかと思っていたのか、恥ずかしそうにしていた。
彼女を見ていると、とても大事に育てられたことがうかがえる。
とりあえず、魔法の訓練に集中しよう。ベインの得意な魔法は、周りの電気を集めて雷を作り出すものだ。
「ふぅ……サンダーアロー」
右手を掲げて叫ぶと、矢印の形をした真っ白な電流が形成される。
それを近くの木に投げると、すごい勢いでぶつかる。当たった個所は黒くなり煙がでていた。
これはすごいな。正直、最強じゃないのかこれ。人にぶつけていいものではないのは確かだ。
だが、この世界では一般的なのかな?ゲームでは意識してなかったけど。
「す、すごい……」
メイリのほうを見ると、口を開けてポカーンとしていたが、俺をみると怯えたように一歩、二歩と下がったところで、足を絡ませておしりから転んでしまった。
「おいおい、大丈夫か」
俺は思わず、かけよって手を伸ばしたが。
「きゃっ」
ぱちんっと手をはたかれてしまった。何が起きたのか分からず思わず固まってしまった。
そんな俺を見たメイリは顔を青ざめながら、すぐに立ち上がりすごい勢いで頭をさげた。
この反応は、もしかしてメイリは魔法を見慣れていないのかもしれないな。ゲームではそんな設定はなかったはずだが……まあ、気にしてもしょうがない。
とりあえず、この状況ではメイリが俺に対して本気で悪いと思って謝っているようにみえてしまう。というか、そうなんだろう。これはまずい、逆でなければならない。俺がメイリにひどいことをしながら、無理やり謝らせて、俺を恨んでくれないとならないというのに。とっさの出来事でついつい、手を伸ばすなど、やさしく接しようとしてしまった。
決して、好意を仇で返されて傷ついたなどと思わせてはならない。
とにかく、荒い言葉を使って自分が理不尽に怒られたとメイリに思わせなければ。
「はっ、謝られてもお前が俺にしたことがなかったことになるわけではない。そんな心がこもってない謝罪など不要だ!二度と俺に見せかけだけの、言葉など吐くな!」
俺はとても焦っていた。ゲーム開始までにメイリに恨まれなければ、シナリオが歪んでしまい、なにか大変なことが起こるのではないかと思ったからだ。これで、メイリが俺に対して、少しでも罪悪感を持ってしまうと、今後ひどいことをしても、罪の意識からそこまで深い恨みを持たないかもしれない。
大げさに思われるかもしれないが、それだけゲームの中でベインはメイリに対してひどい扱いをしてきたのだ。まさに、悪魔のように。だからこそ、メイリは自分を助けてくれた主人公のアレンに惚れていき、最後には完全に悪魔化した父を倒すにいたるのだ。
この過程で、いくら悪魔化したとはいえ自らの肉親を守るように主人公たちの前に立ちふさがる哀れなベインを倒してもらわなければならない。この時、主人公であるアレンは躊躇するが、メイリが今までの復讐として、代わりにベインを倒すのだが。それは、それまでの過程があってこそだ。
だから俺は取り乱していた。なのでまるで癇癪を起した子供のように、とにかく嫌な奴を演じることにした。
「くそっくそっ!どいつもこいつも、王に向かって敬意がなってない!民とか奴隷とかそんなものどうでもいい!愚民どもは俺に跪いて、崇めたたえて、不平不満をいわず、自らの仕事に専念していればいいのだ!」
はぁ……はぁ……。俺は何も考えずとにかく、いやな奴を演じきった。これでメイリも、俺の手を振り切った罪悪感よりも、王の血筋というだけで、何不自由なく育った傲慢で最低な奴と思ってくれるだろう。メイリの顔を見るのも怖かったので、俺はそのまま部屋に戻った。
メイリはその場で尻もちをついたまま、ベインに向けて右手を前に向けていた。「待って」と言おうとした口は結局、開いたまま、言葉にならなかった。